なぜ遠く離れた地中海の島国が、いまも日本に深い感謝を寄せ続けているのか――。その答えは、100年以上前の戦場にあった。
「我々にとって非常に大切な品々がある」
地中海のへそと呼ばれる島国、マルタ共和国。首都バレッタの中心地に、1570年に建造された歴史的建造物を拠点とする厳格な会員制クラブ「カジノ・マルテーゼ」がある。
かつて聖ヨハネ騎士団の財務局であったという豪奢な空間は、現在もマルタの政治家や法曹界の重鎮、各界のトップたちが夜な夜な集う閉ざされた社交場である。
その固く閉ざされた扉を、極東から来た一介の日本人のために開いてくれた。今回、一緒にNHK番組ディレクターの佐野広記氏と同クラブを訪れた。案内役を務めるクラブのプレジデントであるキース・シベラス氏らクラブのメンバーは、扉を開けながら私たちに向かって誇らしげに語りかけた。
「ここ、カジノ・マルテーゼは、メンバー専用の厳密に閉ざされた空間です。しかし、今回は特別にあなたたちを招き入れました。なぜならここには、1921年にヨーロッパの同盟国であった裕仁皇太子(後の昭和天皇)がマルタを訪問された際に関連する、我々にとって非常に大切な品々があるからです。ぜひとも紹介したい」
案内された「プリンス・ルーム」と呼ばれる特別な部屋
そして彼らは、壁に飾られた数々の歴史的な絵画やリトグラフを指し示し、こう付け加えた。
「皇室の公式な訪問を除けば、このような形で日本の客人を我々の最も神聖な部屋へ特別に招待するのは、あなたが2度目です。皇太子殿下(昭和天皇)は我々の歓待を光栄に思ってくださっただけでなく、我々もまた、殿下のご訪問を大変光栄に思っていました」
案内された「プリンス・ルーム」と呼ばれる特別な部屋。
また、入口入ってすぐの中央の最も目立つ場所に、見事な細工が施された「七宝焼」の大きな赤い花瓶が鎮座している。しかし、よく見ると花瓶にはヒビが入っている。
「第二次世界大戦中、ドイツ・イタリア軍の爆撃を受けた際の傷跡です。隣接する総督宮殿などが直撃され、その爆風でこの壺(花瓶)も転がって欠けてしまった。現在、日本の皇室の協力を得てこれを修復できないかという構想もある。しかし一方で、この傷跡もまた我々が共に歩んだ歴史の一部であるとも言えます」
1921年4月、裕仁皇太子がマルタを訪問
この花瓶こそ、1921年4月、裕仁皇太子がマルタを訪れた際、カジノ・マルテーゼでの手厚い歓待に深く感動し、自身の乗艦からわざわざ下ろしてクラブへと即座に贈った御礼の品であった。残された記録によると、裕仁皇太子はカジノ・マルテーゼでの食事が特に美味しかったのだという。
当時、日本の皇太子として史上初となる半年に及ぶ欧州大巡遊は、日本の国際外交における一大イベントであった。軍艦「香取」に乗船した皇太子がマルタのグランド・ハーバーに到着した際、その熱狂ぶりは凄まじかった。
沿道は華やかに装飾され、バレッタの広場では大規模な軍事パレードが開催された。港に停泊するイギリス艦隊は特別なイルミネーションで彩られ、ある軍艦は日本の皇室の象徴である菊の御紋を誇らしげに掲げたという。
さらには、日本の韓国併合に反対する勢力による暗殺計画の噂があったため、マルタ全土に厳戒態勢が敷かれるほどのただならぬ緊張感に包まれていた。
カジノ・マルテーゼで開催された公式晩餐会では、駐マルタ日本領事であり、直後に自治政府初の首相となるジョセフ・ハワードら地元の名士たちが総出で皇太子を手厚くもてなした。
現在もクラブの壁には、大理石に当時の公用語であったイタリア語で「日本の皇位継承者が、その偉大な国家の警戒心、強さ、思想の上に若さを輝かせていた」と讃える記念碑が残されている。
ある壮大な「血と汗の記憶」
しかし、なぜ遠く離れた地中海の島国で、日本の皇太子がこれほどの熱狂と最高級の国賓待遇を受けたのだろうか。それは単なる外交儀礼ではない。そこには、現代の日本人がすっかり忘れてしまった、ある壮大な「血と汗の記憶」が横たわっているのだ。
時計の針を1921年から数年前に戻そう。第一次世界大戦の最中である。当時、地中海はドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国のUボート(潜水艦)が暗躍する「死の海」と化していた。
無制限潜水艦作戦により、連合国側の輸送船は次々と海の藻屑となっていた。この絶望的な窮地に陥った同盟国イギリスの強い要請を受け、日本海軍は「第二特務艦隊」を編成し、遠い地中海のマルタ島へと派遣したのである。
駆逐艦「榊(さかき)」をはじめとする日本の小型駆逐艦群は、荒れ狂う波と、いつどこから放たれるか分からない魚雷の恐怖に晒されながら、不眠不休で連合国の艦船を護衛し続けた。
リスクを冒して約3000人の将兵を救出した
特筆すべきはその圧倒的な献身と勇猛さである。被雷して沈みゆくイギリスの輸送船トランシルバニア号に肉薄し、自らも次弾の標的になるリスクを冒して約3000人の将兵を救出したエピソードは、瞬く間に地中海全域に響き渡った。
終戦までに日本海軍が護衛した艦船は計788隻、実に348回もの出撃を重ねた。
しかし、その栄光の裏には悲痛な代償があった。1917年6月11日、クレタ島近海で駆逐艦「榊」が敵Uボートによる雷撃を受け大破。艦長の上原太一中佐以下、59名が凄惨な最期を遂げたのである。
地中海の波に消えた日本海軍の戦死者は70名を超えた。彼らの魂は現在も、バレッタの対岸にあるカルカーラ海軍墓地に静かに眠っている。
1921年の裕仁皇太子のマルタ寄港は、単なる欧州外遊の経由地としての訪問ではなかった。それは、祖国の要請に応えて遠い異国の海で散った勇敢な英霊たちを慰霊するための、極めて重要で崇高な巡礼の旅であったのだ。
遠く祖国から離れて眠る兵士たちの墓前に深く頭を垂れた
皇太子はカルカーラ海軍墓地に赴き、自らの足で歩き、遠く祖国から離れて眠る兵士たちの墓前に深く頭を垂れた。そして花輪を手向け、日英同盟における共同の犠牲に敬意を表した。
その姿に、マルタの人々、そしてイギリスの軍人たちは深い感動を覚えたという。カジノ・マルテーゼでの熱狂的な歓迎は、日英同盟の絆のみならず、70万人の命を救った「地中海の守護神」への心からの感謝の顕現であったのだ。
クラブのメンバーの一人は、第二次世界大戦の爆撃によって痛々しく傷ついた花瓶を愛おしむように見つめながら、こう静かに言葉を結んだ。
「マルタと日本は地理的には遠く離れています。しかし、我々が守り続けるこの宝物と、日本の皇太子の訪問の記憶は、二国間の比類なき絆を証明するユニークな歴史です。この壺に刻まれた傷跡は単なる破損ではありません。我々のクラブが悲惨な戦禍をどう乗り越えてきたかを示す、大切な歴史の層でもあるのです」
名もなき日本の若者たちが命を懸けて70万人の命を救った
「だからこそ我々は、この宝物が、かつてこれを贈ってくださった日本の皇室や日本人の手によって修復されることを強く願っています。来年、当クラブは創立175周年という大きな節目を迎えます。もしその機会に、この傷跡がかつての同盟国の手で修復され、新たな歴史の層が重なるならば、我々にとってこれほど誇らしいストーリーはありません。我々はこの歴史を決して忘れることなく、修復された壺とともに、未来の二国間関係の発展へと繋げていきたいのです」
第二次世界大戦の爆撃という新たな悲劇を乗り越え、欠けた台座を見せながらも優美な姿を保つ昭和天皇の七宝焼の真っ赤な花瓶。それは、100年の時を超えて、名もなき日本の若者たちが命を懸けて70万人の命を救い、その献身が世界からどれほど深く感謝されていたかという誇り高き歴史を、今も地中海の島で我々に静かに語りかけている。
文/小倉健一

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