90万人以上の命を救った中村哲のまわりで何が起きていたのか…100人超の証言で浮かぶ“巻き込む力”の正体〈山岡淳一郎×須賀川拓〉
90万人以上の命を救った中村哲のまわりで何が起きていたのか…100人超の証言で浮かぶ“巻き込む力”の正体〈山岡淳一郎×須賀川拓〉

アフガニスタンで長年にわたって井戸や用水路建設などの灌漑事業を行っていた医師・中村哲が、武装集団による凶弾に倒れてから6年がすぎた。このほど、中村を支えてきた周辺の人々への取材を重ねた『炎と水 中村哲と名もなき人たちの旅』が刊行された。

著者のノンフィクション作家・山岡淳一郎と、戦場記者として世界各地を取材する須賀川拓が、中村哲という「大河」が遺したものについて語り合う。〈前後編の前編〉

100人を超える人たちへインタビュー

須賀川 ご著書、一気に読みました。中村哲という人物は、自分の中である種、神格化されていたんですね。彼の言葉や行動は、常人ができることでは決してないし、自己満足でできるものでもない。でもこの本を読んで、「あ、この人もやっぱり人間だったんだ。こういう感情を持っていた人なんだ」とすごくよくわかりました。アフガニスタンになぜあそこまで情熱をたぎらせていたのか、その源流に触れられた感じがします。

山岡 ありがとうございます。中村哲を書きたいという思いはかなり前からありました。2002年に長野県にある佐久総合病院で、中村さんが若月賞という、医療貢献者に与えられる賞を受賞されたタイミングで、ご本人に会いに行こうと思ったのですが、その時はすれちがいになってしまい、会えませんでした。

その次にお会いするチャンスができたのはずっと後の2019年6月です。ペシャワール会(中村哲氏の医療活動を支援する目的で結成されたNGO)の会長に別件で取材する機会があり、「ぜひ中村医師に取材させてください」とお願いしたのですが、その半年後の12月4日に、中村さんはアフガニスタンで武装集団に襲われ、亡くなられたんです。

須賀川 そうだったんですね。

ぼくも結局、中村先生とは会えずじまいでした。

山岡 その後すぐ、新型コロナが流行しましたよね。私はもともと医療の分野を取材してきたものですから、コロナ禍における医療現場もずいぶん取材しました。すると医療現場の最前線でとんでもない状況が起きていることがわかる。例えば高齢者が孤立して暮らしているところになかなか医療が届かないとか、中小の病院や診療所がコロナの患者を受け入れないといった問題があちこちで起きていました。

そうした取材を重ねているうちに、医療とはなんだろう、医師とはなんだろうと思うようになり、その時に再び中村さんのことが気になってきたわけです。あの人は医師だった。しかもその枠を超え、あれだけの事業をやってのけた。よし、中村さんの取材をしよう、と決めました。本人はもういないけれど、彼といっしょに活動していた人たちを取材することによって、中村さんが書きたくても書けなかったようなこともつかめるのではないか、とペシャワール会を中心に、100人を超える人たちにインタビューをしてまとめたのがこの本です。

須賀川 ドキュメンタリーを撮る際には対象ご本人に迫るのももちろん大事ですが、まわりの証言を積み重ねることで、実は本人すら知らなかった素顔が見えてくることがあるじゃないですか。この本がまさにそうで、中村先生だけを見ていたらわからない面が、まわりの人たちと先生との人間関係を追うことで見えてくるんだと思います。

自らすすんで巻き込まれる人々

山岡 中村哲という、まわりを巻き込む才能を持った人がいて、みんなが巻き込まれるような形になるんだけれども、そうは言っても、ただ一方的に巻き込まれているわけではなく、自分の生き方を考えるわけですよね。

須賀川 そうですよね。自分から巻き込まれにいってますからね(笑)。

山岡 そうそう。例えば、戦場カメラマン志望だった蓮岡修さん。彼は京都の仏教系の大学に通いながら、何度もアフガニスタンに通う。けれども思うように写真が撮れない。何度目かに行った時に中村さんのところに行って「半年ぐらい、お手伝いします」と加わるんだけども、またそこで絶望して帰ってしまう。

その彼が中村さんに対して、ある意味ちょっと意地悪に「アフガニスタンにあれだけの難民がいるのに、なんで先生はこんなところで診療所をやってるんですか?」と聞いたら、一言ね、「わしはバカやけんね」とこう言うわけです。あそこはね、私は書きながら感極まりそうになりました。

須賀川 読んでいていちばん最初に付箋を貼ったところです(笑)。

山岡 あれは小説では書けないと思った。蓮岡さんという人間がいて、中村哲という人間がいて、ふたりの生き方がスパークした瞬間だと思うんです。

蓮岡さんはあそこでもう、ワーッと興奮して、この人といっしょにやりたいと思ってしまった。

須賀川 完全に取り込まれちゃいましたね、あの瞬間に。

山岡 それでそのあと中村さんと一緒に井戸を掘り始めるわけです。

須賀川 けれど、あれだけ井戸を掘って、ものすごい貢献をしたのに、蓮岡さんは今度はスパッとやめて僧侶になってしまう。そのあと、アフガンの路上で、子どもたちが絵本に夢中になっているのを見て、絵本のお店をやろうと決心する。この飛躍のしかたも、なんだか、中村さんのDNAをもらっちゃっているような……。

ロスジェネ世代の貢献

山岡 そうそう。それから、中村さんが江戸時代の資料から見つけてきた工法を用いて、マルワリード用水路の実現に貢献した鈴木学さん。彼は大学の工学部で水需要予測の研究をしていたのですが、アフガニスタンの苦境を知り、なんとかしたいと思う。だけどその手立てがない。悩んだ末に、中村さんの著書を読んで感動し、現地へ入ってなんとかしよう、となる。この飛躍がおもしろいわけです。

須賀川 みんな飛躍しますよね。

中村さんがそうさせちゃうんですかね。

山岡 しかも彼の場合は、工学部で土木に関する知識もあり、中村さんからするといちばん欲しい人材でしょう。それがたまたま迷いこんでくる。小鳥が迷いこんできたと思ったら、とんでもない、鷲じゃねえか、みたいな感じでね(笑)。ふしぎなめぐり合わせだけど、こうやって人と人はつながっていくんだなと思いましたね。

須賀川 鈴木さんも蓮岡さんも、ぼくより少し上の、ロストジェネレーションと呼ばれる世代の人たちで、時代の空気はなんとなくわかります。

山岡 いわゆるロストジェネレーションは、就職氷河期世代で苦労された方が多いんだけれども、ある意味では、それまでの枠にとらわれないで動ける部分もあった。仕事がなかなかないから、逆にそう動かざるをえないところもあったでしょうけど。極端に言うと「日本に居場所がもうないかもしれないな」ぐらいに思っていた人たちがポンと海外旅行の気分で行った先で、中村さんと出会って、医療の仕事や、さらに大きな意味で人の命を救う井戸掘りや用水路の仕事を展開していく。この人たちに出会えなかったら、中村さんの事業はどうなっていたでしょうか。

須賀川 とてもあそこまでのことはできなかったでしょう。いまの時代だと彼らのように三々五々でぷらっと来て、ぷらっといなくなるような行動はなかなかとれないんじゃないでしょうか。

電話一本で「お宅の息子さんしばらくあずかりますから」ってならないですよね。

山岡 人間と人間のつながりが、変にデジタル化されておらず、余裕があった気がします。

須賀川 のりしろが広かったですよね。ある意味、中村さんのこの事業は時代とすごく流れが合ったのかもしれない。

#2に続く

※『kotoba』2026年春号より転載

構成/前川仁之 撮影/松田嵩範

炎と水 中村哲と名もなき人たちの旅

山岡 淳一郎
90万人以上の命を救った中村哲のまわりで何が起きていたのか…100人超の証言で浮かぶ“巻き込む力”の正体〈山岡淳一郎×須賀川拓〉
炎と水 中村哲と名もなき人たちの旅
2026/2/262,860円(税込)452ページISBN: 978-4087817744

父は共産党活動家、母は玉井組の親方の娘。15歳で自らの意思で洗礼を受け、学生運動で検挙された青春時代……戦乱と大旱魃のアフガニスタンで90万人以上の命を救い、2019年12月、正体不明の武装集団の凶弾によって命を落とした医師・中村哲とは、いったいどんな人間だったのか。その生涯にわたり中村が巡り合い、深く関わった様々な人びと100人以上に著者はインタビューする。福岡、鹿児島、岡山、静岡、神奈川、東京、パキスタン、そしてアフガニスタンと約5年に及ぶ取材を敢行。群像のなかから鮮やかな「人間・中村哲」の姿を立ち上がらせる。大勢の人生を巻き込み、滔々と流れる大河のような中村哲を源流までさかのぼり、生い立ちから死まで描いた驚くべき本格的評伝、圧巻の452ページ。今こそ読まれるべき「人間・中村哲」の真実。

【目次】
プロローグ 水が天に昇る谷
第一章 革命の炎
第二章 同志
第三章 浸礼――永遠の別れ
第四章 青春漂流
第五章 失われた世代
第六章 空爆とナン
第七章 冬の陣
第八章 口紅
第九章 カカムラ!
第一〇章 帰還
あとがき 神と出会った男、神になりたかった男

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