
今年、90周年を迎えた阪神タイガースで偉大な記録が打ち立てられた。ひとつは圧倒的な独走による史上最速でのセ・リーグ制覇。
藤川球児で36代目…監督交代の多さは12球団最多
「そら、阪神の監督なんてけったいなものですわ」
これは、一昨年上梓した『虎の血~阪神タイガース謎の老人監督』(集英社刊)の冒頭で、今年亡くなった吉田義男さんが苦笑いしながらつぶやいた言葉である。
阪神タイガース。読売巨人軍とほぼ同じ、12球団で最古レベルの歴史を持ちつつも、その90年の歴史は大変奥ゆかしい。
1950年、2リーグ制となった後の優勝回数は巨人がリーグ優勝39回、日本一22回に対してタイガースは今年でリーグ優勝7回目、日本一は1985年の吉田監督に次いで一昨年の岡田彰布監督で2回目と大きな差がついている。
タイガースは何が違うのか。これまで散々論じられてきた。
関西という地域性を体現したような熱烈なファンと、新聞・テレビ・ラジオなど毎日がお祭り騒ぎの圧倒的な報道体制。ケチなフロントとのゴタゴタに、度を越したタニマチ、口をはさむOB、謎の関係者……。
そして何より、監督交代の多さ。藤川球児で36代目──この数字は12球団最多である。村山実、藤田平、金本知憲……現役時代には名選手と呼ばれたスター選手たちも、指揮官になるや折ってたたんで裏返し。
だが、今年。90周年を迎えたタイガースで偉大な記録が打ち立てられた。ひとつは圧倒的な独走による史上最速となるセ・リーグ制覇。もうひとつは、藤川球児監督がタイガース史上初となる“就任1年目”での優勝を果たしたことである。
プロ野球界全体で見れば、昨年の巨人の阿部慎之助監督、ソフトバンクの小久保裕樹監督と、就任1年目での優勝は珍しいことではないように思えてしまうかもしれない。
だが、こと阪神タイガースにおいて、その長い長い監督受難の歴史を念頭に置いて考えると、この藤川監督の偉業には改めて頭が下がる思いだ。
虎で“1年を戦い切れなかった”幻の監督
ちなみに、タイガース歴代監督の就任1年目の成績は以下の通り。
■2位 松木謙治郎(1940)、田中義男(1958)、後藤次男(1969)、村山実(1970)
■3位 若林忠志(1942)、藤村富美男(1946)、金田正泰(1960)、杉下茂(1966)、吉田義男(1975)、安藤統男(1982)、矢野燿大(2019)
■4位 藤本定義(61途)、D・ブレイザー(1979)、星野仙一(2002)、岡田彰布(2004)、真弓明信(2009)、金本知憲(2016)
■5位 中西太(80途)、和田豊(2012)
■6位 中村勝広(1990)、藤田平(1996)、野村克也(1999)
1980年以降、就任初年度でAクラスになった監督は安藤統男と矢野燿大のみ。優勝監督である藤本定義、星野仙一、岡田彰布でも初年度は4位で、名将・闘将と呼ばれた監督とて虎を手懐けるには時間を要している。
そして、実はこの歴代監督の中には“1年を戦い切れなかった”幻の監督がいる。タイガース90年の歴史上、もっとも「けったい」な監督である第8代・岸一郎。冒頭で記した「虎の血」の主人公でもある。
岸については、日本における野球評論の草分け的存在である大和球士が1980年にこんな預言じみたことを書いている。
「(阪神は)常に実力兼備でありながら大型小型の内紛を繰り返し、優勝回数はたった二回(※当時)。情けない限りである。チームの和を欠くという阪神の悪伝統の原点は、昭和30年岸一郎の退陣事件にある」
それは、タイガースの悪しき伝統であるお家騒動の原点。1955年、岸一郎監督1年目のシーズンは、開幕からわずか2ヵ月、33試合だけでの退任。異様である。
れっきとした監督経験者なのに、球団ヒストリーを展示する甲子園歴史館にわずか3行の記述しかないこの謎に包まれた監督。そもそもプロ野球経験はなく、中央球界でも無名。タイガースの監督に就任する前は、福井の敦賀で農業をして暮らす60歳のおじいさんであった。
そんなおじいさんが大阪神の監督になってしまった理由は、当時の野田誠三オーナーに対して手紙で自身を売り込んだからだといわれている。
「私なら今の動脈硬化を起こしかねないタイガースから古い血を入れ替え、新たな健康体に立て直すことができる」
岸は老いたダイナマイト打線からの脱却と、広い甲子園を活かした投手を中心とした守りの野球を提唱する「タイガース再建論」を手紙で直訴すると、なんの因果か冗談か、本当にタイガースの指揮官に抜擢されてしまったのだ。
なんというシンデレラストーリー。
わずか33試合で休養、発表された理由はまさかの…
藤村富美男ら猛虎たちが棲む檻の中に放り込まれた岸老人は、選手からは猛反発をくらい、新聞社による離間の計略にはまり、最後にはベンチで孤立して、わずか33試合で休養を宣告される。発表された理由は“痔ろうの悪化”。冗談のような屈辱的理由だった。
オーナーの独断で監督に抜擢されたこの岸一郎の騒動が引き金となり、翌1956年にはタイガース史上最大の事件ともいわれる藤村排斥事件が起こるなど、タイガースは以後、「お家騒動」という負の伝統を抱えたまま、数十年を歩むことになる。
しかし、それと同時に「勝てばいいだけのチームとは違う」という誇りを胸に、どれだけ勝てなくてもファンは見捨てず、ひどい罵声を浴びながらも愛され続けるチームを受け継いできた。
そんなチームを率いる監督の難易度は、日本プロ野球でも最難関だ。
甲子園は今日も5万満員。これに関西メディアも併せて大きすぎる期待と鋭すぎる批評精神に晒される。組織と派閥のゴタゴタに巻き込まれ、OBの口出しに気を遣い、負ければ“叩いてもいいもの”として衆前に捧げられる。
百戦錬磨の名将、岡田彰布がグラウンドを去り、藤川球児新監督が就任したとき、多くのファンが心のどこかで思ったはずだ。
「藤川もまた、虎に食われてしまうのではないか」
だが、藤川は違った。藤川球児という投手がマウンドでそうだったように、恐れず、逃げず、タイガースの宿命を正面から受け止めると、「虎道を進め」というスローガンのごとく90年の歴史に風穴を開けた。
書籍『虎の血』のラストシーンは、甲子園歴史館で川藤幸三OB会長に藤川球児が岸一郎監督を含むタイガースの歴史を質問する姿で終わっている。
「このタイガースの歴史を若い人はもっと知らなきゃいけませんよ」
当時の藤川本人がそう訴えたように、今シーズンの藤川監督の組織マネジメント、その発言、采配、メディア対策などを振り返れば、彼自身がタイガースの栄光と挫折の歴史を深く学び、先人たちの失敗からこの特異な球団の本質を分析してきたことがよくわかる。
これからはじまるCS、日本シリーズという頂上決戦。ぶっちぎりの優勝を果たしながらも「面白いじゃないですか。ファンの方が一番喜べる機会をつくり出すのがめちゃくちゃ大事」とCS見直しの風潮を一蹴し、正々堂々と虎道を進まんとする指揮官、藤川球児監督は、この先のタイガースにどんな未来を描くのか。
文/村瀬秀信
虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督
村瀬秀信
2023年に18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本一を果たし、沸き立つ阪神タイガース。
そのタイガースの歴史上、「最大のミステリー」とされる人物がいる。
第8代監督・岸一郎。
1955 (昭和30) 年シーズン、プロ野球経験ゼロの還暦を過ぎたおじいさんが、突然、タイガースの一軍監督に大抜擢されてしまったのだ。
「なんでやねん?」 「じいさん、あんた誰やねん?」
困惑するファンを尻目に、ニコニコ顔で就任会見に臨んだ岸一郎。
一説には、「私をタイガースの監督に使ってみませんか」と、手紙で独自のチーム改革案をオーナーに売り込んだともいわれる。
そんな老人監督を待ち構えていたのは、迷走しがちなフロント陣と、ミスタータイガース・藤村富美男に代表される歴戦の猛虎たち。
メンツを潰された球団のレジェンド、前監督の松木謙治郎も怒りを隠さない。
不穏な空気がチームに充満するなかで始まったペナントレース。
素人のふるう采配と身勝手に振る舞う選手たちは互いに相容れず、開幕後、あっという間にタイガースは大混乱に陥っていく……。
ファンでも知る人は少なく、球史でも触れられることのないこの出来事が単なる“昭和の珍事”では終わらず、
タイガースの悪しき伝統である“お家騒動体質”が始まったきっかけとされるのは、なぜなのか?
そもそも岸一郎とは何者で、どこから現れ、どこへ消えていったのか?
満洲─大阪─敦賀。ゆかりの地に残された、わずかな痕跡。
吉田義男、小山正明、広岡達朗ら当時を知る野球人たちの貴重な証言。
没年すら不詳という老人監督のルーツを辿り、行方を追うことで、日本野球の近代史と愛憎渦巻く阪神タイガースの特異な本質に迫る!