日本の蔵元と英国人夫妻がもたらすイギリス「酒革命」 1本15万円の清酒とサーバーから注ぐ酒
堂島開所式での鏡割り

今秋のイギリスは「Sake(酒)」が大いに話題だ。まず9月14日に、日本の酒蔵による清酒の海外現地製造としては欧州初進出となる「堂島酒醸造所」が英ケンブリッジシャー州にオープンした。
さらに同日、イギリス人夫妻により2017年に創業された英国第一号の酒醸造所「カンパイ」が、欧州初の清酒の「タップルーム」を開いた。
タップルームというのは、サーバー(タップ)からお酒を注いで提供する店舗型の業務形態のことである。

欧州における現地人による本格的な酒造所の操業は、イギリスのカンパイのほかにも、ノルウェー、スペイン、フランスなどで例があるが、日本企業の経営によるものは堂島酒醸造所が史上初だ。

日本やアメリカなどから輸入した清酒への完全な依存を脱却し、「現地製造」という選択肢が加わったばかりのイギリス。国税庁の規定では日本国外で製造された清酒は、日本の酒米を原料にしていても、「日本酒」とは呼べないため、アルコール飲料全般ではなく日本酒という意味での「Sake」という名称が海外では定着している(以下、本記事では補足説明がない限り、「酒」とは日本国外で製造された清酒、いわゆる「日本酒」を指す)。

オープンしたての堂島酒醸造所とカンパイのタップルームを実際に訪れてみた。

日本の蔵元と英国人夫妻がもたらすイギリス「酒革命」 1本15万円の清酒とサーバーから注ぐ酒
サーバーからグラスに直接スパークリング清酒を注ぐ


日本の蔵元として初めて欧州進出した堂島酒醸造所


筆者が堂島酒醸造所(正式名称: 堂島酒ブルワリーUK & co.)を訪問したのは開所記念式典の日だった。同醸造所は、英中東部ケンブリッジシャー州のフォーダムという半農半牧村にあり、ロンドンより北北東に約100キロ、中世の大聖堂で知られるイーリーにほど近い。
同醸造所を立ち上げたのは、大阪の摂津富田で1822年から五代に渡り日本酒造りを行ってきた橋本家による「寿酒造」の専務・橋本良英さんが日本で営む「堂島麦酒醸造所」だ。現地の蔵人にはイギリス人のトニー・ミッチェルさんが抜擢され、日本から時折訪英する杜氏の下で修業中である。

同醸造所は、フォーダム・アビーという、76エーカーもの広大な敷地(東京ドーム約7個分)を持つ、歴史ある大修道院の土地家屋を購入し、そこに堂島酒醸造所を新設した。左右非対称で赤い切妻屋根が特徴的な大型かつ細長い「納屋」をイメージした同酒造所の建物の正面には漢字で「酒」の大文字が堂々と象られている。敷地内の西暦1800年頃に立てられたジョージア朝のマナー・ハウスともうまく調和したデザインだ。

日本の蔵元と英国人夫妻がもたらすイギリス「酒革命」 1本15万円の清酒とサーバーから注ぐ酒
堂島酒醸造所の建物

開所までに約5年の準備期間を要し、約20億円もの多額な資金が投じられた。昨年の暮れに、まず醸造所の建物が完成。その後、内部の酒造設備を整え、今年4月中旬に酒の試験醸造を始めた。発酵タンクが軒並み並ぶ所内には、イギリス初の麹室(こうじむろ)も備えられていて、年間最大8000本もの生産数を見込んでいる。
日本の蔵元と英国人夫妻がもたらすイギリス「酒革命」 1本15万円の清酒とサーバーから注ぐ酒
堂島開所式でのテープカット

9月14日、堂島酒醸造所は、10月1日の一般公開に先駆け、関係者や報道陣を招き開所記念式典を執り行った。同式典には鶴岡公二駐英大使、英国際通商省投資局長、地元の下院議員といった日英両国の政界人や、ファッションブランド「ミチコロンドン」のコシノミチコさんをはじめとする文化人も参加した。


堂島酒醸造所は、酒のみならず日本文化のテーマパークとも言うべく複合施設を将来的に目指している。開所式のスピーチでは、橋本家を代表して長女の久美子さんが「日本の文化の卓越性を披露する国際拠点」に仕立てたいと語った。
また筆者のインタビューに対し、代表取締役の橋本清美さんは「飲、食、美容の3点に重点を置きつつも、日本の地方文化をイギリスに伝えていきたい」と述べた。今後は、利き酒、酒粕料理、日本的なひねりを加えたアフタヌーンティーなどで客をもてなす、「融合」をテーマにしたカフェを開くという。

日本の伝統工芸にも力を注いでいて、敷地内にはすでに陶芸工房を構えた。日本津々浦々の季節料理をふるまう現代風和食レストランも計画中で、古民家移築や流鏑馬、甲冑行進などの伝統行事も行うという。
美容に関しては、美白用の酒粕パックや甘酒を楽しめるエステや宿泊施設付の酒風呂スパなどを設ける予定だ。将来的には焼酎や地ビールの製造も視野に入れている。
日本の蔵元と英国人夫妻がもたらすイギリス「酒革命」 1本15万円の清酒とサーバーから注ぐ酒
堂島開所式においてスピーチを行う橋本久美子さん


1本約15万円 富裕層狙いの地酒に込められた使命


堂島酒醸造所の開所式でお披露目されたのは、「隗(かい)」「堂島(どうじま)」「懸橋(かけはし)」の3銘柄。いずれも敷地下の氷河期に形成された帯水層から採水された硬水で造られている。記念酒としての「隗(かい)」は精米歩合6割の純米酒で、参加者に贈呈された。一方、「堂島」と「懸橋」は一般販売されていて、双方ともに価格は四合瓶で1000ポンド(約15万円)だ。
日本の蔵元と英国人夫妻がもたらすイギリス「酒革命」 1本15万円の清酒とサーバーから注ぐ酒
堂島酒醸造所が出す商品のロゴ、ラベル、箱などはデザイナーの原研哉さんが手がけた

「堂島」は兵庫の山田錦を使った精米歩合が7割の純米酒。

「懸橋」は、最終工程で通常は水を使うところに純米酒を用いて仕込んだ貴醸酒(きじょうしゅ)で、名前は同酒造所に程近いケンブリッジの地名に掛けている。「懸」を訓読みして「ケン」、「橋」を英訳して「ブリッジ」というわけだ。同酒造所のコンセプトはまさに「懸け橋」で、「日本と世界を繋ぐ文化の橋」を意味する。

なぜ1本15万円という値段設定なのか? 橋本清美さんは「この酒の価格に日本人は驚くかもしれません」と語る。

「品質管理の苦労はブドウも酒米も変わらず、普通の吟醸酒でも10~20万円のワインに匹敵する品質です。ところがミシュランガイドで星付きとして紹介されるレストランでは、5万円で酒が出されていても、高級酒に慣れた富裕層に安酒のレッテルを張られてしまうでしょう。
マーケットを開拓し、購買意欲を高めるためには意識革命が必要なのです」
日本の蔵元と英国人夫妻がもたらすイギリス「酒革命」 1本15万円の清酒とサーバーから注ぐ酒
堂島開所式で升に注がれる酒

酒の価値向上に務める胸中には、日本で年々醸造量の減る日本酒の振興への使命感があると橋本清美さんはいう。

「日本の酒蔵は価格設定に消極的なので、ヨーロッパでの販路を伸ばすためには、価値観を覆し、ワインと引けを取らないように平均価格を上げる必要があります。鑑評会用に特別な酒を造る酒蔵がありますが、皆がそれを1本10~15万円でネット販売してもいいかもしれません。もし酒を1本50~60ポンドの価格帯でイギリス国内にて売り出せば、確実に成功は見込めましたが、そこをあえて、日本酒の価値を高めるために1本1000ポンドにしたのです」


ロンドン発の欧州初の酒タップルームとは?


同じく9月14日、イギリスでもところ変わってロンドン南東部のペッカム地区でプレオープンしたのは、英国初の酒醸造所としてのスタートを切ったイギリス人夫婦トム・ウィルソンさんとルーシー・ウィルソンさんが経営するカンパイ酒蔵に併設した欧州初の酒タップルームだ。
日本の蔵元と英国人夫妻がもたらすイギリス「酒革命」 1本15万円の清酒とサーバーから注ぐ酒
カンパイのウィルソンさん夫妻

カンパイ・タップルームで実際にサーバーから注ぐ形で提供されるのがスパークリング清酒「フィズ」だ。シャンパーニュ方式を用いて瓶内二次発酵で炭酸を含ませており、アルコール度数は11パーセントほど。カンパイ独自の変り種の製品で、清涼感にあふれている。

タップルーム創設以前のカンパイは、ペッカム地区にマイクロブルワリーという超小型醸造所を構え、細々と酒作りをやっていた。それが今回、最寄り駅に近く、より広い店舗に引越しして、酒米用の蒸し器や発酵タンクなど以前より大型の機器を導入した。トムさんはこれを機に、本職であった銀行員を辞め、酒造りとタップルームの経営に専念する。

9月22日と29日には、タップルームにクラウド・ファンディングの出資者を招き、ローンチパーティーが行われた。自社製品の3銘柄であるスパークリング清酒「フィズ」、純米酒「スミ」、濁り酒「クモ」以外にも、酒カクテルやキュウリの酒粕漬けなどでも参加者をもてなした。
日本の蔵元と英国人夫妻がもたらすイギリス「酒革命」 1本15万円の清酒とサーバーから注ぐ酒
カンパイの「フィズ」「スミ」「クモ」

さらに、麹米のみを使用し、うまみを最大限に引き出した酒を特別に用意。参加者に振舞った。この種の酒は、日本では「清酒」としては認められないため、酒税法違反となる。色はやや琥珀色がかり、通常はかすかなうまみ成分の味わいがはっきりと際立った、日本では味わうことのできない珍酒だ。


クラフトサケはクラフトビールの延長線上


カンパイ酒蔵は、ロンドンにおけるここ数年の北米由来のクラフトビール・シーンを背景にしていて、ビール造り出自ならではの独自の展開をとげている。カンパイの酒造りにはビール造り用の機器が転用され、「フィズ」の最終工程では香りづけにビールの主原料であるホップが用いられる。
日本の蔵元と英国人夫妻がもたらすイギリス「酒革命」 1本15万円の清酒とサーバーから注ぐ酒
カンパイのローンチパーティーで参加者を前に説明するウィルソンさん夫妻

ローンチパーティーの参加者の一人であるデーヴィッド・バーモンドさんは「これはクラフトビールを前身としたもので、5~10年前では無理だった。皆に小規模な醸造所を納得してもらうために、クラフトビールは不可欠だったはずです」と筆者の取材に対して意見を述べた。日本で大小さまざまな酒醸造所を見学してきたというバーモンドさんは、「酒造りは、大規模でなくても、そして大型機器なしでも良いのです」と付け加え、カンパイの今後に期待を託した。


堂島とカンパイのブランド作りの違い


偶然にもイギリスで同日にオープンした堂島酒醸造所とカンパイ酒蔵。双方の生産規模や流通戦略は対照的だ。
2合瓶1本で、日本円にして約15万円ほどの酒を販売する堂島酒醸造所は、高級ワインを意識した富裕層向けのブランディング。一方、カンパイ酒蔵は容量375~400mlの小瓶入りの酒を、日本円で1本2500~2600円程度(イギリス国内における高品質な酒の価格としては良心的)で提供したり、サーバーから一杯ずつ小売りしたりと、より多くの人に酒を親しんでもらおうと工夫を凝らす。
双方の作り手としての戦略が反映され、現地の消費者により幅広い酒の選択肢が与えられている。そこにはマーケティングの違いはあれども、地域密着型に酒を広めようという共通した精神がある。
日本の蔵元と英国人夫妻がもたらすイギリス「酒革命」 1本15万円の清酒とサーバーから注ぐ酒
堂島開所式では升に入れた酒が振舞われた

堂島酒醸造所は、酒造りの研究と教育を担う醸造アカデミーを開校する構想を抱いている。橋本清美さんは「技術指導を通して、今までは日本でしか学べなかった本家本元の酒造文化を広めるプラットフォーム作りをし、クラフト酒ブルワリーや酒ファンを増やすきっかけを作りたい」と説いた。英国での酒蔵経営のノウハウを伝授するコンサルタントとしての役割も務めるそうだ。
同時に、まがい物の酒が蔓延することを防ぐために世界酒醸造協会も立ち上げ、伝統に基づいて造られた酒にのみ認証マークを与え、伝統的な酒蔵の区別・差別化を図っている。和食や和牛の海外普及における足並みの乱れを踏まえ、日本国外での蔵元が一堂に会する情報共有組織として、世界に正真正銘の酒を普及するのが目的だ。

カンパイのルーシー・ウィルソンさんは「ペッカムというクールで超越的な場所で、皆が来て酒をゆったりと楽しみつつ、日本食や日系イベントの舞台になってほしい」との庶民派な願いを込めている。英国そしてヨーロッパにおける最大の酒の消費地であるロンドンの酒シーンを地元から盛り上げていく役目が期待される。
日本の蔵元と英国人夫妻がもたらすイギリス「酒革命」 1本15万円の清酒とサーバーから注ぐ酒
グラスに酒を注ぐウィルソンさん夫妻

酒の未開拓地と呼ばれてきたイギリスに酒の新時代が訪れているのは確かで、カンパイはそれを「酒革命」と呼ぶ。2017年の関税局の貿易統計によると、国別清酒輸出数量・金額ともに上位10カ国にランクインされているヨーロッパの輸入国は、イギリスのみだ。北米やアジアに偏りがちな海外の日本酒市場だが、今後イギリスを火種にヨーロッパ各地に燃え広がっていくかもしれない。
(ケンディアナ・ジョーンズ)