〈排外主義の時代に問う〉アントニオ猪木、三浦知良、山田洋次…『私とコリアン』が描く、共に生きるということ
〈排外主義の時代に問う〉アントニオ猪木、三浦知良、山田洋次…『私とコリアン』が描く、共に生きるということ

「日本人ファースト」という言葉が注目される昨今、ますます在日外国人への風当たりが強くなっている。こうした深刻な排外主義の浸透が憂慮される中、事態を見透かしていたかのように一冊の書籍が刊行されていた。

『私とコリアン』。アントニオ猪木、三浦知良、山田洋次… 排外の毒をデトックスするかのような、18人の著名人たちの言葉に今こそ耳を傾けたい。

在日コリアンとの関りを考えるインタビュー集が刊行

7月の参議院選挙の最中、日本ペンクラブが異例とも言える声明を出した。

「選挙活動に名を借りたデマに満ちた外国人への攻撃は私たちの社会を壊します」というもので、「外国人犯罪が増えている」「外国人が生活保護を乱用している」といった事実と異なるデマが一部の政党によって声高に叫ばれ、外国にルーツを持つ人々に対する差別扇動が日本社会に横行している事態を見て発出したものである。

これらのヘイトスピーチや歴史修正によって深刻な排外主義の浸透が憂慮される中、事態を見透かしていたかのように一冊の書籍が刊行されていた。

『私とコリアン』(朝鮮新報社刊)。様々なジャンルに属する18人の著名人たちが、自分と在日コリアンとの関りを如実に語ったインタビュー集である。

登場するのは、山田洋次(映画監督)、アントニオ猪木(元プロレスラー、元国会議員)、ちばてつや(漫画家)、三浦知良(サッカー選手)、海老名香葉子(エッセイスト)、平野啓一郎(作家)、松浪健四郎(日本体育大学理事長)など。

特に刮目したのは、猪木の忖度無き肉声である。今から30年前の1995年、猪木はなぜ、巨額の負債を抱えてまで、朝鮮民主主義人民共和国・北朝鮮でのプロレスイベント「平和の祭典」を開催したのかが綴られる。

平壌の会場となった綾羅島メーデー・スタジアムには2日間でのべ38万人の観衆が集まり、猪木とリック・フレアーとのメインイベントにはモハメド・アリが立会人として来場していた。

翌年のアトランタ五輪で最終聖火ランナーを務める米国籍のVIPを国交の無い北朝鮮に招くことを可能にした猪木の格闘技人脈の広さに周囲は驚嘆し、またリングの外でもこの大会への参戦をきっかけに北斗晶と佐々木健介のカップルが誕生するなど、プロレス界にとっても大きな話題を振りまいた。

この一大イベントの収支は大赤字だった。

スタジアムに敷く3000枚のベニア板を送るなど、開催の費用はすべて新日本プロレスの負担であり、持ち出し費用は、莫大な額に上った。後に起死回生となるUWFインターとの対抗戦で大ヒットを飛ばすまで、借金に苦しめられ続けた。

開催前から、平壌での興行資金の回収は困難であることは、明らかであった。それでも猪木が決行に踏み切ったのは、師匠力道山への恩返しと国会議員(当時参議院議員)としての使命感であった。

生前の猪木が語った「バカバカしい北朝鮮制裁」

猪木は17歳で力道山にスカウトされ、その付き人を3年間務める中で、恩師が朝鮮人として日本でどれだけの苦労を強いられ、いかに祖国の統一を願っていたかを知っていた。

1994年に力道山の祖国に初訪問を果たして以来、20回を超える訪朝を積み重ねた猪木は、日朝の国交正常化を真剣に考えるようになった。以下は本書に遺言のように記された政治家としての言葉だ。

「この祭典を機に、日本と朝鮮半島をつなぐことが自分の宿命のように思えて来た。政府、党の高官の人たちと酒を酌み交わしながら、食事をしながらざっくばらんに話を重ねてきたし、パイプを作ってこられた」

北朝鮮政府に制裁を課す日本政府は、訪朝を繰り返す猪木に税関を通じた嫌がらせを繰り返す。羽田空港に帰国すると、力道山と猪木の顔が肖像化された切手を没収した。理由は「日本の風紀を乱す」からだという。

猪木は、「祖国訪問した朝鮮学校生の生徒の土産さえ取り上げるようなバカバカしいことを『制裁』として成り立たせているこんな政権は信頼できない」と怒りを露わにする。

「日本政府も平和外交を標榜しているのなら、平和に向けた知恵を絞らなくてはいけない。

例えば、拉致問題を解決するまでは国交正常化交渉をしないというけれど、この言葉も矛盾している。話し合いをしなければ拉致問題も解決できるはずがないからだ。こんな矛盾や不条理がまかり通っているのに、気づく人も少ない」

猪木には、国の硬直した外交姿勢をぶち破り、突破した実績がある。湾岸戦争直前にあったイラクで在留日本人が人質状態に置かれた中、日本政府の反対を押し切って、単身でバグダッドに乗り込んでスポーツの力で解放を成し遂げたのである。

この時、外務省は猪木の活動に妨害さえ加えている。議員として外交に関わった経験から、相手の国を知り、懐へ飛び込むことで事態を変えることの重要性を知ったという猪木にすれば、「バカバカしい北朝鮮制裁」から硬直して動こうとしない日本の対朝外交は歯がゆくて仕方がなかったのだ。

「燃える闘魂」が存命ならば、現在の排外主義を煽る政党の出現をどう見ただろうか。そう思わせる猪木のモノローグであった。

力道山を祖として、大木金太郎、長州力、前田日明、星野勘太郎、木村健吾、近年ではジェイク・リー、日本のプロレスは一世、二世、三世の世代に渡るまで在日コリアンのレスラーによって支えられて来たと言っても過言ではない。

朴智星がバイブルとするキングカズの言葉

猪木と同様に世界を知る三浦知良もまた本書の中で、「コリアンの選手に共通するのは、チームのために自分を犠牲にできること」と称賛を送り、在日の子どもたちに「サッカーを楽しむために全力を尽くしてほしい」とメッセージを送っている。

キング・カズと言えば、若き日の朴智星とのエピソードはあまりにも有名である。言わずと知れた朴智星はマンチェスターUで4度のプレミアリーグ優勝を経験し、アジア人として初めてチャンピオンズリーグの決勝でプレーした選手である。

その朴は、最初に入団した京都パープルサンガで出逢ったカズを人生の師として今も慕っている。

その理由は朴がまだ新人の頃、慣れない日本の生活の中でカズに言われたアドバイスにある。

「いいかい智星、自国以外でサッカー選手として生き残るのは本当に困難だ。最後までサバイバルする選手に一番必要なものは何かわかるかい? 技術じゃない、そのクラスの選手の技術はみんな同じくらい高いからね。一番大切な事は、サッカーへの情熱、一途の献身、毎試合、今日死んでも悔いはないという思いで試合に望みサッカーに人生を賭ける選手だ」

「うまくは言えないけれど、これが俺のサッカー人生だ、智星が本当にサッカーを愛しているならとことんまで愛してやれ。智星のプレーで全然違う国の人々を熱狂させてあげるんだ、それは本当に素晴らしい経験なんだよ」

朴は、カズの言葉を日本に向けてのリップサービスではなく、母国韓国のメディアにも何度も伝えている。これらのアドバイスが、日本、オランダ、イングランドとキャリアを重ねていった朴の背中をその都度、押したことは想像に難くない。

国籍の枠を超え、違う国の人を感動させることの崇高さをコリアンの若い選手に説くカズの発信に比べて、日本国内のマジョリティに向けて票と歓心を得ようと発された「日本人ファースト」というスローガンの何と貧相なことか。

8月25日に高田純札幌医科大学名誉教授は、歌手の加藤登紀子が、出生地である中国黒竜江省ハルビンで“里帰りコンサート”を行ったとの記事を引用し、「加藤登紀子さんって チャイナ生まれだったんですね 反日行動 いろいろ不可解でしたが納得しました ただし国籍は日本 こころはチャイナ」とポストし、炎上した。

戦前のハルビンが日本の傀儡国家であった満洲国であったことを知らない人物が大学教授をしていることにも驚かされたが、そもそも生まれや国籍での差別などは論外である。

本書の企画のきっかけは朝鮮学校・高校無償化裁判

幼少期に満洲で敗戦を迎えたちばてつや、山田洋次の編には、大陸からの引き上げ体験とそこで知り合った中国人、朝鮮人との交流が、いかに自身の作品に色濃く反映されているかが、語られている。

また学生たちを平壌へ連れて行き、継続的に日朝スポーツ交流を続けている日体大の松浪健四郎理事長はこうこう述べている。

「本校はかつて、最も戦争に加担した大学です。

そのことを知っているからこそ、なおさら『スポーツを基軸に国際平和に寄与』しなければいけない」

大学として担った過去の戦争加害の歴史に目を背けずに、例え政府に反対されても自覚的に民間外交を継続する覚悟があるという。

企画から本書の制作に関わった張慧純によれば、「本書の刊行のきっかけは、高校無償化裁判にあった」という。

2010年に始まった高校無償化制度はアメリカンスクールや中華学校など外国人学校の高校生も対象にした画期的なものであったが、朝鮮学校だけが排除された。朝鮮人生徒に対する明らかな民族差別に、249人の朝鮮学校生が国を相手取って提訴したが、15回の裁判の内、大阪地裁で一度勝訴した以外は、すべて敗訴した。

「そこで当時25歳の編集部員が、日本の人たちに登場してもらって朝高生や同胞に元気を与えようと創刊当初のインタビュー企画の復活を提案してくれました。

漫才師の村本大輔さんは、『今、在日の人たちは差別によって日本で見えない存在、透明人間にさせられている』と言われましたが、ここに登場する方々の日常には、自然と朝鮮人が登場するんです。それこそが、私たちが日本で生きている証なんです。インタビューをしたいとオファーをしたら、最年長の山田洋次監督はじめ、皆さん快諾して下さいました」

今、生活苦が外国人のせいにされ、その矛先が社会的権利弱者のマイノリティに向けられている。けれど映画監督もサッカー選手もプロレスラーも漫画家も作家も、18人が問わず語りに述べた言葉を吟味すると、「We are already living together. (僕らはすでに一緒に生きている)」にたどり着く。

落語の林家一門を支えてきた海老名香葉子さんは、自分の病気を見抜いてくれた在日の李医師を命の恩人と言って感謝を惜しまない。

「私の命の恩人は、同胞を守り、同胞を愛し、祖国のために尽くし、現在の日本国のためになりうることに尽くすという信念を持っておられた」

「私とコリアン」は「私と平和」、「私と歴史」とも読み込める。排外の毒をデトックスする一冊である。

文/木村元彦

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