
EXILE ATSUSHIのものまね芸人・RYOが、親交のない歌手・橋幸夫さんの通夜に参列した件について、批判の声が続出している。 一方、生前から現在でも安倍晋三元首相のものまねを披露する芸人・ビスケッティ佐竹さんには、ショーパブやSNS上でも温かな声が寄せられるという。
選挙特番で「偽の安倍晋三」として出演、スベり続けた苦い過去
「お前に似ている政治家がいるよ」
佐竹さんが安倍晋三さんのものまねを始めるきっかけとなったのが、約20年前、山口県出身の友人からのささいな一言がきっかけだった。当時、小泉純一郎政権の官房長官だった安倍さん。ニュース番組を確認したところ、「あまりのそっくりさに自分でも驚いた」という。
友人から「安倍さんは絶対いいポジションにつく人だから、今後も追っかけておいたほうがいいよ」とアドバイスされつつも、当時は悠長に構えていた佐竹さん。しかし、約1年後の2006年には戦後最年少となる52歳で首相の座につくこととなり、佐竹さんは慌てた。
「いつかは首相になると思っていたけれど、まさかこんなに早く首相になるなんて思ってなかったんで、心の準備が全くできていませんでした。『なんとか見た目だけでも似せよう』と、スーツを購入して髪型を変えるところまでで、当時は精いっぱいでした」(ビスケッティ佐竹さん、以下同)
そうこうしているうちに、第一次安倍政権は体調悪化を理由にわずか1年で幕を閉じ、佐竹さんの芸が日の目を見ることはなかった。
「僕自身、完全に『やっちまったな…』という感じでした」
しかしそんな佐竹さんに、チャンスの神様は再び微笑んだ。約5年後、再び安倍さんが首相に返り咲き、第二次政権を発足させたのだ。しかも、その直後、各党の代表者が討論する2時間生放送の選挙特番で「偽の安倍晋三」として出演オファーがきたのだ。
まさに絶好のチャンス到来、だったのだが…。
「『総理、どう思いますか?』って話を振られても、政治知識の乏しさから、上手い切り返しができず、スベり続けてしまいました。見た目が似てても、安倍さん自身が何を考えているのか僕自身が理解していないと、芸として通用しないと実感したんです」
そこからは、毎日国会中継を注視し、安倍さんのしゃべり方や仕草を熱心に研究。全国紙とテレビのニュースをくまなくチェックし、政治知識を着々と身に着けていった。
「国会中継を見てると、政治家の人が持つ独特の間に気付いたんです。間違った発言をしないように考えながら話しているので、普通の人より句読点が多い。安倍さんの声のトーンやキーだけでなく、そのリズムを習得してからは加速度的にクオリティがあがりました」
第二次安倍政権発足から約3年。「偽の安倍晋三」として仕事が増えていった佐竹さん。そしてついに、安倍さん本人と妻・昭恵さんの目の前で、芸を披露するときがきた――。
安倍夫妻と初対面、ネタを披露したところ…
2015年、安倍さんの地元・山口県関係者のイベントに、本人が参加することを聞きつけた佐竹さんは、会場に飛び入り参加した。控室にいる安倍さんに挨拶したところ、そのものまねを誰よりも気に入ったのが、隣に座っていた妻の昭恵さんだった。
昭恵さんからの提案で、急遽「偽の安倍晋三」として登壇することが決まった佐竹さん。再びビッグチャンス到来だったが、
「初めて本人を目の前にネタを披露するとなると、極度の緊張と、『誇張しすぎて怒られたらどうしよう』っていう不安から、本番ではあまり似てないものまね芸を披露してしまいました……」
会場に漂う不穏な空気。そんななか、司会者から感想を求められた安倍さんが「私自身はあまり似ているとは、感じなかった」と言いつつ、「ただ、彼自身がものまねを続けるには、私自身が頑張っていかなければならないので、皆様、どうぞお力添え、よろしくお願いします」とユーモアたっぷりに返し、会場は一気に盛り返した。
「あれには救われた想いでした……」と佐竹さん。それを機に、さまざまな現場で安倍夫妻と共演を果たし、交流を深めていった。特に昭恵さんと2人でイベント出演することも増えていき、クリスマスには、昭恵さんから手紙つきで、安倍さんが着用した黄色のネクタイをプレゼントしてもらったり、佐竹夫妻の結婚時の「証人」を務めてくれたりもした。
これからもそんな温かな交流が続くと思っていた――。しかし、2022年7月8日、衝撃的なニュースが世界中を駆け巡ることとなった。
安倍家に弔問、そこで昭恵さんからもらった言葉
2022年7月8日、奈良市で選挙演説中の安倍さんが銃撃され、死亡した。〈大丈夫?〉〈これからどうするの…?〉佐竹さんのスマートフォンには友人や仕事仲間からおびただしい通知が届き、電話は終日鳴りやむことはなかった。佐竹さんはその日行なわれる予定だったものまね舞台の出演をキャンセルし、そのまま活動自粛に入った。
SNSを開くと、〈絶対ものまね辞めないで〉〈今だからこそ見たい〉などのコメントが数千件寄せられていたが、ものまねをする気にはなれなかった。
「安倍さんが亡くなったことを速報で知ったとき、頭が真っ白になりました。どこか親戚のおじさんのような身近な方が亡くなったのに近い感覚で、強い喪失感と虚無感に襲われました。僕としても気持ちの整理が必要だったんです」
銃撃事件以降は、安倍さんネタでの出演は一切なくなり、活動自粛期間中は、幼い娘の育児で憔悴する気持ちを紛らわせた。
同年9月、国葬が行なわれた日も一般献花に訪れた佐竹さん。そこで多くの人が安倍さんを悼む姿を見て、「これからも安倍さんのことを忘れたくない」と強く思った。
安倍さんが亡くなってからそれまで、妻の昭恵さんに連絡を取ることは控えていた。しかし、国葬後、共通の友人の後押しもあり、連絡を入れてみると、「主人も喜ぶと思うので、うちに一度おいで」と自宅に招いてもらった。
安倍さんの仏壇に手を合わせた後、昭恵さんと話す時間をもらえた。そこで、安倍さんのものまねをするに至った経緯や、そのことでいろんな人に温かい言葉をかけてもらって嬉しかったことなどを昭恵さんに伝えた。
「芸人としてご飯を食べていけるのも、安倍さんがいたからなんです」
そう感謝の言葉を伝えると、昭恵さんは涙を流しながら、「これからも大変だと思うけど、主人のものまね続けてください」と言ってくれた。
「ビスケッティ佐竹という芸人が世に見てもらうきっかけになったのは、安倍晋三さんがいたからこそ。感謝の気持ちとともに、安倍晋三という政治家がいたことを忘れないために、僕が伝えていく作業を続けていきたいと思いました」
活動再開を決めた瞬間だった。
後編「安倍元首相ものまね芸の再開、『不謹慎だ』と言われたことも…」はこちらから
取材・文/木下未希 撮影/石垣星児