
ここ数年、テレビドラマの“主戦場”が地上波からネット配信へと移ったのは、もはや周知の事実だ。Netflixの『地面師たち』や『全裸監督』『今際の国のアリス』『極悪女王』、Amazonプライム・ビデオの『私の夫と結婚して』『笑ゥせぇるすまん』、Disney+の『ガンニバル』など。
地上波では不可能なスケールと表現を持つ作品が次々と登場し、世界へ配信されている。映像クオリティや脚本の密度、テーマの深さ、そして何より“スポンサーへの忖度不要”な自由度──ドラマの分野では、地上波はすでに配信に追い抜かれた感がある。そして今、その波がバラエティにも押し寄せている。
バラエティ番組もネット配信が最強の時代に?
かつてネット配信限定のバラエティといえば、Amazonプライム・ビデオ(アマプラ)の『HITOSHI MATSUMOTO presents ドキュメンタル』が代表格だった。しかし現在はそれだけでなく、数多くのオリジナルバラエティが制作されている。
たとえば、昨年アマプラで配信された『KILLAH KUTS』は、『水曜日のダウンタウン』を手掛ける藤井健太郎プロデューサーが指揮を執り、地上波では実現不可能な過激企画を展開。麻酔薬をエンタメに持ち込んだ演出は、公益社団法人日本麻酔科学会から抗議を受ける事態にまで発展した。
それでも、このエピソードはお蔵入りせず、今も配信中だ。さらに、東野幸治がMCを務める『最続王 続きが気になる実話』では、不祥事でテレビから姿を消した元ジャングルポケットの斉藤慎二出演回もそのまま配信されている。
こうした“強気”が可能なのは、収益構造の違いにある。地上波はCMによる広告収入が前提で、スポンサーや広告主への配慮が不可欠だ。一方、ネット配信は視聴者からのサブスクリプション料が基盤。スポンサー企業に忖度することもなく、視聴者に向けて制作者の意図を貫ける。
そんななか、今年8月1日に配信が始まった『トモダチ100人呼べるかな?』は、ネット配信バラエティのスケール感を象徴する作品だ。
芸能人3人が自分の人脈を駆使して100人の友人を集め、最大1億円の賞金を懸けてゲームに挑むという破格の企画。招かれた友人たちは何も知らされないまま部屋に集められ、仕掛けや裏切りが次々と展開される。
MCはバナナマン・設楽統とバカリズム。プレイヤーとしてさらば青春の光・森田哲矢、河合郁人、Mattなどが参加し、“友人枠”として黒夢の清春、若槻千夏、ウエンツ瑛士、前田敦子、亀梨和也、さらには木村拓哉まで登場した。地上波では到底実現し得ないスケールと構造を、配信はあっさりと形にしてみせたのだ。
木村でさえ、セットの豪華さとカメラ台数から、この番組がただならぬ企画であると直感していたという。また、MCの設楽も自身のラジオ番組で「規模感がエグい」と感想を漏らしていた。
背景には、狙う指標の違いもある。地上波は放送倫理や企業イメージの保持に加え、“ある程度”の視聴率を取れば合格という安全志向が強いため、既視感のある企画が好まれやすい。
対して、NetflixやAmazonなどの配信は評価基準が「視聴者の満足度」に直結しており、尖った企画が当たれば世界規模で回収することも可能。逆に埋もれる企画ならば初めからやらない。
地上波バラエティとネット配信バラエティの根本的な違い
結果として、平均65点を積み重ねる地上波と、0点を恐れずに100点を狙うネット配信に二極化。しかもネット配信は0点を取っても大きく叩かれず、100点を出したときだけ強烈に注目される。
「日本のバラエティが世界規模?」と疑問を持つ人もいるだろう。確かに『トモダチ100人呼べるかな?』は日本の芸能人を知らなければ楽しめない。しかし、同じフォーマットを各国版に置き換えることで、海外でも成功例を持つ企画を各国に届けられる可能性がある。これにより、ネット配信は世界市場での競争力も高まる。
こうすることで、同じフォーマットかつ、すでにほかの国で大成功している事例をもってして、より改良版を全世界にお届けできる。
さらに企画設計にも大きな違いがある。配信バラエティはSNS拡散や切り抜き映像の利用を前提としており、テレビ的な「前振り→CM→引っ張り」の構成は不要。一気見できるテンポ感を重視し、結果として視聴満足度も高くなる。
ネット上では今回の『トモダチ100人呼べるかな?』に対して多くの称賛の声があがっていた。
「地上波では予算的にも出演者的にも絶対作れないバラエティ」
「期待してなかったけど、日本の配信バラエティで1番面白かった」
「令和の時代に最高のバラエティをありがとう」
もちろん、地上波にも生きる道はある。現状、配信バラエティの多くは地上波的な文脈の延長線上にあり、テレビ文化を知っているからこそ楽しめる部分が大きい。
また、過激なだけがよいわけではなく、65点前後のマイルドな番組を求める層も根強い。スポンサーや放送倫理を通す安心感は視聴者の信頼にもつながっている。
しかしネットバラエティが拡大するにつれ、地上波とネットの棲み分けはより明確になり、地上波はよりマイルドで安全な方向に進むしかないだろう。
特に現在、地上波はスポンサー収益によるモデルが限界を迎え、ドラマのような“お金を生み出せるコンテンツ”に注力せざるを得ない状況にある。映画化や関連商品化が見込めるドラマを制作し、そこで収益を上げることが求められるため、バラエティ番組には十分な力を注ぎにくい。
一方でネット配信は、ドラマでもバラエティでも、新規ファンをどれだけ呼び込めるかが重要で価値は同じ。視聴者に「見たい」と思わせるコンテンツだけを制作すればよく、ジャンルの垣根なく力を入れられる柔軟性を持っている。
もしかすると、バラエティ番組は、ドラマよりも先に地上波からフェードアウトしていくかもしれない。
取材・文/集英社オンライン編集部