
日本に“北欧ブーム”をもたらした映画『かもめ食堂』。そのロケ地として使われたフィンランド・ヘルシンキにある店を引き継いだ小川秀樹さん。
「“店の限界”を感じてしまったんです」
――映画『かもめ食堂』のロケ地として親しまれていた場所でもあるフィンランドの日本料理店「Ravintola KAMOME」ですが、今回閉店に至った理由について教えてください。
小川秀樹さん(以下、同) 閉店するに至った一番の理由は、家賃の高騰でしたね。店舗の家主が中国人に代わってから、家賃がどんどん値上がりする状況になり、レストランの経営を続けていくことが難しいということになりました。今年で10年という節目のタイミングでもあったのでこれを機に閉店を決断しました。
それだけが理由ではありませんが、開店当初の『Ravintola KAMOME』では人気のあるベーシックな日本食を中心に提供していました。しばらくするとフィンランドでもっと本格的な日本の味を知って欲しいと思うようになり、珍しい食材でなおかつ高級食材であるウナギをもっと身近に食べてもらおうと、“ウナギの蒲焼き”をメニューに加えようと思い付いたんです。
本格的な炭火焼用の備長炭を日本から仕入れて、店でウナギを焼いてみたのですが、店の構造上、換気がうまくいかず煙がこもってしまって…。
本格的な炭火焼きのため、キッチンが煙たくなって、スタッフ達も「こんな状況では働けない」と言い出す状況に。この環境では自分のこだわりの料理を提供することが難しいと思い、ふと “店の限界”を感じてしまったんです。
――フィンランドで2015年にオープンされた「Ravintola KAMOME」はどのような経緯で始まったのでしょうか?
もともと私は、兄と一緒にアメリカや日本で飲食店の会社を運営しており、いまから約30年前にフィンランドに移ったのですが、フィンランドに移り住んでから日本食が恋しくなって、“フィンランド人たちに、おいしい日本食を知ってほしい”という思いを抱くようになったんです。
2010年頃、バルト海を挟んだフィンランドの向かいの国であるエストニアで、人生で初めて自分自身で飲食店の経営を経験したのですが、そのときにちょうどフィンランドの知り合いから電話を受け、映画『かもめ食堂』のロケ地となった「Kahvila Suomi」という店が閉まるという話を聞きました。
このことに縁を感じて、かねてより自分が思い描いていた“フィンランドで日本食の店を開く”という構想を実行してみようと、その店を引き継いだことから「Ravintola KAMOME」は始まりました。店名は映画の『かもめ食堂』から着想を得ていて、「Ravintola」はレストランという意味なんです。
多様な業態を展開してつないできた『Ravintola KAMOME』の10年
――「Ravintola KAMOME」をオープンされてからのお話をお聞かせください。
もともとは「Kahvila KAMOME」(カフェ カモメ)として営業していましたが、2016年にレストランという形に業態を変え、「Ravintola KAMOME」(レストラン カモメ)としてリニューアルしました。
映画の影響もあって日本人観光客の方々が毎年一定数訪れてくださるようになり、昼時にはフィンランド人のローカルのお客様と、観光でいらっしゃる方々の両方で店内が混雑し、ゆったり過ごしていただくのが難しくなってしまいました。
そこで2017年に、隣の店舗が空いたタイミングで、お土産品や軽食を揃えたカフェ「Atelier KAMOME」を隣に新たにオープンし、ローカル客と観光客の動線を分けることで混雑を解消しました。
――「Ravintola KAMOME」と「Atelier KAMOME」2つのお店の経営は順調でしたか?
夏は観光シーズンであるため日本人の方が多く訪れるいっぽう、ローカル客は夏季休暇に入ってしまうので、地元の利用客は減ってしまいます。そして観光シーズンが終わった冬になると日本人観光客は減り、「Atelier KAMOME」には逆にローカルのお客さんがカフェ利用をしに来るようになったりと、シーズンによる客層の違いに対処することは結構大変でしたね。
結局その後お客様の流れを考えた結果、「Atelier KAMOME」のカフェ営業と「Ravintola KAMOME」のレストラン営業を合わせたほうが効率がいいという結論に至り、「Ravintola KAMOME」にカフェとお土産用什器を移動して1つにまとめることとなりました。
――また2020年にはコロナが流行し、世界中でロックダウンなどがありました。コロナ禍における経営状態はいかがでしたか?
コロナ禍が始まってからは、やはり経営は不安定になりまして、店を開けたり閉めたりを繰り返していました。ただ、ちょうどコロナが流行する前の2019年に、イギリスに研修に行き、スーパーマーケットの中で展開するテイクアウト用のパッケージ寿司のフランチャイズ経営をしてみないかという話を受けていたんです。
当時フィンランドのスーパーマーケットで、持ち帰り用のパッケージ寿司は売っていなかったことと、「Ravintola KAMOME」の経営コストを軽減するために他事業を考えていたことを理由に、このテイクアウト用のパッケージ寿司事業を2019年の10月から始めました。
その後コロナ禍が始まったことで、テイクアウトの需要が運良く急増し、パッケージ寿司事業は好調となりました。このおかげで売り上げは大きく落ちずに済んだので、まさに不幸中の幸いでしたね。その後2023年には、お店を完全に再開できました。
小川さんが苦労した日本とフィンランドの違い
――「Ravintola KAMOME」を経営されるなかでの苦労について教えてください。
スタッフの確保と、フィンランド特有の労働ルールの遵守が大変でしたね。フィンランドではアルバイトでも社員でも、あらかじめ週の労働時間や、どういった業務に従事してもらうのかといったことを具体的に示して契約をします。そして、もしスタッフが体調不良などで欠勤したとしても、契約した出勤日数分の給与は全て支払う必要があるんです。
例えば日本だと、お店が暇になったらスタッフには早めに退勤してもらい、出勤時間分の給与のみ支払うケースもよくあると思いますが、フィンランドではお店の都合で早めに退勤してもらった場合、あらかじめ契約したその日の出勤時間分の給与はスタッフに支払わなければならないということになるんです。
スタッフが突然欠勤するなどの不測の事態に備えて、常に複数のスタッフを雇わなければならず、そのコスト負担やスタッフの管理が経営するうえで結構苦労したところです。
あとは労働契約が終わったら基本的にスタッフは業務の引き継ぎなどをすることなく、突然辞めてしまいます。スタッフから「余っているからどうぞ使ってください」と持って来てもらった食器類などを、店での提供用として使っていると、そのスタッフが辞めるときに全て引き上げられてしまうということがあって……。
スタッフの善意に甘えているとしっぺ返しをくらうと学んだので、その後は個人のものは店に持ち込み禁止にしたんです。こういった日本文化との違いに慣れていくことも大変でした。
――いっぽうで楽しかった思い出などはありますか?
「Ravintola KAMOME」を改装するときに、うちの店の看板デザインやキャラクターデザインを担当してくれた日本人のデザイナーの大田さんや、当時のシェフやスタッフとお店の世界観やメニューを作り上げていく体験は楽しかったですね。また多くの皆さんにご飯が美味しかったと言っていただき、営業最終日を迎える際にも、皆さまから暖かいメッセージをたくさんいただけたことはとても嬉しかったです。
新たな店は“アザラシ”がモチーフに フィンランド文化と日本文化の融合
――今後新たな形での展開をされていくとお聞きしました。新たなお店はどのようなものになる予定なのでしょうか?
新たな店はヨーロッパの文化と日本の文化を融合した “楽しい居酒屋”を開く予定です。フィンランドでポピュラーな遊びとなっている“ダーツ”を取り入れて、飲んで遊べる、皆がワイワイ集えるお店にしたいと考えています。
さらに、和牛や日本のおいしいお米を使った料理も提供する予定で、引き続き日本のおいしさをフィンランドの方に味わっていただけるようなメニューを考案中です。
また今度の店のモチーフは、フィンランドにも多く生息する「アザラシ」を考えています。これは「カモメ」のお友だちを作るというイメージでして、「Ravintola KAMOME」のときにもお世話になったデザイナーの大田さんと一緒に店のロゴやキャラクターデザインなどの世界観を構想しています。
食やエンタメなどの様々な要素を取り入れて、日本らしさとフィンランドらしさが融合した新しいタイプの店になると思うので、期待してほしいです。
取材・文/瑠璃光丸凪/A4studio