銀座「ハゲ天」の名前の由来とは?
ハゲ、あなたと、ふたり〜、ハゲ、あなたと、ふたり〜、ハゲ、あなたと、ふたり〜。
 
ハゲ、という言葉が蔑視語かどうかはさておき、ハゲ、という言葉にはある意味すごい迫力がある。
そんな「ハゲ」という言葉を店名にしてしまったお店がある。銀座の老舗天ぷら屋、「銀座ハゲ天」である。

「ハゲ天」という強烈な名前から「色物」を想像するなかれ。「ハゲ天」は創業昭和3年、常連客には水上滝太郎氏(作家)、扇谷正造氏(週刊朝日編集長)、小坂善太郎氏(政治家)、山本健吉氏(評論家)、久保田万太郎氏(小説家、劇作家、俳人)、吉川英治氏(作家)、泉鏡花氏(作家)、桂三木助師匠(落語家)等、そうそうたる顔ぶれが集っていた老舗なのである。バーバラも名取洋之助氏の伝記で「ハゲ天」が出てきたことを記憶している。

さて、なんでまた「ハゲ」などという強烈な言葉を屋号にしたのだろうか?

初代ハゲ天の店主、渡辺徳之治氏の「ハゲ天 渡辺徳之治の思い出」によると、渡辺氏はいわゆる「若ハゲ」で、24、5歳からハゲ始め、九段に天ぷら屋を開業したときはすでに「相当なもの」だったそうだ。
「私のもとご厄介になっていた会社の先輩Hさんがやってきて『おいハゲ天』などど呼ばれても酔った上の悪口位にしか思わず、屋号などに使うなどとは毛頭(?)考えても居りませんでした」
うんうん、そうでしょう、そうでしょう。

それが正式(?)に「ハゲ天」となったのは、渡辺氏が水上滝太郎氏の協力で銀座にお店を持つことになった時、水上滝太郎氏の同僚が「今度ハゲ天とつけたらどうだね」と言ったのがきっかけである。
 
もちろん、その時渡辺氏は二の足を踏んだが、水上氏に相談したところ、「進出とはいえ、背水の陣を敷くこの際むしろ『ハゲ天』を売物にする位の勇気がなくてはいけない」と言われ、やっと決心したのだそう。「ハゲ天」の誕生である!

しかし、当初はもともとの屋号「多か良(たから)」と組み合わせた「ハゲ天多か良」と名乗っており、看板の大旗にしても「ハゲ天」は小さく、「多か良」は大きく描いたのだそう。
…で、結果はどうだったか? ここのあたり、初代店主渡辺徳之治氏の文章があまりに面白いので引用させていただく。
「処が開店してみると、『ハゲ天』はなはだしきは単にハゲと呼ぶお客さんはあっても『多か良』などど呼んでくれるお客さんは一人もありませんでした。
九段からのご贔屓泉鏡花様が初めて訪ねて来られた時多か良と尋ねて分らず、ハゲ天と言い直してすぐに分かったなどと言う挿話を生む様になりました。」
「その後商売は意想外の繁昌をして呉れる、益々気はよくなる、で遂に自らハゲ天を口に称え、ゴム印の如きも『ハゲ天多か良』と逆になり、旗の如きは単に『ハゲ天」と大書きするに至りました。」
ハゲ天、大繁盛だったわけである。ばんざーい。
ハゲ、のインパクトの勝利!

さて、現在の従業員の方はというと、渡辺徳之治氏ほどの照れはなく、「お客様に覚えていただきやすい名前」として親しんでいるのだそう。まぁ、入社したときから「ハゲ天」なんだから、多少の覚悟はあるんでしょうね(笑)。

現在、「銀座ハゲ天」では「季節コース」がおすすめだそう。バーバラも以前、ハゲ天の「大海老天丼」は大好物でした! いまもあるのだろうか?
今回はハゲパワーと天ぷらに乾杯! ということで、筆(?)を置くことにする。
(バーバラ・アスカ)