政府の2026年度予算に基づく施策で経済的負担が大きく増えることが懸念されるのが、重病治療にかかる高額な医療費の一部を支援する「高額療養費制度」の利用者だ。患者の負担限度額を引き上げる方針の政府に対し、野党は予算審議終盤、撤回を強く求めた。
凍結はどこへ? 水面下で進む“負担増”の実態
「現時点でもすでに経済的負担のために治療を控える、あきらめている患者さんがいます。高額療養費の見直しでさらに増える可能性はあるかと考えます」
4月2日、参議院厚生労働委員会に参考人として出席した天野慎介・全国がん患者団体連合会(全がん連)理事長の話に委員会室は静まり返った。
高額療養費制度は石破前内閣が編成した2025年度当初予算案で自己負担限度額を最大で月76%引き上げる方針が示された。
だが当時の石破首相は結局、患者の声を聞かない改定の非を認め「私の判断が間違いだった」と陳謝し凍結した。
「ポスト石破を決めた党総裁選で、当時の高市候補はメディアのアンケートに対し限度額を『引き上げるべきではない』と答えています。
しかし、高市政権が発足した後の昨年12月に、厚生労働省は引き上げる内容の改訂を決めました。
見直しは、26年8月に限度額を一律に引き上げ、27年8月には所得区分を現行の4から13に細分化して限度額をさらに見直す内容です。
年収650~770万円の所得区分では、⽉額上限は現⾏の8万100円から最終的に11万400円へと約38%増える内容です」(政治部記者)
改定では、年4回以上の制度利⽤者の負担上限を⼀定額に抑える既存の「多数回該当」制度を維持し、年収200万円未満の所得区分の人はこの仕組みでの支払い上限額が引き下げられた。
また現役世代には年間上限負担額(年収650~770万円で53万円)が新たに設けられた。
これについて高市首相は2月の衆議院本会議で、「高齢化や高額薬剤の普及などにより高額療養費が増加するなかで、持続可能性の確保と長期療養者や低所得者へのセーフティネット機能の強化の両立を目指して見直す。具体的には専門委員会での議論も踏まえ年間上限の仕組みを新設する」と発言した。
実際にセーフティネット強化になるのか。
全国保険医団体連合会(保団連)の本並省吾事務局次長は、厚労省の資料を基に「多数回該当の対象にならない年3回以下の制度利用の患者は約660万人で、全利⽤者の約8割を占める」と指摘する。
いっぽうステージ4の肺腺がんで闘病中の水戸部ゆうこさん(51)は、「私は長期療養者ですが、標準治療の間に治験薬による治療をはさんだり、体を休ませるため薬を入れない“休薬”をしたりして(1年間の治療回数が4回に達せず)多数回該当から外れることを経験してきました。だから全然配慮になっていない」と訴える。
上野賢一郎厚労相「必要な受診が抑制されることは想定していない」
こうした負担増で最も憂慮されるのが冒頭で天野理事長が指摘した「受診控え」だ。
政府は改定で年2450億円の給付削減を見込む。患者や医師団体が不信を募らせるのは、このうち1070億円は医療費負担上昇に伴う受診控えが生み出すと政府が計算しながらそれを認めないことだ。
上野賢一郎厚労相は「今回の見直しで最終的に実効給付率が約0.28%低下すると見込まれている。実効給付率が変化した場合に経験的に得られている医療費の増減効果の算定式に機械的に数値を代入すると給付金の変化(減少)が約1070億円の減となる」と説明する。
だが同時に「長期療養者や低所得者に十分配慮しており、必要な受診が抑制されることは想定していない」とも主張するのだ。
そのようなことがあり得るのか。
保団連の患者調査では高額療養費制度利用経験者1328人のうち65.7%の872人が「負担限度額引き上げなら受診の間隔を延ばす、見送る」と答えている。これは低所得者層だけの話ではない。
世界保健機関(WHO)は所得から税金・保険料と生活費を差し引いた「支払い能力」のなかで、医療費の支払いが40%超の状態を「破滅的医療支出」と呼び、家計の破綻を警告する。
3月の衆院予算委にも呼ばれた天野理事長は、安藤道人立教大教授の研究を基に、今回の改定で負担が増えれば、患者が年収を維持できても「ほとんどの年収区分で40%を超える」と指摘した。
「ペットボトル1本分(117円)の軽減を命と引き換えにできるのか」
それだけではない。
「病気になると退職や転職、働き⽅の変化により所得が減少する場合も多くあります。がんと診断された1年後に所得⽔準が平均で34%減少したとの分析結果が出ています」
患者の生活実態をそう話した天野理事長は、所得が3割弱減ればほとんどの年収区分で負担は「破滅的医療⽀出の40%を⼤きく超える50%、60%、あるいはそれ以上の⼤きな割合となる」と訴えた。
本並・保団連事務局次長は「所得が3割減れば間違いなく受診抑制が起こる。厚労省は年収が維持される前提で支払いに耐えられるかどうかを議論するが、所得減少時のシナリオは考えていないことがわかっている。所得減による支払い余力の調査をしていない。これが最大の問題だ」と話す。
この改定で生み出せる健康保険加入者1人あたりの負担軽減額は、平均で年間約1400円、月額で117円程度だ。
乳がんで闘病中の板井富子さん(62)は「治療とそれ以外にかかる費用もあって、体も気持ちもズタズタにされた思いでした。でも、高額療養費(制度)があるから頑張って治療していこうと私は前向きに捉えることができました。ペットボトル1本分(117円)の軽減を命と引き換えにできるのかという問題です」と話す。
石破前内閣の反省から、厚労省は全がん連など患者団体も参加する専門委員会を計9回開いた。
だが、厚労省と財務省は昨年12月24日に引き上げを決めると、それを翌日の第9回専門委員会で示しただけで協議は行なわれていない。
さらに翌26日に負担増を盛りこんだ2026年度予算案が閣議決定され、委員会はその後一度も開かれていない。
「現状でも支払いが困難でより治療効果が低い1世代前の古い治療や薬を選択している患者さん、子どもの将来のためにお金を少しでも残したいと治療自体をあきらめる決断をされたがん患者さんがいます。非正規雇用のがん患者さんの中にはクレジットカードのリボ払いでしのいでいる人もいます」
がん患者の追い詰められた生活を紹介した天野理事長は、負担額の議論は終わっていないと訴えた。
保団連が呼びかけた負担限度額引き上げ撤回を求める署名は27万1923筆(4月7日時点)に達している。
「責任ある積極財政」は病気の人には届かないのか。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

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