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シーボルトがドイツに紹介した江戸の産科医

1804年に世界で初めて全身麻酔術の成功をしたのは華岡青洲というのは有名な話だが、江戸時代の医学の世界でもう一人、偉大な人物がいるのをご存知だろうか。

彦根の産科医・賀川玄悦(1700-77)である。賀川玄悦は、まだ世界的にも妊娠中の胎児は頭が上にあり、出生の時になってくるりと頭を下に転身するというのが定説だった時代に、胎児の正常胎位は上が尻で下が頭という「上臀下首」を発見をしたのである。

もともと按摩・鍼灸の術を行う一方で古医法を学んでいた賀川玄悦が産科医となったのは偶然のこと。ある日、近くに住む婦人が、難産のためにほとんど死にそうだったところに呼ばれた時、考えあぐねた末に婦人の命を救うことを優先し、道具を使って人工的に胎児を分娩させる方法をとった。
このことから、助産術には薬のほかにどうしても手術が不可欠のものであると確信。その後、助産術の研究を行なうようになったという。そして、その研究結果を『産論』(1765年<明和2>)四巻として発表したのだった。上が尻で下が頭という胎児の正常胎位についてもこの本で発表している。

さらに驚くべきことに妊娠継続は初妊婦で満300日、経産婦で275日とし、今までほとんど論じられることがなかったツワリをとりあげ、それが 45日から50日続き、悪寒発熱、頭痛口渇、酸っぱい果実を欲しがるなど症状についても詳細に述べている。また日本独特のきつくしめる腹帯が、母親にも胎児にも有害だと説いているのである。

けれど、当時の日本はまだまだ医学の知識が乏しい時代。蘭方医の杉田玄白は賀川玄悦の説は通説と異なると疑ったという。しかし、その後にイギリスの産科書に胎児の正常胎位は「上臀下首」とあったことから、玄白は玄悦の説が正しいものであったと確認。「自分が見ていないことで、他人を疑ってはならない」と自分を戒める文章を「解体新書」に記している。

実はこの胎児の「正常胎位」の発見は、イギリスと日本とほぼ時を同じくして発見されたもう一つの医学における日本の世界初なのである。

賀川玄悦が「正常胎位」について書いた「産論」は1965年の出版であるが、「正常胎位」そのものは1950年ころには発見されていたと言われている。発見より本の出版がかなり遅いことについて、賀川玄悦自身は漢文が得意でなかったため(一説には漢文が書けない)書籍を書いてくれる人が現れるのを待っていたとも言われている。一方、イギリスのウイリアム・スメリーは、1954年に西洋産科書ではじめて正常胎位を解いているが、こちらも正常胎位そのものの発見は書籍を出す数年前、1950年ころといわれている。西洋と東洋と時を同じくして、お互いになんら関係もなくほぼ同時期に正常胎位を発見というのが産科の一般的解釈なのだそうだ。
玄悦の『産論』はシーボルトによってドイツの学術雑誌に紹介されている。(こや)

2005年7月24日 00時00分

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