京都で大好きなスポットのひとつが、妙法院の蓮華王院、いわゆる「三十三間堂」だ。
全長約120メートルの堂に並ぶ、1001体の仏像群。
そんな三十三間堂が、東京(江戸)にも存在していた。「江戸三十三間堂」というのがそれだ。
東京の三十三間堂は、最初は浅草にあった。創建は寛永19(1642)年。現在、かっぱ橋道具街の近くにある矢先稲荷神社が、銅の鎮守だった。神社にはこんな解説文が書かれていた。
「三代将軍家光公が武術奨励のため京都三十三間堂を模してこの地に三十三間堂を建てた」
京都の三十三間堂の建立は平安時代の長寛2(1164)年(のちに焼失。現在の堂は1266年の再建後のもの)で、平清盛が私財を投じたのだそうだ。
ところで三十三間堂といえば、「通し矢」の舞台としても有名である。お堂の軒下、一直線に伸びた縁がその舞台。今もお正月に晴れ着姿の新成人が弓をひき、その名残が残っているわけだが、武芸が奨励された江戸時代に、弓術の腕前を競う場として最もふさわしい弓術スタジアムとして、通し矢の殿堂・京都三十三間堂を模した建物の登場ということになったのだ。
浅草の三十三間堂は1698(元禄11)年に焼失したが、1700(元禄13)年に、今度は深川に再建された。通し矢をはじめ、当時の人気スポットだったようだが、1855(安政2)年の安政の大地震で壊れてしまい、建物などはもう残っていない。現在の江東区富岡2丁目、参拝客でにぎわう富岡八幡宮にほど近い場所、その道路ぞいに、「三十三間堂跡」と刻まれた碑が立っている。ここに、あの長い建物があったのだ。
江東区教育委員会文化財係の方にたずねてみると、
「碑のある場所と、道路を挟んだあたり一帯がそうだったようです」
とのこと。碑の位置から、一直線に伸びる道路を見ると、なんとなくそこにスッと伸びた、建物の面影を感じられるような気もする。
では、京都三十三間堂名物の、あの1001体の仏像、あれも江戸版に再現されていたのだろうか。
「千手観音を本尊にしていたところは、京都のものと同じなのですが、さすがにあのような数が並んでいたようなことはなかったようです」
作られたのが江戸時代ということから、東照宮の御神像が置かれていたらしいというのが、時代を反映していていかにもな感じだ。
京都に行かずに東京で三十三間堂参拝(跡碑だけだが)、深川不動尊や富岡八幡宮参拝のついでにどうでしょうか。
(太田サトル)
全長約120メートルの堂に並ぶ、1001体の仏像群。
整然と並び、遠くまで続く金色の千手観音像。その鈍い輝きと迫力に、何度訪れても圧倒されてしまう。なんというか、カッコいいのだ。ついでに京都駅から近いというのも、またいい。
そんな三十三間堂が、東京(江戸)にも存在していた。「江戸三十三間堂」というのがそれだ。
東京の三十三間堂は、最初は浅草にあった。創建は寛永19(1642)年。現在、かっぱ橋道具街の近くにある矢先稲荷神社が、銅の鎮守だった。神社にはこんな解説文が書かれていた。
「三代将軍家光公が武術奨励のため京都三十三間堂を模してこの地に三十三間堂を建てた」
京都の三十三間堂の建立は平安時代の長寛2(1164)年(のちに焼失。現在の堂は1266年の再建後のもの)で、平清盛が私財を投じたのだそうだ。
江戸の三十三間堂は、その名の通り、京都のそれにならった建築物だったわけだ。お台場にある自由の女神みたいなもんか、違うのか。
ところで三十三間堂といえば、「通し矢」の舞台としても有名である。お堂の軒下、一直線に伸びた縁がその舞台。今もお正月に晴れ着姿の新成人が弓をひき、その名残が残っているわけだが、武芸が奨励された江戸時代に、弓術の腕前を競う場として最もふさわしい弓術スタジアムとして、通し矢の殿堂・京都三十三間堂を模した建物の登場ということになったのだ。
浅草の三十三間堂は1698(元禄11)年に焼失したが、1700(元禄13)年に、今度は深川に再建された。通し矢をはじめ、当時の人気スポットだったようだが、1855(安政2)年の安政の大地震で壊れてしまい、建物などはもう残っていない。現在の江東区富岡2丁目、参拝客でにぎわう富岡八幡宮にほど近い場所、その道路ぞいに、「三十三間堂跡」と刻まれた碑が立っている。ここに、あの長い建物があったのだ。
江東区教育委員会文化財係の方にたずねてみると、
「碑のある場所と、道路を挟んだあたり一帯がそうだったようです」
とのこと。碑の位置から、一直線に伸びる道路を見ると、なんとなくそこにスッと伸びた、建物の面影を感じられるような気もする。
では、京都三十三間堂名物の、あの1001体の仏像、あれも江戸版に再現されていたのだろうか。
「千手観音を本尊にしていたところは、京都のものと同じなのですが、さすがにあのような数が並んでいたようなことはなかったようです」
作られたのが江戸時代ということから、東照宮の御神像が置かれていたらしいというのが、時代を反映していていかにもな感じだ。
京都に行かずに東京で三十三間堂参拝(跡碑だけだが)、深川不動尊や富岡八幡宮参拝のついでにどうでしょうか。
(太田サトル)
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