
参院選を前に、自民党の「選挙の顔」としてさらに存在感を増しているのが、小泉進次郎農林水産大臣だ。備蓄米を放出し、コメ価格を順調に下げる仕事ぶりから、直近の世論調査では次期総理候補1位に返り咲いた。
農政改革は日本政治の触れてはならない鬼門
小泉進次郎農林水産大臣による「コメ劇場」によって、自民党の支持率はなんとか持ちこたえているといえるだろう。彼が就任早々実行した備蓄米の放出、それを取り上げたメディアの報道が大きく影響したと言えよう。
実際、小泉大臣の備蓄米の随意契約による売り渡し判断はコメ価格を順調に下げている。そして、農協組織に対する対立姿勢は親父・純一郎の郵政民営化を彷彿とさせる振る舞いだ。政治家の血筋というものは確かに存在するものだと感心する。
ただし、農業の利権構造、そして農協を守ろうとする既得権者は郵政に負けず劣らず強力だ。特に都市部有権者の中にも、農協を守ること=日本の農家を守ること、と錯覚している人々も少なくない。
そのため、農政は利権構造とノスタルジーが相乗効果を発揮する分野であり、政治家にとっては手が付けにくく、農政改革は日本政治の触れてはならない鬼門の一つとなっている。
小泉氏が農林水産大臣としてやろうとしていることは、戦後GHQが実行した農政の社会主義改革、その後も積み上げられてきた縁故資本主義の利権構造を解体しようとするものだ。
これは故・安倍晋三総理が第二次安倍内閣時代に果たすことができなかった未完の改革の一つである。食料安定供給のためには同改革を実現し、農業の生産性を高めて流通構造を改革することは必要不可欠である。
小泉大臣の自民党内での孤立ぶりを示す象徴的な事件
だが、小泉進次郎農林水産大臣は政治的に孤立無援の状況にある。自民党は参議院議員選挙前の一時的なパフォーマンスとして、小泉大臣の農政改革に向けた振る舞いを許容しているのだろう。
5月31日、小泉大臣の自民党内での孤立ぶりを示す象徴的な事件があった。
野村哲郎元農林水産大臣が、小泉大臣が備蓄米放出の随意契約を就任早々に決めたことなどに絡め、「自民党農林部会に諮れ、ルールを覚えろ」と発言した出来事だ。
当たり前であるが、小泉大臣は行政府を構成する農林水産大臣であり、法令に基づいて法執行することは自由である。立法府、それも政党の一つの会議である農林部会に対して、その法執行の許可を得なければならない立場ではない。
したがって、野村氏の主張は論理的には間違っている。そのため、小泉大臣が同発言に対して「一つ一つを党に諮らなければいけないといったら、スピード感を持って大胆な判断はできない」と反論したことは適切だ。
進次郎は期間限定の「選挙の顔」か
しかし、この一事は石破総理が「小泉大臣が実行したい農政改革に対して何ら協力的ではないこと」を示唆している。法律論としては上記の考え方で問題ないが、現実には自民党農林部会が農水省の箸の上げ下げまで握っている現実は実際に存在している。
前述の通り、参院選前であるために同部会からの声は目立っていないが、選挙後には小泉大臣が何をやるにもほぼ全ての行動に同部会の邪魔が入ることは明らかだ。
農政改革とは自民党にとっては党内革命に等しい内容であり、農林水産大臣の顔一人を替えたからといって実現できる甘いものではない。石破総理が本気で小泉大臣を動かそうと思うなら、自民党側の党人事を農政改革に理解がある形に替えることが必要だ。
石破総理はコメの安定供給に関する閣僚会議を立ち上げているが、これは茶番が極まっており、本気で農政改革をやるためには自民党内の人事に手をつけなくてはならない。
石破総理の動きを見ていると、ひょっとしたら次の首相ランキング上位にある小泉進次郎氏の息の根をここで止めるつもりなのでは、とも思えてくる。
小泉大臣を選挙の顔として期間限定で利用しつつ、選挙後は党内の農林族によってがんじがらめの状態に追い込み、実際には何も農政改革を出来なかった無能(しかも、党内で禁忌である農政に触れた)として政治生命を実質的に終わらせることを狙っているようにも見えるのだ。
そうだとしたら、石破総理の罪は本当に重いものだ。小泉「コメ劇場」という茶番で支持率を回復して、自らの政権を延命しながら、本当に必要な改革には何も手をつけない。これは国民に対する裏切りそのものだ。
また、筆者は「小泉氏は今回の農林水産大臣就任を受けるべきではなかった」と考える。同氏は自民党農林部会長時代に、日本の農政に関する闇とその力を痛いほど知ったはずだ。
それにもかかわらず、十分な政治的な支援が得られない状態で、農林水産大臣のポストを引き受けたことは、己の政治的な立身出世に目が眩んだのではないか。大臣ポストに釣られて、政治的に出来もしない農政改革に着手した見識の無さは極めて問題だ。
あまりに稚拙な政治をしていないか
環境大臣しか閣僚ポストをやったことがない総理候補などいないため、自分自身が総理総裁になる芽を残すために、早々に他の大臣ポストが欲しかったのであろうが、このような振る舞いはあまりにも軽率過ぎる。今後、待ち受ける政治的顛末は、農政改革を期待する国民にとって残念なものとなるだろう。
石破総理がやっていること、小泉大臣がやっていることは、日本という大きな船を動かすために、あまりに稚拙な政治だ。
安倍・菅時代であれば、何かを実行するための下準備、政府内人事・党内人事はしっかりと仕込んだ上で取り組んできた。(ちなみに、岸田前総理が、総理としてやりたいことが「人事」と言ったことに絶句したのは言うまでもない。それはそれで本末転倒だ。
今の自民党政治はつまらない党内権力闘争が主となっており、何かを実現するための政治、という要素が抜け落ちている。ビジョンなき政治家、そしてビジョンを実現する方法を知らない政治家が増えてしまった。農政改革に限らず、船頭なき日本の針路に不安を覚えざるを得ない。
文/渡瀬裕哉