「秋山道男」のニュース (5件)
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“日本のリバプール”博多スーパースター列伝<第5回>チェッカーズ(1)
博多に次ぐ福岡の音楽発信地、それが「久留米」である。松田聖子、石橋凌、鮎川誠‥‥そして83年にチェッカーズが飛び出した。単にヒット曲が多かっただけでなく、彼らは「チェッカーズ以降」と表現されるほど若者...
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「若松さんが亡くなり、青春が終わったと感じた」白石和彌監督が語る若松孝二から受け継いだ遺産
珠玉の青春映画が誕生した。門脇麦主演作『止められるか、俺たちを』は、インディーズ映画界の巨匠だった若松孝二監督が1965年に立ち上げた「若松プロ」を舞台にした実録群像劇だ。低予算のピンク映画ながら『壁...
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能年玲奈はシノラーだったの!? 写真集アート路線に行く末不安の声
8月16日に主演映画『ホットロード』が公開予定の能年玲奈。NHKの朝ドラ『あまちゃん』が社会現象となるほどの反響を呼んでしまったことで今後の"身の振り方"が注目されてきたが、この映画は女優としての試金...
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“革命家”足立正生が語る若松孝二と共闘した時代「若者が感じる閉塞感は今も変わらない」(前編)
秋雨の降る明治通りの交差点に、パレスチナ解放闘争の戦士は立っていた。白髪だが、肩幅はがっしりしており、真っすぐに伸びた背筋に意志の強靭さを感じさせる。足立正生、1939年生まれ。学生映画で活躍した後、...
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「集団創作は、快楽を伴う若い才能の搾取だった」脚本家・井上淳一が語る“巨人”若松孝二の功罪
そこはまさに“夢の砦”だった。ピンク映画『甘い罠』(65)で映画界に殴り込んだ若松孝二監督のもとに、鈴木清順監督のブレーンだった日活の大和屋竺、すでに学生映画界で鳴らしていた足立正生、足立の盟友で『ま...