AI裁判はもはや未来の話ではないのかもしれない。現在公開中の映画『MERCY/マーシー AI裁判』では、凶悪犯罪の増加を背景に、治安統制のためAIが司法を担うようになった近未来が描かれる。
国内の裁判へのAI導入の現状と今後の可能性について、法律に詳しい明治大学法学部教授・太田勝造氏に聞いた。
簡易な裁判はAIが判決を下す時代が訪れる
あらゆる分野で導入が進むAI技術。昨年5月の憲法記念日には最高裁長官が「デジタル化に伴う改革の一環として考える必要がある」と会見で語るなど、日本の司法でもAIの導入について前向きな議論が交わされている。
AIが日本の裁判に導入されると、何が変わるのか。
太田教授がメリットとして語るのは、
①全国一律の法的判断がなされ,裁判所や裁判官によるブレがなくなること
②科学的に正しい事実の認定がなされること
③嘘や不正確な証言・証拠の悪い影響が少なくなること
④依頼した弁護士の能力の高低の影響を裁判が受けにくくなること
など人間が判断するからこそ生じる“ブレ”が減ることだという。
さらに、資料作成の時間が減ったりすることで裁判にかかる費用が安くなり、また裁判にかかる時間が短くなることで、多くの人が裁判を利用しやすくなるというメリットがとりわけ大きいという。
「人間の場合は、裁判官個人のバイアスがかかる可能性がありますが、AIならデータにもとづいて客観的な判断を下せる。証拠や事実関係の整理といった領域でAIを活用できれば、被疑者・被告人にとって不利な見落としが減ります。自白の任意性の有無も今より正確に判断できるようになって、現在の日本の刑事裁判で問題視されている、人質司法を弱める方向に働くかもしれません。
そもそも民事裁判を起こすにも、費用や時間のハードルが高すぎるという問題があります。もし低コストで迅速に利用できるAI裁判が実現すれば、現状では裁判にアクセスできなかった多くの人々の救済にもつながるでしょう」(明治大学法学部教授・太田勝造氏、以下同)
もっとも、いい話ばかりではない。
AIの導入が進めばバグによる誤判や個人情報の漏洩、ハッキングといった技術的リスクも内在する。
また、AIが学習する過去の判例には、人間の裁判官の偏見や差別が隠れている可能性は高い。そうした期待と不安の両方を抱えながらも、AIの社会実装は少しずつ進んでいるのが現状だ。
日本の司法でAI活用を阻むのは“紙文化”である
ちなみに海外に目を向けてみると、国ごとの差はあるものの、事件管理や判例検索、判決文のドラフト作成など、蓄積されたデータに対して生成AIを活用し、「裁判官の判断を支える補助ツール」としての導入が進みつつある。
日本でも弁護士の業務効率化ツールとしてAIが使われ始めているものの、裁判所内部での公式のAI活用はゼロに等しいレベルだそうだ。その背景には、日本特有の根強い“紙文化”がある。
「訴状、答弁書、準備書面、判決書など、裁判所の各種書類はいまだに紙なんです。弁護士が書類を送るときも、FAXがいまだに多い。
裁判所には『mints』という、民事裁判の書面をオンラインで提出・受領するシステムが導入されていますが、法廷では紙の記録を見ながら審理するなど、裁判所内部の運用が紙ベースなので、最終的には紙に落とさざるを得ないのです。また、アメリカが戦前から判決データを公開してきたのに比べると、日本はそもそも電子化されている判例のデータ量がケタ違いに少ないのです」
オンライン上に十分な判決データがない以上、AIに司法実務を本格的に学習させることは難しい。とはいえ日本の状況が停滞しているだけということでもない。
2026年5月施行開始予定の「民事裁判手続きのデジタル化」を節目に、司法のデジタル化は大きな転換点を迎え、AI活用も段階的に前進していくと見込まれている。
「まず導入されるのは、事実関係整理の補助でしょう。裁判では、原告と被告それぞれの弁護士が膨大な事実や証拠を提出します。
次のステップが、判決文の下書きですね。AIに複数の判決案を作成させ、その中から裁判官がもっとも妥当だと考える案を選び、修正や加筆を加えて最終判決に仕上げるような形になるはずです」
AIが人間を裁く。一見するとSFの光景そのものだが、太田教授は「AIが判決を下すところまでいくと思います」と語る。
「判決をパターン化しやすい分野はAIを特に活用しやすい。たとえば簡易裁判所で扱われる60万円以下の少額裁判事案についてですが、まずAIが判決を出し、不服があれば上訴して人間の裁判官が審理する形になるとみています。
交通事故、月額サービスの請求トラブル、敷金返還,代金未払い、個人間金銭貸借などが典型です。こうしたシステムが国内で完全実装されるまでには30年ほどかかると予想していますが…」
ちなみにすでにeBayやAmazonといった通販サービスでは、「オンライン紛争解決(ODR)」によって、商品の配送や品質、請求トラブルといった定型的なトラブルの多くを、オンラインフォームとAI仲裁手続きの仕組みで半自動的に処理しており、AIによるサポートに納得できない人が、カスタマーコールセンターなど、人間によるサポートを受けられる状態になっている。
人間が判断する領域は必ず残る
そうはいっても、すべての判決をAIが担えるわけではない。ルールでは割り切れない価値判断や倫理観が必要とされる領域では、今後も裁判は人間の役割として残る。
「量刑のように、最後まで『正しさ』を完全に説明しきれない領域ではAIには判断が下せません。たとえば殺人事件で従来の判例に照らして懲役20年だとしたとき、『なぜ3年では短すぎて、40年だと長すぎるのか』を、完全に合理的な形で説明するのは難しい。そもそもその実質的合理性はよくわからない。そこには、社会の感覚や価値観がどうしても入り込みます。
更にAIが学ぶ元データそのものに、人間社会の偏見が反映されています。女性差別、人種差別、年齢差別など、人間が意識・無意識を問わず行なっている差別が、そのままデータに入り込んでしまう。それをAIがなぞる形で再生産してしまうわけです。そのため、最終的に人間がチェックする工程を残す必要もでてくる。これをヒューマン・イン・ザ・ループ(HITL)原則と呼びます」
価値観の違いもあれば、国ごとにとらえ方も違う。映画のように、すべての司法をAIがつかさどる世界が訪れるとは考えにくい。しかし、人間の判断を支えつつ一部の分野では自動的に結論案を提示する「相棒」としてのAI裁判は、確実に現実のものになりつつあるといえそうだ。
取材・文/福永洋一

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