
天皇陛下の叔父・三笠宮崇仁殿下が薨去 享年100で皇族最高齢
27日、天皇陛下の叔父にあたる三笠宮崇仁さまが入院先の都内の病院で亡くなられた。享年は100。皇族であられると同時に、歴史研究家としてご活躍されたその生涯をまとめてみた。
昭和天皇の弟・三笠宮崇仁殿下が薨去 享年100歳
昭和天皇の末弟で、天皇陛下の叔父にあたる三笠宮崇仁さまが27日、薨去(こうきょ)された。享年100歳は記録に残る中で皇族最高齢である。今年5月より急性肺炎と診断され、東京の聖路加国際病院に入院されていた。
三笠宮さまは、ことし5月16日、せきや発熱の症状を訴え、急性肺炎と診断されて東京・中央区の聖路加国際病院に入院されました。治療によって肺炎の症状は改善しましたが、三笠宮さまは、心臓の働きの低下がみられ、胸にたまった水を抜く治療を受けたり、新たに誤えん性の肺炎を発症したりして病室と集中治療室とを行き来される状況が続きました。
三笠宮さま ご逝去 昭和天皇の弟で100歳-NHK NEWS WEB
4年前に心臓の手術を受けられたものの、昨年12月には皇族では明治以降初の100歳を迎えられ、年明けの一般参賀ではお元気な姿を見せられていた。
最後に公の場に姿を見せたのは、今年1月2日の新年一般参賀で、皇居・宮殿のベランダで車いすから立ち上がり、集まった人々に手を振って応えていた
三笠宮さま逝去100歳=天皇陛下の叔父-毎日新聞
「オリエントの宮さま」歴史学者としてご活躍
大正天皇の第四皇男子として生まれた三笠宮殿下は、比較的自由にその人生を歩まれた。軍人として太平洋戦争を経験。戦後は歴史研究に励まれ、東京芸術大学、東京女子大学、青山学院大学等の教壇にも立たれた。
特に古代オリエント史研究に情熱を注がれたため、「オリエントの宮さま」と呼ばれ、多くの人々に親しまれていた。
また、スポーツ振興や国際親善など、幅広い分野で功績を残されている。
戦後は歴史研究者の道を選ばれました。東京大学の研究生として中東の古代史を専攻し、長年にわたって東京芸術大学などで教べんを執られました。電車で大学に通われるなど気さくな人柄で親しまれました。
日本レクリエーション協会の総裁を務め、スポーツやレクリエーションの発展にも力を尽くされました。
また、研究をきっかけにトルコの人たちと交流を深めるなど、国際親善にも努められました。
三笠宮さま 戦後は歴史研究に尽力-NHK NEWS WEB
戦後は古代オリエント史研究に情熱を傾け、「オリエントの宮さま」と呼ばれた。戦時中の体験から戦争批判を繰り広げ、歴史学者の立場から紀元節復活に反対。時に大胆な発言が波紋を呼んだが、暗い時代に戻るまいとの強い決意の表れでもあった。
オリエント史研究に情熱=戦争、皇室批判も 激動の一世紀歩む・三笠宮さま-時事ドットコムニュース
70年前に「生前退位」を容認する意見を発表
今年、天皇陛下の「生前退位」をめぐり波紋が広がったが、三笠宮さまはすでに70年前、皇族の立場から皇族の婚姻の自由や生前退位を容認する意見を発表されていた。
1946年11月、政府は皇室典範改正案を衆議院に提出。三笠宮さまの意見は同12月に新聞に掲載され、「(政府の)説明をきいて釈然とした点もあるが、それでもなお、ふにおちない点もある」として、譲位の問題や皇族の婚姻の自由などについて持論を展開した。
三笠宮さまは明治期制定の旧典範と同様、天皇の生前退位を認めない点について「自由意志による譲位を認めていない、つまり天皇は死なれなければその地位を去ることができないわけだが、たとえ百年に一度ぐらいとしても真にやむをえない事情が起きることを予想すれば必要最小限の基本的人権としての譲位を考えた方がよいと思っている」と異議を唱えた。
生前退位容認の意見=皇室典範制定時に 三笠宮さま‐時事ドットコムニュース
今回の報道にみる「薨去」「崩御」「薨御」等の使い分け
一部報道では三笠宮殿下の薨去を「逝去」と表現しているが、拒否反応を示す人々も少なくはないようだ。
なんで皇族の薨去が逝去になってんの
— えっくす(P5二周目 (@ekkusuX) 2016年10月27日
親王なんだから逝去じゃなく薨去を使ってほしいよなぁ。プミポン国王の時も逝去じゃなく死去だったし
— ナッジ (@nudge96) 2016年10月27日
では、皇室の方が亡くなられたときの表現は一体どのように使い分けるのだろうか。今一度確認してみよう。
「崩御」…天皇・皇后・皇太后・太皇太后が亡くなられたとき
「薨御」…皇太子が亡くなられたとき
「薨去」…皇族で三位以上の方(皇太子妃、親王、親王妃、内親王等)が亡くなられたとき
以上のように同じ皇室でも位によって使い分けるのが一般的だ。
ちなみに「逝去」は、人が亡くなった時の尊敬語。皇族の方に用いるのもあながち間違えとは言えないが、やはり上記の表現の方がより尊敬の念が伝わるもの。使い分けられるとより良いだろう。