「バトルの王道と言えば?」と訊かれれば、真っ先に「ドラゴンボール」と答える人は多いだろう。ゲームで言えば「ドラゴンクエスト」だろうか。
これはどちらも漫画家・鳥山明氏が携わっていることは周知の事実だ。

現在では「ワンピース」、「ナルト」、「ブリーチ」など数多のバトル漫画が日本の漫画業界の頂点に君臨しているが、そもそもの発端はドラゴンボールと言っても過言ではない。

このドランゴンボールは世界で大流行したことは知っているだろうか。アメリカ、南米、ヨーロッパと世界に名を轟かし、一躍漫画ブームの火付け役となった。一方、現在の若者の間では「ドランゴンボールって中身が薄いし、バトルの王道で飽きる」という、筆者からすると非常に残念な声もしばしば日本で囁かれている。

しかし、アメリカやヨーロッパではドラゴンボールのストーリーはかなり斬新だったのをご存じだろうか?それは彼らにとっては今までのアニメ、歴史観を180度覆すほどのことだったのだ。


アメリカとヨーロッパのこれまでの漫画や歴史人物が題材になった物語を見てみると、ある1つの共通点が垣間見える。それは「英雄物語」だ。
ジュリアス・シーザー、ジャンヌ・ダルク、アーサーなどは勝手知ったる人物だ。漫画で言えばバットマン、スーパーマン、スパイダーマンなどが該当するだろう。これらは1人の主人公が悪者を叩きのめすという、いわゆるヒーロー漫画だ。

対してドラゴンボールを見てみよう。
主人公の孫悟空は強いものの、時折強大な敵の前でなすすべなく倒れてしまう。かつての敵、現在の仲間であるピッコロやべジータなども共に戦う。最後は孫悟空がとどめを刺すものの、これは英雄漫画ではなく「みんなと力を合わせて邪悪な敵を倒す」という1つの大きな柱がある。

実は、このあらすじはアジア最古の物語と呼ばれている「ラーマヤナ物語」に準じている。簡単に紹介すれば、「100%邪悪な悪者(魔王)に大切な人が人質にされる。そして主人公は悪者を討伐に行く道中、数々の敵を倒し、中には仲間になるものもいる(その内の猿の大将ハヌマンは後の西遊記のモデルとなったと言われている)。
最終決戦を迎えるとき、魔王の強大な力の前で主人公は倒れるが、最後はみんなの力を合わせて魔王に打ち勝つ」

これがラーマヤナ物語の大筋である。この物語をドラゴンボールに置き換えてみよう。最後の魔人ブウとの戦いでは、星や人類が人質に取られるところからはじまる。そして悟空はかつてのライバルであるべジータやピッコロ、また子供の悟飯などと共に戦うが、負けてしまう。最後はみんなの力を合わせて元気玉で魔人ブウを倒す。
まさにラーマヤナ物語の内容と酷似しているのが分かる。
ちなみに、これはRPGの王道であるドラゴンクエストでも同じことが言える。

のちに王道と呼ばれるストーリーだが、この物語は実は欧米には伝わっていない。ゆえに、ドラゴンボールのストーリーは英雄伝説の文化が定着している欧米にとってはまったく新しいストーリーと見受けられるのである。
逆に日本人である我々にとっては、ジャンヌ・ダルクやグラディエーターがバッタバッタと敵をなぎ倒すシーンは目新しく、大人でも興奮する材料であることも間違いない。

欧米とアジアの物語文学というのは時代を遡って見てみても交わることは決してなかった。そう考えると、欧米とアジアのバトル漫画の価値観を共有したドラゴンボールの功績は大きい。


この記事を読んで、まだ「ドラゴンボールは中身が薄い」と言えるだろうか。
(古川 悠紀)