「バカよね、女って。叩かれたのに、ますます好きになっちゃって」銀座の文壇バー女主人が語る“20年不倫”の結末と閉店後に見つけた小さな幸せ〈『ザボン』47年の幕引き〉
「バカよね、女って。叩かれたのに、ますます好きになっちゃって」銀座の文壇バー女主人が語る“20年不倫”の結末と閉店後に見つけた小さな幸せ〈『ザボン』47年の幕引き〉

文壇バー『ザボン』が今年8月末をもって47年の歴史に幕を閉じた。オーナーママの水口素子さんは、故・伊丹十三氏に「銀座の女は不幸の影がないといけない」と言われ、ただならぬ恋をしながらも結婚と出産を諦め、3度のがんを乗り越えて文壇バーの女主人として銀座で50年生き抜いた。

そんな銀座の女として生きた彼女の人生を聞いた。 

「お付き合いした男性はすべてお店のお客様」 

それは銀座を訪れる男性にとっては甘美な響きだが、水口さんは「寂しさ苦しさを隠し、笑顔でお客様を迎えるのが銀座の女性」だという。

「『眉』に勤めていた時はお客様と交際する時は必ずママに一報入れる必要がありました。お店を独立してからも、お付き合いするのはすべてお客様。

いろんな方とお付き合いしましたけれど、やはり皆様、帰る家と奥様がいらっしゃいますから、別れの言葉もなく自然消滅、そんなことの繰り返しでした」

しかし30代から20年間、お付き合いした男性とは違った。

「もちろん不倫なのでつかず離れずです。だけど生涯を共にするなんて勝手に思ってしまっていました」と笑う。

「この方とは彼が自宅以外で用意した部屋と、私の部屋とを行き来する付き合いでしたが、その当時の私にとっては、恋愛よりも仕事が第一優先でしたので、彼が『今日は部屋でゆっくりしないか』といってくれた時も断ることがありました。

放っておいても、別れるわけはないと思っていたので。38歳のとき、子宮がんで子宮を全摘してからは結婚はともかく出産はあきらめていましたし、その寂しさを忘れるように仕事に熱中したのです」

不倫は決して許されることではないが、強い想いを抑えることができないこともあるのが人間だろう。その後、立て続けに卵巣がんを患い卵巣の半分を摘出する中で、水口さんの中で変化が起こる。「やはりこの人と一緒になりたい」と。

「それまでは『愛人でいられるだけありがたい』という考えから欲が出て『離婚してほしい』なんてつい言ってしまった。

そのうちどんどん険悪になっていったのです。

彼が私の部屋にいる時に、つい帰したくなくてスーツを湯船に投げ入れたら頬をピシャッと叩かれました。バカよね、女って。叩かれたのに、ますます好きになっちゃって」

水口さんの燃え上がる思いとは裏腹に、男性の心は離れていった。

「彼の部屋に行くと、明らかに他の女性と思われる物を置いたままにされているんです。これみよがしに。彼も歳をとったけど、私も歳をとった。その時、私は50歳です。結局、若い女性に取られたのです。『別れよう』と言われ『私だってあんたなんて目じゃないわ』と強がるのが精一杯でした」

水口さんにとって、人生最大の大失恋だった。それでも新たな恋はすぐにでも訪れると思っていたが、訪れなかった。

「50代になってから、とんと男性からは見向きもされなくなり、恋愛対象から外された感覚がありました。

女としての自信も失い『銀座ではもう生きていけない』と、この時初めて、銀座からの引退を考えたほどです。

故郷の鹿児島に蕎麦割烹を出して、軌道に乗ったら鹿児島で隠居しよう、なんてことも考えましたが、それも形になりませんでした」

「これまで隠してきたものを、少し打ち明けて楽になるわ」

2度のがんを乗り越えた水口さんだったが、その次は「鬱」がやってきた。 

「寂しくて辛くて、夜が眠れなくなってしまいました。鬱になってしまったのよ。私は夜中3時に寝て、店の経理などする関係で毎朝7時半には起きる生活を何十年もしてきました眠れなくなってからは睡眠薬を飲むようになり、次第に飲んでも眠れなくなってしまった。

自暴自棄になって睡眠薬を何十錠も一気に飲んでビールで流し込むと、フワ~ッとした軽やかな気持ちで眠れたんです。あまりにそんなことを繰り返すものだから、睡眠薬中毒で何日か入院したこともあるほどです」

銀座の文壇バーのママからオーバードーズ体験を聞くとは驚きだった。「これまで隠してきたものを、少し打ち明けて楽になるわ」と水口さんは話す。これまで何度となく聞いてきた激動の半生だが、人生の後半戦は特に辛かったようだ。

「いろんな方に助けられ祝賀会やら周年パーティやら輝かしい時はもちろんありましたよ。でも子宮、卵巣とがんをやった後は、60代で大腸がんにもなりましたからね。

さらに70代過ぎてコロナ禍に見舞われて。

50代からの人生は良いことももちろんあったけど、大変なことの方が多かったように思います」

閉店後の人生についても聞いた。

「これまで睡眠時間は4時間ほどの日々だったけど、まず昼まで寝ようと思います(笑)。いまね、チワワのリリコと2人暮らしなんです。私が夜中に帰ると、リリコがベッドの上でちょこんと寝転がって待ってるの。それがもう、可愛くて、可愛くて。リリコとゆっくり昼まで寝る暮らしをまずは楽しみたいと思います」

とはいえ、銀座からの完全引退をするわけでもないようだ。

「いろんなお客様から『もっと小さい店でやったらいいじゃない』って、言われるんです。それはありがたいですね。昼まで寝る生活に飽きたら、あとはゆっくり、銀座での日々を文章にしてみようかと思います。

2021年に初のエッセイを出させてもらったことがあるのですけど、まだまだ書いてないことはたくさんありますから。その後、もし再びお店をやる機会に恵まれたら…やってみようかと思います」

ザボン最終日までの1週間は、お客様全員にプレゼントするためのゴルフボールを、かねてより付き合いのあったサントリーが出資。

そのボールには漫画家の北見けんいち先生と黒鉄ヒロシ先生のオリジナルイラストが。

水口さんが再び銀座の店に立つ日がくることを願いたい。

 取材・文/河合桃子 集英社オンライン編集部ニュース班 

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