2月中旬、あるヴァイオリニストがYouTubeに投稿した動画がXで話題を呼んだ。「音大おじさんって誰?藝大生が見た音楽業界の“歪んだ構造”」と題するその動画では、音大生に迷惑行為を行なう男性の実態について20分以上にわたり語られ、多くの人に衝撃を与えた。
「約1年かけて原稿を書き、書き終えたタイミングで動画を投稿しました」
「音大おじさん」という言葉を聞いたことはあるだろうか。音大の演奏会や音大生の出演するコンサートに現れては迷惑行為をする男性を指す俗称だ。
その迷惑行為の内容は、「声掛けが長引く」「極端な批判やダメ出しをする」「出演者に連絡先の交換やSNSの相互フォローを迫る」「出演者の写真を撮影し、無許可でSNSにアップする」「最前列の座席からお辞儀の瞬間を撮影する」など多岐にわたる。
動画を投稿したのは、東京藝術大学出身のヴァイオリニスト原田真帆氏だ。卒業後は英国王立音楽院に進学し、現在は日本とイギリスを拠点に、演奏と指導をしつつ研究者としても活動している。研究テーマは「クラシック音楽におけるフェミニズム」だ。
「博士論文を書く中で、自分自身も男性至上主義的な考えに囚われていたことに気づきました。フェミニズムは『怖い』という印象があるかもしれませんが、『内省し続ける』というか、修行に近いようなものだと捉えています」
原田氏が「音大おじさん」の問題を意識するようになったのは学生時代にさかのぼる。
「藝大や知人の演奏会で衝撃的なおじさんを見ることが何度もありました。自分の演奏会にそういう人が来たら嫌だと思い、『嫌だとはっきり言おう』と発信し続けてきました。
博士課程でこの問題について書いた際、イギリスの人には衝撃的に受け取られました。
自身のYouTubeで触れていないことに罪悪感すらありましたが、どう話すべきか悩みました。約1年かけて原稿を書き、書き終えたタイミングで今回の動画を投稿しました」
動画では、具体的な迷惑行為の実例が語られている。
「極端な例では、行動が過ぎて藝大を出入り禁止になった人がいます。舞台裏や楽屋のほうに勝手に入ってきて、自分の“推し”とツーショットを撮りたがったり、あるいは自分は写らず、“推し”だけを撮って、それをわざわざ印刷して次の演奏会に持ってきたり。
また、ブログ等で演奏会の鑑賞記録を書かれる方がいますが、『演奏会後の対応が不愛想だった』とか『話しかけづらい雰囲気で、そういう面が演奏に出るのだろう』というように演奏とは無関係のことを書かれる場合もあります。
それが10代の演奏家に向けられる場合もあり、深刻なトラウマにつながる可能性もあります」
「なぜおじさんの目を気にしてこちらが衣装に気を遣わないといけないのか」
今回の原田氏の動画投稿に対して、「女性ピアニストの足元ばかりを客席から撮影したYouTubeチャンネル」の存在が報告されるなど、盗撮被害も問題になっている。
「演奏を無断撮影すること自体が問題ですが、前方の座席から奏者がお辞儀した瞬間を狙って胸元を撮影するケースもあります。また終演後のロビーで、写真撮影の際に演奏者の肩を抱いて撮りたがる人がいます」
このような行為が生じる背景には、女性演奏家の衣装の問題があると原田氏は指摘する。
「女性奏者は肌の露出の多い衣装を着ることが多いですが、そうした風潮には疑問があります。主催側にドレスの着用を求められることもありますし、出演者が複数の場合は調和を重んじる傾向があり、その中でドレス以外の選択肢を取るのは難しい。
一方で、ドレスは魅力的な衣装でもあります。ですから、『なぜおじさんの目を気にしてこちらが衣装に気を遣わないといけないのか』という怒りも同時にあります」
しかしながら、迷惑行為をする人にも最初は純粋な「ファン」として好意的に接することが多いため、問題は複雑だ。
「そういう方は、“推し”のほぼすべての演奏会に来場します。ある意味では演奏会を支える存在なので、奏者側も最初は好意的に対応します。
それが段々常識から外れた行為に発展してくると、『おかしい』と思っても拒絶しづらくなってしまう。そうした関係性が、相手の行動をエスカレートさせていっているのではないかと思います」
さらに、SNSを集客に活用する中でファンに個別に連絡するケースも少なくないという。
「我々としても、興行の観点からすればチケットは売れたほうがいいに決まっています。Facebookで友達申請が来たらすべて受け入れたり、一度フィードで告知したあとに、個人的にファンの方へ連絡して演奏会にお誘いしたりするケースも非常に多いです。
ただ、私はそうしたやり方にはリスクが高いと感じています。先輩がそのような方法を取れば、後輩も真似してしまいます。
だからこそ『私はそういうことはしない』と発信することで、後の世代の“断る勇気”につながればいいと思っています」
多国籍なイギリスで出会った「ある言葉」とは
本来「音大おじさん」という言葉には、「純粋な音楽ファン」という意味も含まれていたという。しかし今では「すっかり悪い意味でつかわれることが多くなってしまった」と原田氏は話す。
「ただ、私が思うのは、ひとりの人間の中にいろいろな面があるということです。私だって、すべてが正しい人間というわけではありません。
今回の動画も、誰かを非難することが目的ではなくて、『自分の中にもそういう部分があるかもしれない。だから一緒に省みてみよう』ということを伝えたかったのです」
取材の最後に、原田氏はある言葉を教えてくれた。
「『アクティブバイスタンダー(Active bystander)』といって、差別を見かけた時に居合わせた第三者がさりげなくカットインする方法があります。言葉自体は、行動する傍観者という意味です。
イギリスでは、電車内などで差別的発言やハラスメントなどを見かけた際、傍観者がそれを邪魔する際の例文などが広告として掲示されています。たとえば『この電車はどこ行きですか』とか『今何時ですか』などです。
『音大おじさん』の問題でもこの方法は有効だと思います。もし演奏会場で迷惑行為を目撃したら、当事者でなくても『すみません、出口はどこですか』などと割り込むことで救える場合があるかもしれません。演者でも共演者でも、あるいは観客でも、できることがあると思います」
こうした問題について相談できる窓口の一つに、東京芸術文化相談サポートセンター「アートノト」がある。
東京都とアーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)が運営する、アーティストや芸術文化の担い手を支援するプラットフォームだ。
都内で活動するアーティストらが持続的に活動できるよう、弁護士や税理士などの専門家、外部機関とも連携しながらオンラインを中心に総合的なサポートを行なっている。
相談が寄せられた際の対応について、センターの担当者は次のように説明する。
「芸術文化の知識・経験を持つ相談員が対応し、解決に向けてお手伝いします。内容によっては、適切な関係機関におつなぎしたり、弁護士などの外部専門家をご紹介します。
コンサート会場での来場者による迷惑行為については、東京都カスタマーハラスメント総合相談窓口をご案内する可能性もあります」
取材の中で原田氏は、「こういう問題は、いつも被害を受ける側が説明のコストを負わされてしまう」と語った。今回の発信は、音楽業界で長く語られてこなかった問題を可視化するきっかけとなったといえる。
世間に流通する俗称は「音大おじさん」であるが、若い人でも、女性であってもこのような加害者はいるだろう。誰もが当事者になり得るこの問題について、議論が進むことが期待される。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

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