「どんなに言葉をつくっても原爆の悲惨さは言い表せない」…被爆二世が忘却に抗ってでもヒロシマの実相を書く理由「原爆文学は日本にしかない」
「どんなに言葉をつくっても原爆の悲惨さは言い表せない」…被爆二世が忘却に抗ってでもヒロシマの実相を書く理由「原爆文学は日本にしかない」

広島市に原爆が投下されて80年以上過ぎた今もなお、その爪痕は深く刻まれたままだ。多くの死者はもちろん、大量の放射線を浴びた被爆者たちは心身の後遺症に苦しんだ。

この忘れてはならない「負の記憶」から学ぶべき教訓は多い。もし核戦争が起きたとして、核兵器使用の可能性を軽々しく口にする現代の政治家たち、そしてそれを支持する人たちも「被害者にならない」ということはありえないのだ。

 

書籍『原発回帰を考える 3.11から15年目の大転換』から抜粋・再構成してお届けする。

8月6日の「負の記憶」

平和記念資料館に展示された「人影の石」は、訪れる人々に大きな衝撃を与えることになった。原子爆弾の悪魔的な威力を、端的に伝えるモニュメントだからである。

その結果、「座っていた人が一瞬で蒸発して影だけ残った」「座っていた人が強烈な熱線で石に焼き付けられた」などの言説も流布した。被爆した瞬間をまさにそのように表現した映画などもあった。

しかし、人間は有機物なので一瞬で蒸発したり気化することはない、と科学者たちは言明している。その場から人間が消えていたとしたら、爆風で吹き飛ばされたか、遺体が動かされたのであろうと。

他方、峠三吉も詩っていたように「焼き付けられた」という理解はあながち否定できないことが2000年の奈良国立文化財研究所(現・奈良文化財研究所)の調査によって判明した。人影に有機物質が認められたのである。ただし、それが人の皮膚などの生体成分であるかどうかは確定できないというコメントも発表された。

平和記念資料館を訪れた内外の政治家の多くも「人影の石」に言及している。

受けた衝撃を作品のモチーフとした内外の詩人や文学者もあった。ひとたび目にしたら、心を去らぬ「負の記憶」なのである。個人的な感慨もあって、私自身もこれまでに「人影の石」を主題に3作を上梓した。

こうしてヒロシマを書くとき、まるで自分の目で見たように蘇ってくる光景がある。親族から繰り返し聞かされた8月6日の「負の記憶」だ。

翳った大気の中から忽然と現れた、人であって人でない、人のかたちをした幽鬼の群れ。生きながら焼かれた人々が川土手をぞろぞろと歩いていく。

「人影の石」が象徴するように、廣島で暮らしていた人々は想像を絶するエネルギーを浴びて犠牲になった。辛くも生き延びた人々は地獄と化した街で彷徨い、歩ける者は郊外へ郊外へと逃げていったのである。大火傷を負って性別すら分からぬ人。飛び出した眼球を手で受けている子ども。黒焦げの赤子を背負った母親。

焼けただれた身体に腰紐だけの女性。

髪は突っ立ち、腕を前に差し伸べて手のひらを天に向けている。指先からだらりと垂れ下がっているのをよく見れば、大火傷を負ったためにめくれた皮膚なのだった。

差し伸べた腕に薬罐を掛けている人がいる。やがて力尽きたのか、ぽとりと薬罐を落とす。後に続く人が拾い上げる。力尽きる。捨てる。傷だらけのアルマイトの薬罐に、また手を伸ばす人がいる。また捨てる。そんな一連の光景が、モノクロの無声映画のように延々と目の前を流れていったと。

どんなに言葉をつくっても

市の外れに住んでいた親族は家屋に大きな被害がなかったので、これらの人々や、市中心寄りの中学から逃げてきた生徒たちを何人も受け入れて看護した。

朝礼中、炎天下の運動場で被爆した生徒たちは顔も身体もパンパンに膨れ上がり、夜を越せた者はほとんどいなかった。

死にざまは惨たらしく、敷布団の下の畳まで真っ黒になって臭いがとれないほどだった。しかし、我が子を捜しに来た父母は、見るも恐ろしい遺体を抱きしめて慟哭したという。

市東郊外の戸坂町、かつての戸坂村は村を挙げて被爆者の救護にあたった。村民が残した記録の中に「どんなに言葉をつくっても原爆の悲惨さは言い表せない」とあって、初めて読んだ時、私は「つくっても」は「尽くしても」の誤りであろうかと考えた。だが、そうではなかったのだろう。

親族や被爆者の証言を聞けば聞くほど、記録を読めば読むほど、きのこ雲の下がこの世の地獄と化して人々が惨たらしく害されたことが知れる。しかし、実相はそれ以上だったに違いない。たとえ言葉を「作れた」としても、とうてい表せない凄惨さだったということだ。

しかし、語り伝えることを私たちは諦めるわけにはいかない。

核兵器の恐ろしさは、一発で何万人も殺戮し街や市を壊滅させることだけではない。人間はおろか、国も大地も、山も海も、核物質に侵される。たとえ生き残ったとしても、もはや安全に生きていける場所はない。

そして、生きながら焼かれた後の苦痛、身体の内部まで貫いた放射線による病の数々。それらの被害は長く続くのである。被爆した人々だけではなく、被爆地を歩きまわった人々、さらにその子孫たちに現れる恐ろしい影響があるのだ。

放射線障害によって身体の深部まで冒され、DNAまでも傷つけられるからだ。まさに核物質は命を内部から朽ちさせるのである。身体だけではない。想像を絶する光景やあまりにも無惨な死にざまを目の当たりにして、心が死んでしまう人々もある。

被爆二世として私が実際に見てきたのは、小頭症の同級生、白血病で亡くなった親族や友人、体中を次から次へと癌に蝕まれた被爆者たちとその子どもたちである。一人娘を奪われて正気を失くしてしまった母親もいた。よく知られているように、原民喜(1905~1951)も自死を選んだ。

核兵器使用の可能性をいとも簡単に口にする為政者

今日、世界を見ていて慄然とさせられるのは、核兵器使用の可能性をいとも簡単に口にする為政者や極右の人々が、いかなる理屈をもってしてか、自分たちを被害の圏外に置いているらしいことである。確たる安全性を担保せぬまま原発を推進しようとする人々も同様だ。

原子力と人類は共存できない。

もしも再び核兵器が使用されることがあれば、誰一人その被害からは逃れられない──その厳然たる事実を彼らは認識していないのである。

原爆投下や原発事故の実相から目を背けず、被爆や被曝のもたらした恐ろしい結果を自分事として捉えるならば、核兵器使用などは考えもしないはずなのだ。「核の平和利用」などという聞こえのよい言葉にもごまかされないだろう。

2025年現在、日本という小さな国に原発は(廃炉確定24基、建設中3基を含め)60基ある。地震は頻発している。遠い国で起きた地震によって押し寄せる津波もある。フクシマは容易にまた繰り返される可能性があるということなのだ。

さらに、原発について懸念されるのは事故だけではない、攻撃にさらされる危険性もある。これらを真剣に踏まえれば、現状のままの原発回帰などありえないだろう。

2011年の原発事故後、海外出張の先々で、慰めの言葉と共に被害について熱心に問われたのを思い出す。フクシマを教訓として脱原発に舵を切った国も多い中で、今また日本が後ろ向きに発進しようとしているのはなぜなのか……。唯一の被爆国でありながら核兵器禁止条約を批准できないことと同じ構図に見えてならない。

戦後80年に実施されたアメリカの世論調査において「原爆投下は正当化されるか」という問いがあった。「正当化されない」と答えたのは全体の31パーセントで、肯定派の35パーセントには及ばなかったものの、18~29歳の年齢層では否定派が44パーセントに上っている。

ノーベル平和賞を受賞したICANや被団協の長年にわたる活動や発信に加え、オリバー・ストーン監督らの作品などさまざまなジャンルからの発信によって、被爆の実相、核兵器使用の非人道性が伝わりつつあるということなのだろう。

児童文学だが、拙著『光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島』(講談社、2013年)の英語版“Soul Lanterns”(Penguin Random House,2021)が刊行されると、アメリカの書評サイトに驚くほどたくさんの感想がアップされた。多くが同じことを書いていて、それにも驚かされた。

すなわち「自分たちはこのようなことは知らなかった」「自分たちはこのようなことは学校では教わらなかった」と。「このようなこと」というのはヒロシマのあの日と、その後に長く続く苦しみのことである。

細々とでも発信することには意味があると感じさせられた反響だった。核兵器や原発についての意識を変えていくためには、まずは「負の記憶」を語り伝えなければならない。言うまでもないことだが、「原爆文学」は日本にしかないのである。

忘却に抗って書く

はびこりつつある歴史修正(改竄)主義の果てには「原爆投下なんてなかった」「それほどの規模ではなかった」などという言説がまかり通る日が──まさかとは思うが──来るのではないかという恐れさえある。

例えば昨今、広島を訪れる内外の若者たちが、きれいに整備された平和公園を見て「公園の上に原爆が落ちてよかったですね」と言い、復興した市街を見て「被害はそれほどでもなかったんですね」と言う。

1945年8月6日、晴れ渡った空の下には賑やかな廣島の街があり、ささやかでもかけがえのない数多の暮らしがあった。だが、一発の原爆によって何十万ものかけがえのない命が奪われた。過去形ではない。進行形でもある。今も放射線由来の病に苦しむ人もあれば、二度と帰ってこない誰かを待ち続けている人もある。この人たちは皆、未来の私たちでもありうる。

原発事故後、福島の人々が避難の困難さに加えて差別や風評被害に苦しめられていることを知るにつけ、広島市民の戦後に重ねずにはいられなかった。

同時に、私たちがヒロシマ(やナガサキ)をもっと伝えてこなかったので、フクシマに繫がったのではないかという悔いに苛まれた。

だからこそ、忘却に抗って書く。

過去の「負の記憶」を語り伝えることは、未来に二度と同じことが起こらないよう警戒することと同義だからである。

共感共苦をもって「負の記憶」を心に刻むなら、その先には核兵器使用も、安易な「核の平和利用」もありえないはずなのだ。

文/朽木祥

原発回帰を考える 3.11から15年目の大転換

著者:吉田 千亜、桐野 夏生、鈴木 達治郎、朽木 祥、浅田次郎、野上 暁、橋爪 文、青木 美希、落合 恵子、吉岡 忍、金平 茂紀、ドリアン 助川、編者:日本ペンクラブ
「どんなに言葉をつくっても原爆の悲惨さは言い表せない」…被爆二世が忘却に抗ってでもヒロシマの実相を書く理由「原爆文学は日本にしかない」
原発回帰を考える 3.11から15年目の大転換
2026年2月16日発売1,210円(税込)新書判/256ページISBN: 978-4-08-721399-7

原発新設方針に大きく舵をきった日本政府。
原子力と日本の未来をいま一度問う

原爆被爆から80年の2025年、日本政府は原発新設方針に大きく舵を切り、核活用拡大に転じた。
原発低減・再生エネルギー最優先をやめるという、3.11の原発事故以降最大の方針転換だ。
2026年3月は、福島第一原発事故からちょうど15年。レベル7のあの事故からたった15年で原発回帰へ。
大転換の背景にいったい何があったのか。そもそも地震国日本で原発は可能なのか。
原発事故以降最大のこの政策転換に、我々は今何を学び、何を考え、何をすべきなのか。
原子力と日本の未来について、作家、ジャーナリスト、詩人、研究者らが思いや提言を熱く語る。

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