
代表作『ゲゲゲの鬼太郎』で知られる漫画家・水木しげると、『アンパンマン』の生みの親として知られる漫画家・やなせたかし。2人はいずれも戦前の大正時代に生まれ、戦争経験の果てに戦後、数多くの名作を世に生み出してきた漫画界の巨匠だ。
激戦地・ラバウルで敵の奇襲に遭い、左腕をなくした水木と、中国戦線で飢えの苦しみの末に死線をさまよった、やなせ。2人の漫画家の戦争経験と戦争観はいかに作品に反映され、朝ドラでは彼らの戦争をどう描いたのか―徹底比較した。
2人の偉大な漫画家
水木しげるとやなせたかし。
2人はいわずもがな、戦後数多くの名作を世に送り出した日本漫画界の巨匠だが、いずれも作風やテーマは大きく異なる。
水木は『ゲゲゲの鬼太郎』や『悪魔くん』『河童の三平』など妖怪をテーマにした作品が多く、それを通じて人間の弱さや愚かさ、また共存の可能性など社会問題にも切り込んだ深いテーマを扱っている。
一方のやなせは、代表作『アンパンマン』のほか、童謡『手のひらを太陽に』の作詞、絵本『チリンのすず』など、愛や勇気をテーマに、子ども向けの優しく愛情あふれる作風が大きな魅力となっている。
そんな2人の共通項といえば、いずれも大正時代に生まれ、太平洋戦争で戦地に赴いた“戦争経験”が作品に大きな影響を与えている点だ。
太平洋戦争時、水木は日本海軍の重要拠点であり激戦地であった南方のオーストラリア領ニューブリテン島ラバウルに派遣された。その際、敵の奇襲に遭い、部隊は全滅。水木は九死に一生を得るが、左腕を負傷し、麻酔なしで切断手術を受けた。
妖怪漫画家として知られる水木だが、終戦後は自らの戦争体験をつづった『総員玉砕せよ!』や『水木しげるのラバウル戦記』ほか『劇画ヒットラー』など数多くの戦争漫画を世に送り出した。
一方のやなせは、陸軍として中国に出征。戦時中は現地の人々に日本の政策を紙芝居で説明する宣撫活動などを行なっていた。
しかし終戦間際で上海に移動中、中国軍の奇襲を受けたほか、マラリアに感染したり、食糧不足から草を食べて飢えを凌いだこともあった。さらにこの戦争で海軍に所属していた最愛の弟・千尋を亡くした。
自らの戦争体験を生々しく描く水木の戦記作品とは異なり、やなせの場合は、飢えることの辛さや戦中戦後で大きく逆転した“正義”の在り方など、戦争経験の果てにたどり着いた価値観が『アンパンマン』やその歌詞などにも濃密に反映されている。
『あんぱん』と『ゲゲゲの女房』
さらに2人の共通点といえば、それぞれの妻をヒロインに据え、その半生が朝ドラ化したことだ。
現在、やなせたかしとその妻・暢をモデルに描いた朝ドラ『あんぱん』が話題だが、それに伴い、水木しげるとその妻・武良布枝をモデルにした2010年度前期『ゲゲゲの女房』にも再び注目が集まっている。
朝ドラ2作品ではそれぞれの“戦争”をどう捉え、描いたのか―。朝ドラ評論家の半澤則吉氏に話を聞いた。
「2作品は、同じ漫画家の妻をヒロインに置きながらも、かなり意味合いの異なる作品です。『ゲゲゲの女房』の場合、水木しげるが戦争で腕を失う回想シーンはあったものの、あくまでどう漫画家として大成し、それを妻がどう支えたかが主軸の物語です。
一方の『あんぱん』は、妻・のぶを主軸に、戦時下は軍事教育側に回り、終戦後にやなせさんと一緒になることで何を感じ、“逆転しない正義”に行き着くかの物語となっています」(半澤氏、以下同)
その上で、戦時下のシーンにかなりの長尺を割いたのが『あんぱん』だ。約2週間、ヒロイン・のぶをほとんど登場させず、嵩目線で戦時下のシーンが続いたことが放送時、かなり話題となった。
「やなせさんの作品に『チリンのすず』という絵本があります。狼に母を殺された子羊のチリンが敵である狼にあえて弟子入りし、成長を遂げたチリンの悲しき復讐劇を描いたものです。
これが朝ドラの戦時下シーンでは、日本兵の岩男と中国の少年・リンの物語として展開されていたと半澤氏は分析。その結末には、ネット上でも「リンはチリンではないか?」などの推察が生まれたほどだった。
「戦争のイメージが強い水木さんと違い、やなせさんの場合は作風の柔らかさなどもあり、戦争のイメージからは遠い。だからこそ、彼の作品の裏側に戦争体験があったということを朝ドラで描いた意義は大きかったと思います」
水木の戦記漫画へのこだわり
一方、水木しげるに関しては、「実体験も交えて、こんなにもしっかり戦争を描いた漫画家はこれまでいないのではないか」と半澤氏は高く評価する。
水木の戦記漫画へのこだわりは、『ゲゲゲの女房』のこんなシーンからも垣間見れる。
戦後、上京し貸本漫画家として作品づくりに没頭する茂。だが、手掛ける戦記漫画に対し、出版プロデューサーの浦木から「お前の描く暗くて惨めな戦争漫画では、読者はついてこない。もっと勇ましく描け!」と主張され、茂はこう反論する。
“都合よく弾が飛んできて、派手な空中戦をやって、食いもんに困ることもない。あげな都合のいい戦争があるか!”
「美化された戦争ではなく、体験に根差したリアルな戦記物を描くことへのこだわりが溢れた重要なシーンでした。浦木の言う通りにしていれば、貧乏な生活を変えることができたかもしれないのに、それをしなかった。戦争とは惨めなものだったと伝えることを優先した水木さんの想いが伝わってきました」
また『ゲゲゲの女房』では貸本漫画の文化のほか、戦争で心に傷を負った人が描かれるなど、昭和30年代の日本が見事に再現されていた。
“戦争ではみんなエライ想いをしましたな。仲間も大勢死にました。みんな、生きたかったんですから。死んだ人間が一番かわいそうです。
ですから、自分は生きてる人間には同情しないんです。自分をかわいそがるのは、つまらんことですよ”
「水木さんややなせさんだけでなく、手塚治虫さんやちばてつやさんなど、昭和30~40年代に活躍したクリエイターたちは何らかの戦争被害を負いながら、後世に残るような名作をたくさん手掛けてくださった。彼らが紡いだ物語やメッセージがあったからこそ、僕らが今、こうして平和に生きられていることに改めて感謝したいです」
今月15日で終戦から80年を迎えた。戦争を生き延びた表現者が遺したメッセージに改めて耳を傾け、これからの平和を考えるきっかけにしていきたい。
取材・文/木下未希