昨年刊行されて話題を呼んだ医療ノンフィクション『見えない死神 原発不明がん、百六十日の記録』(集英社)。同書は書評家の東えりか氏が、「原発不明がん」と診断された夫・保雄氏を看取るまでの約160日間の記録を克明に綴った一冊だ。
昨今話題になることが多い「原発不明がん」とは、一体どのような病気なのか。きわめて珍しい「希少がん」の研究や治療は、現在どのような状況なのか。そして、診断が下った場合に患者が相談できる窓口は存在するのだろうか。東えりか氏が、同書の医学監修・解説を務めた下山達医師(東京都立駒込病院)にインタビューを行った。〈前後編の前編〉
希少がんの種類は約400種類
東 今日は私の新著『見えない死神 原発不明がん、百六十日の記録』の医学監修および解説をご担当いただいた、東京都立駒込病院の下山達先生にお話を伺いたいと思います。
『見えない死神』では、夫の保雄が「原発不明がん」に罹ってから亡くなるまでの約160日の経過を記録しています。原発不明がんという病気は「希少がん」というカテゴリーに含まれるということですが、そもそもこの言葉を初めて聞くという方も多いはずです。簡単にご説明いただけますか。
下山 希少がんとは読んで字の通り「発生率の少ないがん」という意味で、具体的には人口10万人あたり6人未満の稀ながん、という定義です。小腸がんや心臓のがんといった、場所(臓器)がまれながんもあれば、メラノーマ(悪性黒色腫。皮膚がんの一種)やジスト(GIST:Gastrointestinal Stromal Tumor。消化管にできる肉腫の一種)といった、組織(がんの種類)的にまれなものもあります。我々のようながん専門医でも出会ったことのないものも多いです。
東 たとえば2021年の診断数を基にすると、大腸がんは人口10万人あたりの罹患率が約123人でしたね(国立がん研究センター「がん種別統計情報 大腸」より)。
下山 ところが希少がんは、全部を合わせるとがん患者全体の5分の1を占めるほどになるんです。
東 1年間でがんになる人数は合計でどのくらいですか?
下山 年間100万人ぐらいです。
東 そのうちの5人に1人が希少がんなんですね。いま、希少がんの種類は約400種類とも言われていますけれども、全部合わせると5人に1人になっちゃうんですね。
下山 そのぐらいの割合になります。最近では研究が進んだことによって、希少がんは増えています。なぜかというと、今までは「乳がん」とか「胃がん」と一括りにしていたものでも、いろいろな種類があることがわかってきたからです。実際、同じがんでも治療効果は同じではありません。
同じ治療をしているのに、なぜ効果が違ってきてしまうのか。たとえば乳腺から生まれたがんだからといって、がん細胞の性質は同じではないからです。胃の粘膜から生まれたがんであっても、分子レベルで特徴を見てみると特殊なものがあるとわかってきた。
ですから、これまでは胃にできたので「胃がん」といわれていたものが、「胃の●●がん」「胃の××がん」という風に細分化されて希少がんにカテゴライズされるようになり、それぞれ違った治療をすることになってきます。
東 昔とは違って、細かく分類されてしまったということですね。現在でも、いわゆる「5大がん」と言われるようなものは、初期に見つかれば比較的治りやすいのでしょうか?
下山 多くのがんは薬では治らないんですが、早期に発見すれば手術で切り取って治すことができます(=外科的切除)。しかし、がんはそれが難しいので治りづらいのです。それでも今では研究が進み、特徴に応じた色々な薬ができ始めているので、従来は治らないと思われていたがんでも治るケースが出てきています。
希少がんの研究は始まったばかり
東 2025年に国立がん研究センターによって「新しい希少がん分類(New Classification of Rare Cancers)」が公開されました。ここにはカテゴリーAとBがあるんですが、どういうものなんでしょうか?
下山 かなり専門的な話になりますが、希少がんの定義は世界中でバラバラなんです。人口あたりのがんの数も、国によってかなり変わってきますから。また、昔は希少であれば何でも「希少がん」と言ったわけですが、より詳細に見ていくと、先ほどご説明したように「場所(臓器)が希少」であるパターンと「種類(組織)が希少」であるパターンがあるわけです。
たとえば、消化器のがんでも、小腸や肛門管にあるというだけで希少です。一方で、胃はがんが多い臓器ですが、大半は胃の粘膜から生まれたもの(腺癌)であり、胃の筋肉やリンパ組織から生まれるがん(それぞれ肉腫/リンパ腫)は稀です。だからこういう「生まれた臓器」が希少なものと、肉腫のように「組織が希少」というふたつのパターンがあります。
このように発生場所(部位)と組織のふたつに注目して、国立がん研究センターがここ2~3年の間に整理を行い、2025年に400近い希少がんを分類しました。これによって初めて希少がんの定義ができたので、国内においては研究対象が定まりました。しかし、海外では頻度も定義も異なります。希少がん研究というのは、実はまだこんな段階なんです。
東 国立がん研究センターに拠点として「希少がんセンター」ができてから、まだ10年も経たないくらいですよね。
下山 そうですね。2017年の設立です。
東 それまでは皆さん、それぞれバラバラに治療していたということですか。
下山 はい。昔は分類上の定義も明確ではなく、私の所属する駒込病院にも希少がんの患者さんがどれくらいいるのか、数さえ把握できませんでした。がん登録が整備され、希少がんセンターが始まり患者さんの数を把握できるようになった、まだそういう入り口の段階だということです。
私が所属しているのは腫瘍内科という、特にさまざまながんを診る部門です。
2024年には駒込病院でも「希少がんセンター」を設立し、希少がんもしっかり診る、という方針を立てました。そうすると、これまで診てこなかったがんも積極的に診なければいけなくなります。
しかし、そもそも希少がんという性質上、専門医であっても過去に診たことがない、診ても1~2例というがんも多いわけです。なので、患者さんがイメージする専門家とは異なってしまう場合もあります。こうしたケースに対しては、キャンサーボード(医療機関内で複数分野の専門家によって行われるがんの治療検討会)で病理医、外科医、放射線科医、その臓器の専門医、薬物療法の専門医(腫瘍内科)が知見を集約し、方針を決めていくことになります。
患者さんからは、専門家と名乗っている以上はたくさん経験があるはずだ、と期待されていると思うので、それについては葛藤があります。もちろん原発不明がんや血液腫瘍など、昔からの多くの治療経験がある希少がんも存在するのですが。
実際、駒込病院で希少がんセンターを立ち上げる時には、国立がん研究センターの希少がん担当の先生に相談をしました。
漢字の「癌」とひらがなの「がん」は違う
東 夫の保雄が前の病院から転院することになり、セカンドオピニオンを受けるため下山先生に最初にお目にかかった時に、ひらがなの「がん」と漢字の「癌」の違いをご説明いただきました。改めて解説していただけますでしょうか。
下山 少し回り道をさせてください。たとえば「肝臓にがんがあります」と言われたら、皆さんは肝臓がんの治療をすると思っていますよね。でも、そうではありません。肝臓にがんがあるからといって、それは「肝臓がん」とは限らないのです。
もともと肝臓から発生したがんが肝臓がんです。それに対して、例えば胃がんが転移して肝臓にできたり、大腸がんが転移して肝臓にできたりした場合、その肝臓にあるがんには胃がんの治療、もしくは大腸がんの治療をしなければいけません。だから、がんがどこにあるかも大事なんですが、がんが「最初にどこから生まれたか」が一番大事なんです。
東 その「一番最初にできた場所」のことを、医学専門用語で「原発」と言うんですよね。
下山 例えば胃からがんが生まれたら、多くの場合は胃に大きなかたまりがあって、そこから子どもである「転移」ができてくる。だから容易に原発が推察できるわけです。
でも稀に、胃では大きながんが見つからないのに、転移した先でどんどん大きくなることもあります。大元のがんが何らかの理由で消滅してしまったケースなどです。そういう時の手がかりが「病理診断」です。がん細胞の一部を採って観察し、胃の粘膜の特徴を持っていれば胃粘膜からできたんだな、などと判断できるわけです。
そのため原発不明がんの場合は、がん細胞の特徴(病理診断)が重要になってきます。病理診断では、粘膜細胞から生まれたがんは「癌」、筋肉細胞から生まれたがんは「肉腫」といったように、区別して診断をつけます。ひらがなの「がん」は様々ながん全体のことを指します。
東 ちょっとややこしいので整理させていただくと、ひらがなの「がん」という大きな集合体があって、その中に漢字の「癌」があるという、そういう理解でよろしいですか?
下山 その通りです。「がん」という大きな集合の中には、たとえば血液のがんと言われる「白血病」や、筋肉のがんと言われる「肉腫」、そして悪性リンパ腫などが含まれます。
東 そういうものも全てひっくるめて、ひらがなの「がん」。それに対して漢字の癌というのは臓器の粘膜に直接できた、いわば「おでき」みたいなものと言っても良いんでしょうか。
下山 見た目はおできですよね。
東 まず、このことを大半の方が知らないですよね。
下山 我々はがんの診断をするにあたって、これは「癌」なのか、それとも「肉腫」なのか、あるいは血液細胞由来なのかをまずは突き止めなければいけません。
外来でよく説明することですが、「胃がん」と一言で括ってもさまざまなパターンがあります。胃には粘膜があります。この粘膜からがんができていたら、漢字で「胃癌」と言います。皆さんが胃がんといってイメージするのは、大抵それです。
でも、胃は粘膜の下に、収縮させるための筋肉があるんですね。その筋肉からがんが生まれたら、それは「胃の肉腫」と言います。あるいは、胃の粘膜の間には小さなリンパ節があります。そこからがんが生まれたら「胃のリンパ腫」です。胃から生まれたものが全部「胃癌」なのではなくて、胃の粘膜からできたものが、一般に想像される「胃癌」なんです。
東 数のうえではそれが圧倒的に多いわけですよね。
下山 ほとんどの場合が漢字の「胃癌」です。
東 しかし胃にできた“がん”にも、希少がんである肉腫やリンパ腫などもある。
下山 なので、場所としては胃にできたとしても、組織のタイプによっては希少がんに入ってしまうことがあるわけです。
相談窓口の「希少がんホットライン」
下山 一般に、がんといえば「5大がん」、すなわち肺がん・胃がん・大腸がん・肝臓がん・乳がんをイメージされる方が多いのではないでしょうか。これらは多くは粘膜由来の「癌」であることがほとんどで、切除する以外、基本的に薬で治すことはできません。
最近では免疫療法が発達して、一部では治ったんじゃないかと思うぐらい長生きする方も出てきました。ですが、それは限られた一部であって、基本的には薬では治らないと説明しています。よく言われる「ステージⅣ」とは、がんが離れた場所に転移している状態を指します。この場合、通常では手術は選択できないので、患者さんは末期だと受け取ってしまいます。
それに対して白血病や悪性リンパ腫の場合、血液のがんなので一カ所に留まることはなく、ステージⅣの状態が当たり前です。そもそも手術もしませんので、ステージⅣだから治療法がない、末期だ、などといった考え方は全くありません。漢字の「癌」か、肉腫なのか白血病なのかによって、治療法が根本的に違ってきてしまうわけです。だから原発不明がんの場合、治療の最初の第一歩として、まずはここをご理解いただく必要があるのです。
東 ステージというと、がんの進行度合いであって重篤さを示すものだと思われがちですが、一概にそうとも言えないんですね。最近では「2人に1人ががんになる」とも言われ、切除して5年が経っても再発しない、寛解したという話も耳にするようになりました。割と身近な病気だと考えてしまいがちですが、実はすごく複雑な病気であることがよくわかります。
保雄の場合、入院してから3ヶ月近く検査を続けましたが、原因がわからなかった。がんも見つからなかったということは、かなり特殊だったのだと思います。そういった珍しいタイプのものは、診断できる方も少ないのでしょう。
下山 希少がんの診断では、病理診断が重要です。希少がんに強い病理の医師は少ないです。臨床診断においても、原発不明がんの検査・治療は複雑で、専門性が高い疾患です。希少がんの専門家という医師はいないということで、例えば私は「希少がんセンター長」という肩書きですけれども、保雄さんのような疾患を院内で一番よく診ている専門家、というわけではありません。この領域に関していえば、当科であれば私の後輩である奥屋俊宏先生などが専門的に診ています。
東 奥屋先生には保雄の主治医を務めていただきました。本の中にも書きましたが、「私の息子ほどの年齢」というぐらいお若いのに、この領域では下山先生よりも詳しいのですね。
下山 私も原発不明がんを診てきましたが、今は血液のがんである悪性リンパ腫を専門にしています。奥屋先生は国立がん研究センターで原発不明がんに関するトレーニングを積んで、スタッフとして実際に多くの症例を見てきています。ですから、私が最初に診断した後、うちの病院ではこの疾患への対応は奥屋先生が一番適していると判断して、入り口だけつくって彼に頼んだんですね。
これが希少がん治療の進め方です。つまり、ひとりの人間がすべてを診ることはできません。それぞれ細分化された専門家がいるので、まずはチームとして全体を診て、それぞれの分野に詳しい先生が集まって対応していく。そういうことを組織的にできるようにしたのが希少がんセンターなんです。
東 国立がん研究センターの希少がんセンターでは、毎月2回ほど「希少がんMeet the Expert」というセミナーを開催し、動画でも配信していますね。希少がんに関する情報が本当に少ないなか、貴重な発信源となっています。
組織的な対応ということで言えば、もうひとつ紹介したいことがあります。国立がん研究センターに「希少がんホットライン」という電話相談の窓口があります。治療の相談をすべき先がどうしてもわからず、本当に困っている方からの電話を受け付けていて、現在では日本全国7か所で開設されています。今回の本を書くにあたり、取材を進めていて初めて知った存在です。
残念ながら、保雄は闘病中にここにたどり着くことができませんでした。希少がんや原発不明がんに関しての知識は圧倒的に少ないのが実状です。皆さんの近くでも、こうした情報を必要とする方がこれから出てくるかもしれません。その時に今回書いた本が、あるいはこうしたお話が何らかの形で役に立ってくれればと願っています。
構成/集英社学芸編集部
【参考】
本記事で紹介された、希少がんである、あるいは希少がんの疑いのある患者さんやご家族・医療者が相談できる電話相談窓口「希少がんホットライン」は、以下のリンクよりご確認いただけます。
https://www.ncc.go.jp/jp/rcc/hotline/index.html
下山達医師が所属する「東京都立駒込病院 希少がんセンター」のホームページは以下となります。
https://www.tmhp.jp/komagome/section/center/kisho_gan_center.html
なお、YouTubeの「国立がん研究センター公式チャンネル」では、難治がん・希少がんをはじめ、様々な種類のがんに関する最新の情報や解説動画が配信されています。
https://www.youtube.com/@NationalCancerCenterJapan
また、希少がんホットライン、原発不明がんについては以下の動画で扱われています。
・国立がん研究センター中央病院患者サポートセンター希少がんホットラインについての紹介
https://youtu.be/dofzV5RdjnM?si=2Tp13yU2Y1mh5cdc
・国立がん研究センター×九州大学「オンライン 希少がん Meet the Expert」
第2回 原発不明がんて、どんな病気? どんな治療があるの?
https://youtu.be/xZ_SmvRV2ZI?si=_cPt5ePE9_7NvnYq
見えない死神 原発不明がん、百六十日の記録
東 えりか
夫の突然の腹痛、そして入院。検査を繰り返すが、原因は不明。
ようやく診断がついたときには、余命わずか数週間。
「原発不明がん」とは、いったい何なのか?
第22回開高健ノンフィクション賞最終候補作
【各界から絶賛の声、続々!】
理不尽極まりない、まさに「見えない死神」。明日は我が身。震え上がりながら一気に読んだ。
――成毛眞氏(「HONZ」代表)
哀しみの底に沈みながらも、決して諦めない。検証し続ける。その圧倒的な想いの強さに胸うたれる。
――小池真理子氏(作家)
著者は、愛する人を「希少がん」で亡くすという個人的な体験を病の普遍的な記録にまで昇華させた。苦しみを同じくする人々や医療難民にとって必見の情報と知見がここにある。
――加藤陽子氏(歴史学者)
【本書の内容】
ある休日、夫が原因不明の激しい腹痛に襲われた。入院して検査を繰り返すが、なかなか原因が特定できない。ただ時間ばかりが過ぎ、その間にも夫はどんどん衰弱していく。
入院から3ヶ月後、ようやく告げられたのは「原発不明がん」の可能性、そして夫の余命はわずか数週間ではないか、というあまりにも非情な事実だった。
この「原発不明がん」とは、一体いかなる病気なのか?
治療とその断念、退院と緩和ケアの開始、自宅での看取り……。発症から夫が亡くなるまでの約160日間を克明に綴るとともに、医療関係者への取材も行い、治療の最前線に迫ったノンフィクション。

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