『ごんぎつね』ラストが実は違っていた? SNSで話題の“オリジナル版”に「泣いた」「印象が全然違う」
『ごんぎつね』ラストが実は違っていた? SNSで話題の“オリジナル版”に「泣いた」「印象が全然違う」

小学校の国語教材として長く親しまれている新美南吉の『ごんぎつね』。ところが最近、SNSでは「オリジナル版のほうが、ごんに寄り添っている」「教科書で読んだ話と印象が全然違う」といった声が相次ぎ、南吉の自筆草稿『権狐』が再注目された。

みんなが知っているのは“編集版”の作品だった

まずは『ごんぎつね』のあらすじを振り返ろう。いたずら好きの子ぎつね・ごんが、若い男・兵十が捕まえた魚や鰻を川に逃がしてしまう。しかし、その後にごんは兵十の母が死んだことを知り、兵十が病気の母のために魚や鰻を穫っていたことを悟る。

ごんは自分のしたことを悔やみ、償いの気持ちからひとりになった兵十のために栗や松茸をこっそり届けるようになるが、その思いは伝わらず、兵十からまたいたずらをしに来たと誤解されてしまう。

そして最後、ごんは兵十に撃たれてしまい、死の間際に「お前だったのか。いつも栗をくれたのは」と気づかれる――という切ない結末で、多くの人の記憶に残っている。

国語の読解問題でもたびたび扱われ、「最後、ごんはどんな気持ちだったのか」「ごんはなぜ兵十に栗をあげていたのか」と出題されることが多い。

だが、この広く読まれている現代版の『ごんぎつね』は、南吉自筆草稿『権狐』をもとにしているものの、児童雑誌『赤い鳥』掲載時に編集が加えられた版であり、『権狐』とは重要な箇所に違いがある。しかもその差は、作品の印象だけでなく、ごんの「人物像」そのものにも関わってくる。

特に象徴的なのがラストシーンだ。銃で撃たれたごんは、兵十に「お前だったのか」と気づかれる。広く流布している『赤い鳥』掲載系・教科書系の版では、ごんは「ぐったりと目をつぶったまま、うなず」くだけだが、『権狐』では、その場面で「権狐は、ぐったりなったまま、うれしくなりました」と心情が明確に記されている。

ほかにも多くの違いがあるが、このオリジナル版の普及活動を続け、絵本としてもまとめてきたのが、「国語授業クリエイター」で元立命館小学校教諭の岩下修氏だ。

『権狐』と、広く知られる『ごんぎつね』の違いについて、岩下氏に話を聞いた。

「一言で言えば『主題(メッセージ)』そのものが異なります。現在広く知られる『赤い鳥』版は、いわば『償いの物語』です。尽くしても報われない悲劇性や、人間と動物の断絶が強調されています」(岩下修氏、以下同)

たしかに編集版では、兵十のために栗や松茸を届けても、自分のしたことだと気づかれず、神様の行いだと思われていることに、ごんは「引き合わない」と漏らし、見返りを求めるような響きが生まれている。

オリジナル版との最大の違いとは……

だが、岩下氏によれば、オリジナル版『権狐』はまったく違う。

「原作の『権狐』には、見返りを求める心はありません。最後の一線で、兵十が『お前だったのか』と気づいてくれたとき、原作のごんは『うれしくなりました』と結ばれます。一瞬でも心が通じ合った喜び。悲劇の結末であっても、そこには『魂の救済』があるのです」

では、岩下氏が考える『権狐』最大の魅力は何なのか。

「『いたずらぎつね』から『愛を知る存在』への、鮮やかな魂の変容ですね。南吉が15歳の日記に刻んだ『悲哀は愛に変る』という思想が、この物語の核心です。母親を失い、一人ぼっちになった兵十への共感から生まれる『哀しみ』。その哀しみが、単なる『いたずらへの後悔』を超え、兵十に寄り添いたいという『愛』へと昇華していきます。

兵十の影を踏みながら後をついていくごんの姿には、打算のない純粋な親愛の情があふれています。この『変容』のプロセスこそが、原作版だけが持つ最大の魅力だと考えています」

SNSでも、オリジナル版を初めて読んだ人たちからは、驚きと称賛の声があがっている。

「ごんぎつねのオリジナル版読んで泣いちゃった」
「ラストは特に、オリジナル版の方が断然良いな……」
「朝の通勤中にさらっと読むものではなかった。涙堪えるのに必死」

一方で岩下氏は、編集版が教科書に載り続けてきたことにも、一定の意味はあると話す。

「鈴木三重吉氏による洗練された文章により、長年多くの日本人の情緒を育んできたという実績があります。『まえがき』が短いため、お話の世界に入りやすい。方言が標準語に直されているので、方言を気にすることなく、どの地域に住む子にも読み進めやすいという良さもあります」

その一方で、やはりオリジナル版の良さを削ってしまったゆえの課題もあるという。

教科書と原作を比較することの重要性

「迅速な編集ゆえの整合性の欠如や、南吉本来の瑞々しい哲学――哀しみが愛に変わるという変容――が、『償い』という枠に矮小化されてしまう懸念があります。教科書で『赤い鳥』版を学びつつ、原作と比較することで初めて、南吉が本当に伝えたかった世界が浮上すると考えます」

教科書で読んだ『ごんぎつね』は、多くの人にとって“悲しい物語”として記憶されている。だがオリジナル版『権狐』に触れると、そこには悲劇とは言い切れない、ごんのまっすぐな感情の流れが見えてくる。

それでも、大人になった“元児童たち”が、いまなおSNSで『ごんぎつね』を語り合い、盛り上がれること自体、この物語が長く人の心に残り続けてきた証なのだろう。教科書版も、オリジナル版も、それぞれのかたちで読み継がれるだけの力を持った名作であることは間違いない。

取材・文/集英社オンライン編集部

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