〈中学受験〉「一度下がった自己肯定感は今でも取り戻せていない」名門校入学後、“深海魚”になった青年の後悔
〈中学受験〉「一度下がった自己肯定感は今でも取り戻せていない」名門校入学後、“深海魚”になった青年の後悔

中学受験の最終ゴールは「志望校合格」だ。目標に向けて受験生は日々勉強に励む。

しかし、念願の合格後に「こんなはずじゃなかった」と迷うケースも多い。志望校に入学後、成績が低迷したまま浮上できない生徒を、中学受験関係者の間では「深海魚」と呼ぶことがある。

 

今回、難関中学に進学後、6年間を「深海魚」として過ごしたタツヤさん(仮名)に、当時の話とその後を聞いた。

母の強い勧めで始めた中学受験

関東近郊の県で生まれたタツヤさんは、会社員の父親と教育熱心な母親のもとで育った。幼少期から勉強が好きで、学校の成績も良かったタツヤさんに、母親は中学受験を勧めた。

「勉強が得意だったこともありますが、地元の中学があまり落ち着いた学校ではなかったんです。地元の中学に入ったら人間関係で苦労すると心配した母が、中学受験を決めました」(タツヤさん、以下同)

母親の勧めで、タツヤさんは小学3年生の2月から少人数制の塾に入学。中学受験の勉強を始めた。

「普段は夜の9時まで塾で勉強して、家では父に算数を教えてもらっていました。母親は怒ると感情的になるタイプで、勉強をしないときや成績が上がらないときは、ヒステリックに怒られました」

勉強が得意だったタツヤさんだったが、中学受験を進める中で算数の壁にぶち当たった。点数がなかなか伸びず、苦手意識を持つようになったのだ。中学受験では算数の成績が全体の成績を左右するケースが多い。タツヤさんは苦手な算数に苦戦しながらも、ほかの教科で点数をカバーした。

特に得意だった社会が4教科の偏差値を押し上げた。

日々勉強に励む中で、タツヤさんの母親は都内にあるA中学を志望校として決めた。

「母が中学受験のイベントでA中学の生徒の話を聞き、穏やかな校風にひかれたようです。内部進学率も高く、自分のペースで6年間過ごせるだろうということでした」

A中学は都内にある偏差値60前後の難関校だ。タツヤさんは苦手な算数に最後まで苦戦しながらも、毎日コツコツと勉強を続け、無事志望校に合格した。

合格の知らせを聞き、安心しきった母の顔は今でも覚えている。

名門中学に入学後、成績は急降下し“深海魚”状態に

晴れてA中学に入学後、タツヤさんは最初のテストで1クラス40人中26位という順位を告げられた。今まで勉強は得意だったが、同じレベルの集団に入ったことで真ん中くらいの成績になったのだ。そして、それをピークにタツヤさんの成績は落ちていく。

「1年生の夏前のテストでは、40人中36位でした。学年での順位は出ないのでわからないのですが、おそらく学年でもかなり下の方だったと思います」

さらに不運が続く。落ち着いた校風で選んだ中学だったが、偶然同じクラスにやんちゃな生徒がいたのだ。

「成績の順位は貼り出されないのですが、成績が悪いことってなんとなく伝わるんですよね。

そこから『勉強ができない奴』として、やんちゃな生徒にいじられるようになりました。だからといって、言い返すわけでもなく『見返してやる!』とやる気になるわけでもなく。逆にやる気は下がって、成績はどんどん落ちていきました」

小学校までは「成績優秀者」だったタツヤさんだったが、あっという間に「補習の常連組」という立ち位置になった。

どの教科の成績も伸び悩んだが、入学後に特に足を引っ張ったのが英語と算数だった。週末は母親が英語を教えてくれたが、成績が上がることはなかった。

「英語と算数は授業内容が理解できなくて、うわの空だったと思います。そうこうしているうちに、得意だった社会も点数が取れなくなっていきました。それでますますやる気が下がるという悪循環に陥っていきました」

悪い成績を取るたびに母親に怒られた。毎日怒られ、いつしか怒られることにも慣れてしまった。

「常に下から順位を数えた方が早くて、成績が悪い状態が自分にとっての『普通』になっていました。悲しいとか辛いという感情すらなく、ただ無気力。今思えば、そのころ自己肯定感はかなり下がっていたと思います」

そして、一度下がったモチベーションは、いつまでも上がらなかった。

一度も浮上することはなく、6年間を漂流 

「周りは医者の子どもも多く、お父さんの後を継ぐとか明確な目標を持っている子が多かったです。でも、自分には目標がなかったし、やりたいこともありませんでした。A中学に合格するのが目標だったので、入学してから勉強をする目的がなくなってしまいました」

留年する生徒を出さない方針の学校だったので、なんとか高校に進学できた。しかし、やる気が出るタイミングは訪れず、成績はずっと低迷したまま。気づけば高校2年生になっていた。

大学進学が当然という環境の中で、タツヤさんも高校2年生で志望校を決めた。さすがに今までよりは勉強をするようになったが、気持ちは入らなかった。

大学受験の結果は不合格。浪人することになった。

「浪人して予備校に入ったことで、ようやく『絶対合格しないといけない』という目標が見つかりました。それで、勉強をするようになり、1年間で盛り返して無事志望校に合格しました」

タツヤさんは都内の難関大学に進学した。

「A中学に通ったことは、よかったと思っています。

もし公立の中学に進んでいたら、母が言っていたように人間関係で苦労していたかもしれません。結果的には、志望していた大学にも進むことができました」

ただ、とタツヤさんは語る。

「校風と偏差値を重視して学校を選びましたが、カリキュラムや学校の特色ももっと見ておけばよかったと。中高一貫校は理系に力を入れているところが多く、A中学はその傾向が特に強かったんです。自分の特性にあっていなかったこともあり、勉強への意欲がなかなか湧きませんでした。得意なことや興味を持てる分野が見つかっていたら、もっと前向きに取り組めていたのかもしれません」

大学を卒業し、社会人になった今では忙しい毎日を送っている。

「6年間深海魚でしたが、特に大きなトラブルがなかった。でも、一度下がった自己肯定感は今でも取り戻せていないという事実は残り続けていますかね」

志望校合格はゴールではなく、スタートに過ぎない。タツヤさんの経験は、そのことを静かに物語っている。

取材・文/集英社オンライン編集部

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