
市民による政治参加とテクノロジーを結びつけた台湾の政治家、オードリー・タン。公正な市場と民主主義を結びつけ、私的所有に切り込んだ経済学者、グレン・ワイル。
「象徴」と「鬼才」による快著
オードリー・タンとグレン・ワイルによる『PLURALITY 対立を創造に変える、協働テクノロジーと民主主義』は、政治思想史を研究する筆者にとって、まさに快著である。二人の天才が、ぐっと自分の近くにまで来てくれたというのが、本を読んでの最初の感想である。
もちろん二人の仕事には、これまでも強い関心を抱いてきた。オードリー・タンは、市民による政治参加とテクノロジーを結びつけた、まさにシビック・テック理念の象徴であるし、グレン・ワイルは公正な市場と民主主義を結びつけ、私的所有に大胆に切り込んだ鬼才である。濃淡こそあれ、親しみと敬意を感じてきた二人の著者が手を組んで書いた真の共著、しかも二人をつなぐのは『なめらかな社会とその敵』の著者である鈴木健とあれば、本を開いたときにときめきのようなものを感じたとしても、軽薄とそしられることはないだろう。
しかしながら、驚いたことに、本を読み進めていてまず出会ったのは、筆者が長年研究してきた思想家アレクシ・ド・トクヴィルである。地方自治などの活動を通じて、市民が日常的に協力し合い、地域の課題を自ら解決していくことが民主主義の礎となると説いた一九世紀フランスの思想家が、本書では当然のように登場する。
「深く多様で、非市場的で分散化した社会市民的なつながりがないと、民主主義は機能しないのだ」(同書39頁)。
筆者自身、トクヴィルが民主主義社会の鍵であるとしたアソシエーション、すなわち個人の自発的意思に基づく社会的結合を現代的に生かすものとして、ファンダムの原理に着目している。デジタル民主主義を支えるためにも、リアルな人間関係の活性化が不可欠であろう。
実験を許すのが民主主義社会である
次に着目したのは、筆者がやはり研究してきたアメリカの思想家ジョン・デューイへの言及である。民主主義とは、人々が多様な社会的実験をすることを許す社会にほかならない。
答えのない時代だからこそ、多様な個人のイニシアティブによる実験が必要であり、それを許すのが民主主義社会である。このように説くプラグマティズムの理論家デューイは、現代においてまさに注目すべき思想家であると筆者は考えている。本書ではさらに、デューイのもとで学んだ中華民国の哲学者である胡適を通じて、その理論が台湾の教育政策に深く影響を及ぼしたことが強調されている。
その意味でデューイがまさに、アメリカと東アジアの国々をつなぐ大切な思想家であることも、本書の大切なメッセージである。民主主義をめぐる太平洋を超えた対話が期待される(トランプ時代だからこそ、なおさら)。
そして何より、『PLURALITY』というタイトルにもなっている「多数性(複数性)」の概念を鮮やかに示したのは、ハンナ・アーレントである。筆者は『全体主義の起源』や『人間の条件』などアーレントの著作を、大学院の演習などで繰り返し読んできた。
人間の生の根本的な条件を、平等な他者とともに存在する複数性に見出したアーレントは、筆者の思考をつねに刺激し、突き動かしてきた思想家の一人である。人が複数存在するからこそ公共性が生まれ、そこに言葉の力を介して政治の営みが始まる。
社会的差異は対立を生み出すが、もしテクノロジーを介して適切に協力関係を築くことができれば、それは社会にとってマイナスではなく、むしろ進歩を生み出す原動力となる。
アーレントの思想を魅力的な現代的概念として甦らせた二人の知的営為は、「コラボレーション」という言葉と共に、私たちの未来を切り開くだけのパワーがあると思う。複数の主体の間の緊張に満ちた関係に着目する「多数性(複数性)」を今こそ強調したい。
民主主義の再生のカギはテクノロジーの支援
筆者は「Plurality」の前提になっている危機意識を深く共有する。人工知能は中央集権化されたトップダウンの統制を強化し、ブロックチェーンは人々を孤立させ、過激な見方に走らせるかもしれない。さらに、専制主義勢力はSNSなどを利用して、民主主義国家内部の分断や紛争を煽り立てている。その意味で、現代世界において優位に立つのは、テクノクラシーとテクノ・リバタリアンの影響ばかりなのかもしれない。
しかし私たちは無力ではないはずだ。テクノクラシーとテクノ・リバタリアンに対抗して、今こそデジタル民主主義のポテンシャルを活性化すべきなのではなかろうか。民主主義を再生させるために、私たちは今こそ力を合わせなければならないが、本書はそのための勇気を与えてくれる。
多数性(複数性)を否定しようとする権威主義に対して、私たちは戦っていかねばならない。そのためにはテクノロジーに支えられた政治的思考が不可欠である。本書をそのための宝箱として活用する読者が一人でも増えることに期待している。
文/宇野重規
PLURALITY 対立を創造に変える、協働テクノロジーと民主主義の未来
オードリー・タン (著)、 E・グレン・ワイル (著)、 山形浩生 (翻訳)、⿻ Community (その他)
世界はひとつの声に支配されるべきではない。
対立を創造に変え、新たな可能性を生む。
プルラリティはそのための道標だ。
空前の技術革新の時代。
AIや大規模プラットフォームは世界をつなぐと同時に分断も生んだ。
だが技術は本来、信頼と協働の仲介者であるべきだ。
複雑な歴史と幾多の分断を越えてきた台湾。
この島で生まれたデジタル民主主義は、その実践例だ。
人々の声を可視化し、多数決が見落としてきた意志の強さをすくい上げる。
多様な声が響き合い、民主的な対話が社会のゆく道を決める。
ひるがえって日本。
少子高齢化、社会の多様化、政治的諦観……。
様々な課題に直面しながら、私たちは社会的分断をいまだ超えられずにいる。
しかし、伝統と革新が同時に息づく日本にこそ、照らせる道があると著者は言う。
プルラリティ(多元性)は、シンギュラリティ(単一性)とは異なる道を示す。
多様な人々が協調しながら技術を活用する未来。
「敵」と「味方」を超越し、調和点をデザインしよう。
無数の声が交わり、新たな地平を拓く。
信頼は架け橋となり、対話は未来を照らす光となる。
現代に生きる私たちこそが、未来の共同設計者である。
実験の民主主義 トクヴィルの思想からデジタル、ファンダムへ
宇野重規 著/若林恵 聞き手
テクノ専制とコモンへの道 民主主義の未来をひらく多元技術PLURALITYとは?
李 舜志
しかし、オードリー・タンやE・グレン・ワイルらが提唱する多元技術PLURALITY(プルラリティ)とそこから導き出されるデジタル民主主義は、市民が協働してコモンを築く未来を選ぶための希望かもしれない。
人間の労働には今も確かな価値がある。
テクノロジーによる支配ではなく、健全な懐疑心を保ち、多元性にひらかれた社会への道を示す。