
トランプがハーバード大学に攻撃を加えている。助成金を打ち切ったり、留学生の入国を制限する政策を行い、実際に留学生たちは当局から拘束されてしまう恐怖に怯えているという。
圧力こそがダイヤモンドを生む
李 今回の本で紹介したPol.isという仕組みは、台湾がUberを導入する時の議論に使われたテクノロジーなんですけども、「賛成」「反対」「どちらでもない」の意見を投入して、さらに論点を加えていくと、違うグループ同士でも、「ここだったら妥協できるね」という意見の一致が可視化されていくツールです。ウェブ上で無料で使えます。
ですから、いきなり国会で実用されることが難しくても、まずは学校や町の自治会で使ってもいいし、会社の会議で使ってもいい。そのように日常生活のレベルで、「対立する者同士で歩み寄るポイントを見つける」体験を共有していく。そうすれば、「分断を煽って敵を糾弾する」とか、「自分の信者を使って気に入らない人物を追い込む」みたいなことをする人たちが出てきた時の「免疫」になるのではないか。そういうささやかな希望を持っているんです。
三牧 Pol.isという台湾発のテクノロジー。社会運動から入ってきたオードリー・タンさんならではの発想ですね。目の前の現実的な問題に関して「どうすれば解決するのか?」というふうに考えないと、出てこないアイディアだと思います。
やはりアメリカとの対照を考えてしまいます。シリコンバレーの富裕者たちは、草の根的な社会運動にはシンパシーも関心もない。
トランプ政権に深く入り込んだマスクの場合、アメリカ航空宇宙局(NASA)の部局や人員を削減して、代わりに自身のスペースXを入れるといった具合に、利益相反にあたることまで公然としている。
彼らはよく「人類」を語りますが、人類を実際に危険にさらしている地球温暖化問題をどう解決するか、おしとどめるかといったことには関心がない。むしろ、「地球に住めなくなったら火星に行けばいい」と言い放つ。結局、「人類を誰も取りこぼさず救うために、皆の住処である地球をどう保全するのか」という普遍的な救済計画ではなく、「住めなくなった地球は捨てて、選ばれた自分たちだけをどう救うか」という、かなり選民主義的な計画を追求している。
マスクは民間人でありながら、政府効率化省(DOGE)のトップとして連邦政府の予算削減を進めてきました。そのマスクがまっさきに解体したのは、USAIDという人道支援の中核となってきた機関だったことは、彼が、現実世界に生き、苦しんでいる「人類」には関心がないことを象徴していました。
USAIDは途上国でHIV対策や食糧や水の支援などでどれだけの命を救ってきたかしれない。合理化はありえるとしてもまさか解体はないだろうと思っていたら、躊躇なくほぼ解体されてしまった。マイクロソフトのビル・ゲイツのように、こうしたマスクやトランプ政権の動きへの抗議として、ほとんどの財産を人道支援に使う動きを見せている富裕層もいますが、ゲイツより若い世代の富裕層は、こうした公共の意識を、偽善としても見せることをせず、「自分の金を、自分の利益や野心の追求のために使って何が悪い」という態度です。
こうしたアメリカの現状を見ていると「民主主義でもテクノロジーでも欧米が頂点で、どうやって欧米に近づくか?」ということを自明の前提としてきた議論の根本的な再考が必要だと感じます。
テクノロジーの在り方にしても、民主主義の在り方にしても、台湾はいよいよ今後、これからの世界を牽引していくモデルになり得るとも思うのですが、李先生のお考えはいかがでしょう。
李 テクノロジーで膨大な富を築いた人たちが、政治を利用して稼いでいく。それはまさに今回の本のタイトルに使った「テクノ専制」です。リベラルデモクラシーの世界のリーダーを自称していたアメリカが、民主主義を否定するような行動に出ているという、驚くべき状況。ただ先生がおっしゃるように、マスクがいきなり出てきたというよりは、2010年代ぐらいから徐々に欧米で、民主主義の価値だったり、実際の機能だったりというものが信じられなくなってきている状況はあったと思います。
そこで交代するかのように出てきた台湾、そしてエストニアやウクライナ、アイスランドもそうですけども、やはり周縁の小さな国ぐにが今、「テクノロジーを使っていかに民主主義をアップデートしていくか」という方向に舵を切っている。
オードリー・タンさんと対談した時、「圧力こそがダイヤモンドを生む」という詩的な表現をされていました。台湾はやはり中国からの圧力があった時に、「オープンな透明性のあるガバメント」という枠組みを選ばざるを得なかった。エストニアの場合は、ソ連が崩壊して既存のシステムが全く使えないので、まっさらな状態から始めざるを得ず、そこでテクノロジーを使って、旧ソ連とは違う民主主義的な仕組みを作る必要があった。
長いアメリカの世紀の終わり
李 そして日本も、日本なりの状況であったり環境であったりというものがあるので、欧米をありがたがる必要はない。欧米をありがたがらないというのは、民主主義とか人権を否定する意味ではなく、我々もそれを既に持っているので、見つけだして、育てていくということです。
今回の本で書いた、柄谷行人の「交換様式D」もそうですし、田中優子先生との対談で出てきた「江戸時代の俳諧の連」、E・グレン・ワイルさんが言及していた「日本科学未来館」や「カイゼン」の取り組みなど、日本ならではのPlurality(プルラリティ)や民主主義は、探せばここにあるんです。
欧米の秩序が自壊して、アメリカがリベラルデモクラシーの親玉でなくなっていく。我々はかなり抜本的な世界秩序の変化の時代にいるはずで、「政権与党が替われば暮らしも良くなる」というような話ではないと思います。もっと抜本的な変化、「これからどういう未来が来るか」ということを考える時代に来ているのです。
欧米もアメリカも凋落していく中で、世界はどうなっていくんですかね? 一部では「アメリカが世界の警察でなくなったら、各地で紛争が起きて、世界は危険な状態になる」という予測もあるんですけども、いかがお考えでしょうか?
三牧 今年で戦後80年です。トランプの2期目の就任演説の中で、非常にトランプ、そしてトランプを支持する人たちの心情や世界観を表していると思った一文が、
「アメリカは今まで世界に搾取されてきた」です。
むしろ私たちが見てきた戦後80年のアメリカは、巨大な力で好き放題やって、世界から好き放題搾取してきた、トランプがいう真逆の姿をしていますよね。でも被害者意識は、虚妄ですよ、と指摘したところでなくなるわけではない。
トランプを強固に支持している中西部のラストベルト(錆びれた工業地帯)を中心に、こうした被害者意識が強固に存在し、トランプの煽動によってさらに増幅され、トランプの岩盤支持を形成しているのです。
しかし客観的に見ればトランプ政権は、戦後80年間、アメリカの力の源になってきたものを破壊しようとしている。一番端的なのは、大学や学術機関への攻撃です。
世界の優れた人材がなぜ、ソ連や今の中国ではなく、アメリカに来て勉強したがるのか。やはりそれは、開放性や多様性があり、どんな国の人でもアメリカに来れば自由に発言や好きな研究ができるからです。
アメリカは豊かさだけではなく、自由や民主主義、そうした価値がきちんと尊重されているという信頼があったから、みんなアメリカを目指したわけですよね。結果として、アメリカが強制したわけではなく、世界の有望な若者たちが自分の意志で、学生として研究者として、アメリカにやってきた。
本国へ帰った人たちは、アメリカに特に強制されずとも、アメリカの豊かさや自由への好意的な印象を本国に持ち帰り、自然と本国の親米エリートになる。アメリカに残った人たちも、価値ある研究を続けたり、企業を立ち上げたりして、アメリカをさらに魅力的で豊かな国にしてきた。
そういうアメリカの力の源を、トランプ政権は自分たちの手で破壊している。トランプ政権は、ハーバード大学への助成金を凍結し、その分を労働者の職業訓練の予算に充てるという計画も表明しています。
支持層の労働者へのアピールなのでしょうが、大学への助成金を財源にしなくてもできることで、どこまで本腰を入れた政策かも疑問です。結局、労働者の喝采や一時的な支持を求めて、エリート大学を痛めつけ、分断された社会状況を生み出し、戦後アメリカの力や富の重要な源泉となってきた研究力やソフトパワーを自ら損なっている。
「ソフトパワー」という言葉を生み出した国際政治学者ジョセフ・ナイ教授が、5月に亡くなられましたが、ナイ教授が最後に書いた記事のタイトルが「『アメリカ』の世紀の終わり」(フォーリン・アフェアーズ誌)であったことは象徴的です。戦後80年間のアメリカのパワーの源泉がトランプによって破壊され、長いアメリカの世紀は、いよいよ終わろうとしている。このことへの強い危機感が表れたタイトルです。
『ネイチャー』の調査によれば、3月の時点で既に7割の科学者が国外に出ることを検討しているという状況でした。
ファシズム国家でファシズムの研究はできない
三牧 とりわけナイ教授が懸念していたのは、先ほど述べたUSAIDの解体です。確かにお金を使う話ですが、援助を受けた国の人たちは非常にアメリカを信頼しますし、そうして得られる無形のソフトパワーには、計り知れないリターンがある。そうした面を一切見ないで、「他国民に使う無駄なお金はカット」という無機的で短絡的な発想でトランプ政権は動いている。
アメリカを、旧ソ連や中国といった権威主義国とは違うものにしていた価値がいよいよなくなり、「アメリカの世紀」は終わる。その道を今、歩み出しているわけですよね。
対照的に台湾ではタンさんが、中国という権威主義国の隣にあって、その圧力に対抗するために「透明性のある民主主義」というところに戦略的に賭けている。非常に重要な視点です。かつてのアメリカもそういう視点を持っていました。
ソ連が非常に権威主義的で閉鎖的、だからこそ我々アメリカは民主主義を大切にし、開放路線でいく。その姿勢がアメリカを強くし、魅力的にしてきた。中国が人権侵害や閉鎖的な政策をとっていても、我々は違う。中国の学生も受け入れますと。
李 最近だと、ティモシー・スナイダーをはじめとしてイェール大学の教授3名がトロント大学に移りました。スナイダーが逃げるってすごい損失ですけどね。でも、ティモシー・スナイダーも妻のマーシ・ショアも、ファシズム研究という専門分野的にやはり耐え難いでしょう。ギャラリーアイコン
三牧 もう1人、イェール大学からトロント大学へ異動したジェイソン・スタンレーも、「ファシズム国家でファシズムの研究はできない」と述べていました。トランプの任期は4年ですが、「トランプ的なもの」は残存し続ける。そうした長期的な危険を考えての苦渋の選択だったのでしょうね。
6月14日、ちょうどトランプの誕生日だったわけですが、米陸軍創設250周年を祝う軍事パレードが首都ワシントンD.C.で行われました。「民主主義国アメリカは、権威主義国のように軍事力を誇示すべきではない」という抑制的な観念が共有され、長らく軍事パレードは行われてこなかったところ、実に34年ぶりの開催でした。
この同じ日に「ノー・キングス」デモが全米各地2100か所以上で起こり、500万人規模を動員しました。アメリカは王政を否定して誕生したのに、トランプはまるで王のように振る舞っているということで、全米で人々が「NO KINGS!(王はいらない)」と声を上げた。アメリカでも、みんながみんな「トランプのアメリカ」でいいと思っているわけではない。
アメリカが衰退するだけでなく、権威主義化している中で、我々日本も、どうやってそんな世界で民主主義の命脈をつないでいくか、ということを考えなければいけない局面に来ていると思います。
改めて「普遍主義」の意味を問う
李 そうですね。欧米を追いかけなくても、我々には我々の思想があります。ただ日本の哲学や思想ってちょっと危険、と言ったら研究者の方に失礼かもしれないですけど、戦時中に大東亜共栄圏の構想を肯定するために使われた歴史があります。そういう危険性ももちろんあるんですけども、でもそれだけではなくて、先ほども述べたような「日本のPlurality(プルラリティ)」といえる思想や文化が、ささやかながら存在しています。
三牧 私も、そもそも研究者を志した頃は、戦前日本の知識人の平和観を研究していました。1930年代に首相を務めることになる近衛文麿が、第一次大戦後のパリ講和会議が間近に迫る中で執筆した「英米本位の平和主義を排す」という論文があります。
国際平和の実現を掲げて、史上初の普遍的な国際組織として国際連盟が、当時のアメリカ大統領のウッドロー・ウィルソンが中心となって、欧米主導でつくられたけれど、日本人としては、欧米が唱道する「普遍」や「平和」を鵜呑みにして、そのまま賛同することはできない、そう近衛は警告しています。
実際、国際連盟の規約を見ると「人種平等」も書いていないし、欧米が植民地を支配している状況も追認している。「日本人は、欧米が掲げている普遍主義が実は御都合主義であるところを見抜いて、日本人の立場から、どのような普遍主義を求めるかを発信しなければいけない」といった趣旨のことを、近衛文麿は言っている。その思考の型がすごく面白いと思ったんです。
その後アメリカ研究を始めてからも、この視座は生きていて、アメリカ人が語る「普遍」を批判的に研究してきました。アメリカは普遍的な理念を語るのが大好きなんですけども、往々にしてそこには非欧米世界は含まれていない。
アメリカの歴史というのは、普遍的な理念をずっと語っていたけれど、そこに含まれていない人がたくさんいて、「女性が入っていないではないか」ということで女性参政権の運動が起こり、「黒人が入っていないではないか」ということで公民権運動が起き、常に「普遍」の内容を更新してきた。
しかし、国際社会については、こうした「普遍」の更新は停滞している。「法の支配」や「人権」を掲げていても、アフガニスタンやガザのように、欧米によって、あるいは欧米に幇助された存在によって「法の支配」も人権も踏みにじられている国・地域がたくさんある。いよいよ欧米が語る「普遍」の欺瞞が誰の目にも明らかになる今、それでも普遍的な理念を手放さないために、異なるアプローチが必要になっているように思います。
今回、『PLURALITY』を書くにあたって、タンさんはそのような欧米の状況に対するカウンターとして書いたのかどうか。私は、反欧米、といった要素はあまり感じずに、純粋に普遍的な価値を探究しているような印象を受けたのですが、そのあたりはいかがですか?
李 やはり対欧米というよりは、独自の価値観を見出そうとして書いたのだと思います。というのも『PLURALITY』の最後のあたりに、これから我々が学ぶべき文化として、「アメリカ、EU、中国」と三つの異なる文化圏を併記しているんです。「Pluralityは、これらの国々・地域の達成から謙虚に学んでいける」というふうに。だから何かに対するカウンターというより、多元的に学んで、独自の価値を出していこうとする試みだと思います。
オードリー・タンさんのポジションってかなり微妙というか、薄氷を踏むように、中国というまさに今迫っている脅威に備えつつ、下手に刺激しないように、オープンで人々が協働する民主主義を広めていこうとしている。それはものすごく神経を使う作業で、本当に慎重に言葉を選びながら、人々をエンパワメントしていく感じだと思います。
もう一人の著者のE・グレン・ワイルさんは、もうはっきりと「今や欧米はビジョンを世界に提示できていない」と言っています。そして僕たちに対するリップサービスだと思うんですけど、「これからは日本みたいな国が、欧米的な民主主義とは違う民主主義のビジョンを生み出していってほしい」と言っていました。半分はリップサービスだとしても、模倣するだけではない民主主義を、自分たちで目指さなければいけないことは確かです。
構成/高山リョウ 撮影/内藤サトル
PLURALITY 対立を創造に変える、協働テクノロジーと民主主義の未来
オードリー・タン (著)、 E・グレン・ワイル (著)、 山形浩生 (翻訳)、⿻ Community (その他)
世界はひとつの声に支配されるべきではない。
対立を創造に変え、新たな可能性を生む。
プルラリティはそのための道標だ。
空前の技術革新の時代。
AIや大規模プラットフォームは世界をつなぐと同時に分断も生んだ。
だが技術は本来、信頼と協働の仲介者であるべきだ。
複雑な歴史と幾多の分断を越えてきた台湾。
この島で生まれたデジタル民主主義は、その実践例だ。
人々の声を可視化し、多数決が見落としてきた意志の強さをすくい上げる。
多様な声が響き合い、民主的な対話が社会のゆく道を決める。
ひるがえって日本。
少子高齢化、社会の多様化、政治的諦観……。
様々な課題に直面しながら、私たちは社会的分断をいまだ超えられずにいる。
しかし、伝統と革新が同時に息づく日本にこそ、照らせる道があると著者は言う。
プルラリティ(多元性)は、シンギュラリティ(単一性)とは異なる道を示す。
多様な人々が協調しながら技術を活用する未来。
「敵」と「味方」を超越し、調和点をデザインしよう。
無数の声が交わり、新たな地平を拓く。
信頼は架け橋となり、対話は未来を照らす光となる。
現代に生きる私たちこそが、未来の共同設計者である。
アメリカの未解決問題
竹田 ダニエル 三牧 聖子
今、もっとも注目されるZ世代ジャーナリストと、アメリカを語るうえで欠かせない研究者が緊急対談!
民主主義の真実〈リアル〉とは?
メディアの偏見〈バイアス〉とは?
ドナルド・トランプが再選された2024年の米大統領選挙と並走しながら、米国を見つめてきた論客が対話。
超大国のリアルと、山積する“未解決問題”について議論する。
「反ユダヤ主義」には過剰反応しつつイスラエルのジェノサイドを黙認する大手メディアの矛盾、中国やロシアの言論統制を糾弾しつつ米国内のデモ取り締まりは擁護する自国の民主主義への絶望――。
今、アメリカの価値観は一体どうなっているのか。
日本が影響を受けざるをえない国の分岐点と未来、そして新たな日米関係のあり方が見えてくる一冊。
【目次】
はじめに――カマラ・ハリスの敗北で「リベラルは終わった」のか?
第1章 日本から見えないアメリカ
第2章 バイデンはなぜ嫌われたのか?
第3章 世界の矛盾に気づいたZ世代の抵抗
第4章 ポスト・アメリカン・ドリームの時代に
第5章 日米関係の未解決問題
第6章 これからの「アメリカ観」
おわりに
テクノ専制とコモンへの道 民主主義の未来をひらく多元技術PLURALITYとは?
李 舜志
しかし、オードリー・タンやE・グレン・ワイルらが提唱する多元技術PLURALITY(プルラリティ)とそこから導き出されるデジタル民主主義は、市民が協働してコモンを築く未来を選ぶための希望かもしれない。
人間の労働には今も確かな価値がある。あなたは無価値ではない。
テクノロジーによる支配ではなく、健全な懐疑心を保ち、多元性にひらかれた社会への道を示す。