「生まれてくるのは犯罪者の子ども」それでも私は生むべきか…突然消えた実父が逮捕、妊娠中の女性が「子どもの未来」を考えた末の涙の選択とは
「生まれてくるのは犯罪者の子ども」それでも私は生むべきか…突然消えた実父が逮捕、妊娠中の女性が「子どもの未来」を考えた末の涙の選択とは

妊娠するも相手に逃げられてしまった、中学生で妊娠してしまった、気がつかないまま臨月だった…。望まない妊娠、望まれない妊娠。

 家庭環境、経済的事情、心の問題、そして社会からの孤立。さまざまな理由で「子どもを育てる」という選択ができなかった女性たちがいる。本稿では、母親であることを手放さざるえなかった彼女たちの声を拾い、その決断の背景にある葛藤と現実に目を向けていく。 

「娘を赤の他人にした方が彼女にとって幸せなんじゃないか…」

2012年まで日本での特別養子縁組の成立件数は、年間300件台と横ばいであった。その後、2013年には474件と増加するも、以降は100件程度の増減を繰り返すにとどまっている。

2017年に厚生労働省の検討会が公表した「新しい社会的養育ビジョン」では、5年間で3歳未満の里親委託率75%、特別養子縁組を年間1,000件の目標が掲げられているが、実現にはなお課題が残っている。

今回は、自身の子を出産しながらも特別養子縁組に子を出すことを選んだ一人の女性の10年に及ぶ記憶をたどった――。

埼玉県在住の加藤智香さん(43歳・仮名)。彼女は自ら特別養子縁組の選択をした女性だ。

智香さんは10年前、都内のバーで出会った男性と交際をスタート。智香さんが31歳、相手(Tさん)が40歳。結婚は考えていなかったものの「子どもが欲しい」という気持ちは相手と同じだった。

「子どもができたら入籍しようと、まず妊活をはじめました。

幸い、すぐに妊娠することが出来て、出産までに両親への挨拶や入籍をひとつひとつこなしていこうと考えていました」

妊娠4か月に入った頃。急にパートナーであるTさんと連絡が取れなくなる。電話も繋がらず、LINEも一切返ってこない。

「共通の飲み仲間にも彼の行方を聞きましたが、誰も知らなかった。捜索願を出そうにも、入籍していないから何もできない。なんだか悪いことが起こるような胸騒ぎがしました」

そんな時、仕事中に知らない番号から着信があった。

「番号を検索すると警察であることがわかりました。仕事を終えた18時に折り返すと、彼がある事件で勾留されていると聞かされました。行方不明か、事故に巻き込まれていると思っていたので、聞かされた時はすごく動揺しました」

2週間後、警察に呼ばれて、Tさんが詐欺で逮捕されていたことを聞く。

「私は彼から飲食店などを複数経営していて、社長だから事務仕事が多いとしか聞いていませんでした。半同棲みたいな状態で、朝仕事に行って夜遅く帰ってくる生活。

でも、彼は出産をとても楽しみにしていて、子どものためにお互い毎月10万円ずつ貯金していました。
そんな彼が詐欺をしていただなんて、本当に信じられませんでした」

子どものために使おうと貯めていた共同の口座があったことで警察から「本当に(詐欺を)知らなかったのか?」と、繰り返し聞かれた智香さん。

「警察から『Tは釈放されるかもわからないから、いつ帰ってくるかもわからない』と聞かされました。無罪を信じて彼を待つべきかどうか考えましたが、当時つわりがひどかった私は子どもと自分のことでいっぱいいっぱいでした」

智花さんがネットで「逮捕」について調べれば調べるほど、彼はきっと有罪なのだろうと悟ったという。

「だんだん彼に対する愛情は冷めていきました。待つことも多少は考えていたけど、もし出所できても元の関係には戻れない。出産することは現実的ではないのかもしれない…と思い始めました」

産みたい。育てたい。でも“犯罪者の子ども”にしたくない

定期検診で「入籍がなくなり堕ろすことを考えている」と医師に相談すると、産婦人科医は中絶について何も意見しなかったが「なるべく早く決めるように」といい、子どものエコー映像を見せた。

「先生が『ここが顔だよ』と見せてくれました。そう言われると決断が揺らぎました…。正直、金銭的な問題はなかったので、中絶を決められないということは、出産するべきなんだ…と、産むことを決めたんです」

しかし、そう決意した智香さんの頭によぎったのは“生まれてくる子は犯罪者の子ども”であるということだった。

「彼も子どもを望んでいたから、もし釈放されたら、私達を探すかもしれない。

そうなったとき、私がどんなに拒絶しても、認知や彼に親権をもたれてしまう可能性がある。そうなると子どもは“犯罪者の子ども”になってしまう。

当時の私は親族の犯罪歴を調べるような職場で働いていたので、父親に犯罪歴があると娘の未来を狭めてしまうかもと思ったんです。産むことを決めたのに『この子は自分の子どもであることが本当に最善なのだろうか?』という疑問が生まれてきました」

娘と一緒に暮らしたいと思う一方、怯えながら生活していく未来も容易に想像できたと当時の心境を吐露した。

「地方で育てる・児童相談所に預ける・海外に行く…自分で育てる選択肢はいくつもありました。でも結局どの選択をしても、私の戸籍に入れる以上、彼に子どもが見つかってしまう可能性がある。

見つからなかったとしても、成長した子どもに父親のことを聞かれたらなんて答えていいのかわからなかった。

そうこう考えていたら、無責任に思われてしまうかもしれないけれど、この子は私とはまったく別の場所で生きていった方がいいのではないか? と思うようになりました」

「育てられる自信がなかったのか?」と問うと彼女はまっすぐな目で力強くこう返した。

「育てる自信があるないなんて関係ないんですよ。実際に自分の貯金と、安定した仕事もあったし、金銭的な問題だったら、いくらでも自分で解決できた。子どものためならとにかく働いて不自由な思いを子どもには絶対にさせない。泥水を飲んだって子どものためならなんだってしますから。


ただ“父親が犯罪者”という事実が一生付き纏うということだけが嫌だった。それだけは私の努力ではどうすることもできなかったから」

最後まで問われた覚悟と、別れの瞬間

子どもの人生を守る手段を探し続けた智香さんは、悩みに悩んで妊娠8か月の頃に特別養子縁組にたどり着く。あるNPO法人に電話相談すると心の揺らぎを試されるように、何回も引き止められた。

「もう私の中では養子に出すと決めていましたが『親は? 行政は? どうしても自分で育てられないの?』と何度も止められるんです。『後悔しない?』って。その度に息が詰まりました。

でも、頭によぎるのはまだ顔も見たことのない子どもの安全な生活と笑顔。たくさん悩んで自分でもう決めたことだから『お願いします』と伝えました」

妊娠9か月に入った頃、NPO法人の勧めもあり彼女は妊婦専用のシェルターへ拠点を移す。子どもを無事出産して養子に出すという同じ目標を持った仲間と共に出産を乗り越えた。

「一般的な病院で出産する場合、周りは“普通に子どもを育てられる”ママたちしかいないし、母子同室だったから子どもの顔を見るたびに気持ちが揺らぎそうでしんどいなって思っていました。だったら養子に慣れている病院で産めるほうがいいなと。

産後はシェルターで過ごしつつ、子どもにはいつでも会える環境でした。そして1週間後かな。

夜中にシェルターの人に呼ばれ『明日子どもが養親さんのところに行くよ』と言われてサインをしました」

 一人になったときにはじめて流した涙

そこからは子どもを養親に渡して、彼女の母親としての役目は終わった。

「正直、署名した後も同じ施設内にいたから実感はなかったんです。でも翌朝、子どもが養親の車に乗ったのを見て冷静に“本当に行くんだな…” と感じました」

「悲しくはなかったんですか?」と問うと、彼女は言葉を詰まらせながらこう答えた。

「決意を固めていましたし、周りには私と同じような意志の妊婦がいましたから。でも、夜に一人でお風呂に入った時に『もういないんだなぁ』って涙が止まらなかったのを覚えています」

智香さんの気持ちに折り合いがついたのは、子どもを引き渡して2か月後。裁判所からの呼び出しがあり、調査官と面談し、特別養子縁組の承諾書にサインをした時だった。

「調査官から最後に何回も引き止められました。『本当にいいの? 後悔しない?』って。でも散々悩んで自分で決めたこと。私の努力では、父親が犯罪者である事実は変えてあげられない。

署名捺印をして、私が子どもにしてあげられることは全て終わった…と思いました」

「もう何年も前の話ですから」と言いながらも、目を赤くさせ少し声を震わせながら「絶対に後悔しない。泣かない。

子どもの未来が優先」と言い聞かせるように語った。

少しの沈黙の後、彼女は「でも…」と口をひらく。

「2年前にも子どもに会っているんです。私の選んだ団体は養子に行った子どもとの交流が認められてるので。戸籍状の関係は他人になってしまうんですが、アルバムをもらったり子どもが希望すれば“産みの親”として会うことも出来るんです。養親との関係も良くて私は恵まれていると思いました」

智香さんは最後に少し声を明るくさせてこう話した。

「よそ様の子どもになって生活しているけど、養親と仲良く暮らしをしていることや笑顔を見て安心しました。

また次に会えるタイミングのときに、恥ずかしくない大人で私はいなきゃいけない。自信を持って会えるように生きていこうって思えるのは生まれてきたあの子のおかげですね」

彼女の表情は決して暗くなかった。未来に目を向けて決断し、今も歩みを止めない智香さんは凛とした表情で部屋をあとにした。

取材・文/伊藤樹莉

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