現在、東京・上野で「フェルメール展」「ルーベンス展―バロックの誕生」の2つの展覧会が開催され、話題となっている。フェルメールは日本人にも人気のある画家であり、ルーベンスもアニメ「フランダースの犬」などで馴染みがあるという人が多いのでは?
しかし、実のところ、いわゆる誰もが知る名画について「なぜ良いのか?」をはっきりと言葉にできる人は少ないのではないだろうか。
専門家が評価しているからきっとすごいのだろう……という先入観があることも事実。
そんな漠然とした「この絵、良いよね~」から脱却できる、『武器になる知的教養 西洋美術鑑賞』(大和書房)なる本が発売された。フェルメールの「牛乳を注ぐ女」、ゴッホの「ひまわり」、ムンクの叫び」などなど、誰もが知る名画はもちろん、日本人がとくに苦手とする抽象画についても、西洋美術史をわかりやすくひもときながら解説してくれる。
著者の秋元雄史氏は、“アートの島”として知られる直島のアーティステック・ディレクター(美術監督)や、金沢21世紀美術館の館長も務めたスペシャリスト。タイトルの冠にある「武器になる~」は挑戦的にも思えるワードだが、アートを嗜むことはビジネスパーソンにとってどのように有意義なのか? ほか、せっかくなので話題の「フェルメール展」の楽しみ方などについても聞いてみた。
アートはトップビジネスパーソンに必須の教養!?
――冒頭でSoup Stock Tokyoの遠山正道社長が言った、「アートはビジネスではないが、ビジネスはアートに似ている」という言葉を引用されているのがとても印象的でした。遠山氏のほか、ゾゾの前澤友作氏がバスキアのコレクターであることもよく知られていますが、“新たな価値の創造”という観点から両者には共通点があるんですね。
本書はビジネスパーソン向けに書かれたアートの入門書ということですが、どういうきっかけで執筆されることになったのでしょうか?
秋元雄史(以下、秋元) 美術館に一番足を運んでいないのが、実は20代から50代の男性ビジネスパーソンです。働き盛りの年代ですが、多忙で教養を高める時間がとれないというのが実情だと思います。しかし、今の時代はどれだけ自由にビジネスをつくりあげていけるか、想像力、構想力が必要な時代。心が疲れていたら、タフな現場にはとてもついていけません。体が疲れたら、ジムに通いストレッチなどをして普段使っていない筋肉を伸ばすように、頭が疲れたら、普段使わない頭や心をストレッチするように刺激していくことが大事です。そこで、一般向けのアート入門書のようなものがあれば便利だろうと思い、執筆しました。
「牛乳を注ぐ女」に隠された性的な寓意
――現在、「フェルメール展」が話題なので、なかでも代表的な「牛乳を注ぐ女」についてお聞きしたいと思います。意外とサイズが小さめなのは、個人の邸宅に飾られることを想定した絵だったからなのですね。この女性が家庭の主婦ではなく、メイドさんだったというのも初めて知りました。
秋元 17世紀のオランダでは王侯貴族や教会ではなく、貿易などで成功した裕福な市民が画家のスポンサーとなっていたんですね。この女性も貴族が雇ったメイドではなく、裕福な市民の家庭のキッチンが舞台です。当時のオランダでは、腐敗したカトリック教会への反動として、プロテスタントの中でも急進的で厳格なカルヴァン派が主流でしたから、キリスト像や天使といった偶像崇拝の文化はありません。そこでオランダでは、独自に風景画や静物画、風俗画といったジャンルが発展していったというわけです。
また、彼女は美しい青のエプロンを着けていますが、これには黄金に匹敵するラピスラズリを原料とするウルトラマリンが贅沢に使われており、当時のオランダの豊かさがうかがえます。また、フェルメール時代のオランダ絵画では、メイドが男性にとって性愛の象徴とされていたので、この絵にも性的な寓意があるとする研究者もいます。
――え! とても静謐で清らかな絵だとしか思っていなかったので衝撃です。でもたしかにそういった絵画の持つ、「文脈」知ることでぐっと引き込まれますね。それまで、カトリック教会が「見る聖書」として画家たちに描かせていた宗教画とは根本的に異なる、市民文化から生まれてきた絵画だったんですね。
展覧会は目玉作品から観るのがおすすめ
――芸術の秋ということで、これから美術展へ行こうと思っている人も多いかと思うのですが、●●展と銘打たれた展覧会では入り口のほうに人が溜まっていることが多いですね。じっくりと略歴を読んでいる人が多く、なかなか前に進めないこともしばしばですが……。
秋元 多くの企画展には、目玉になる作品があります。感性や教養を高めようと思うならば、まずは「名作」といわれるものを時間が許す限り観る、というやり方のほうが、効果が高いでしょう。
一般的に、ポスターに採用されるような作品は、場合によってはキュレーターたちが何年も所蔵美術館と交渉の末に展示を許されたものなどもあります。2000円弱のチケット代は、目玉を鑑賞するためにあると言っても過言ではないでしょう。
――なるほど。つい、きまじめに順路通りに見てしまいがちですが、集中力がたっぷりあるうちに目玉を存分に楽しむんですね。目からウロコの鑑賞法かもしれません。順路通りだと、目玉に辿り着く頃にはヘトヘトで頭が朦朧としている……いうこともありがちですよね。今回のフェルメール展に関してはどうでしょう?
秋元 35点しかないと言われているフェルメール絵画のうち、9点が一箇所に集ることはまずありません。非常に貴重な機会と言っていいでしょう。
この展覧会では、キリスト教に題材をとった初期の作品(宗教画)と、フェルメールの代表的なスタイルである室内の風景を描いたもの(風俗画)、という異なった2つのタイプが同時に並びます。数が多いということと、同時に異なったスタイルが見ることができるというのが、この展覧会の見どころといえます。
初期のキリスト教に題材をとった「マルタとマリアの家のキリスト」は、もっとも初期の作品の一つです。やがて、売春宿をモチーフにした、「取り持ち女」で風俗画家に転向していくのですが、それ以降の中期作品で今回日本初公開となるのが、「ワイングラス」です。まずはこの3つを見比べて、空間や物の捉え方の違いを楽しみましょう。
初期二点の人物描写への傾倒と比較すると、「ワイングラス」では室内の箱型空間を合理的に成立させることに力点が置かれているのがわかると思います。
研究者によって評価が真っ二つに分かれる作品も
今回、日本初公開となるフェルメールの「ワイングラス」(画像出典:Wikipedia)
――「ワイングラス」はとても意味深な作品ですよね。この2人はどういう関係なんだろうか、なぜ女性だけがワインを飲んでいるの?など、いろいろな想像をかき立てられます。
秋元 実は、今回は出品されていないのですが、もう一点とても似通った構図の作品があるんですよ。「ワイングラスとほぼ同じ時期に描かれただろうと言われている、「二人の紳士と夫人」(あるいは、「ワイングラスをもつ娘」)という作品です。
こちらも、男性が女性にワインをすすめ、女性がワインを飲み干した場面を描いています。どちらも誘惑や恋愛を暗示しているようであり、楽器にも誘惑という意味があることから、誘惑と節制がテーマであると言われています。
ある学者はこの作品こそフェルメールの最高傑作といい、ある学者は、たいした作品ではないと評価が真っ二つに分かれる作品でもあるのがおもしろいところです。誰もが一致して納得する、完全なる確定した評価というのは案外ないものなのかもしれません。
フェルメールの「二人の紳士と夫人」(画像出典:Wikipedia)
絵が「わかる」って結局、どういうこと?
現在、東京都美術館で開催中「ムンク展」の目玉である、「叫び」を解説したページも。
世界で最も知られるキャッチーな作品だが、実は中央に描かれたこの人物が叫んでいるわけではなく、別の意味があったって知ってました?
世界で最も知られるキャッチーな作品だが、実は中央に描かれたこの人物が叫んでいるわけではなく、別の意味があったって知ってました?
――最後に、多忙なビジネスパーソンがアートを楽しむコツなどありましたら、アドバイスお願いします。
これから本書を手にとる読者へのメッセージなどもありましたらぜひ。
たとえば、ニューヨークで美術館は一種の社交場なので、人と会って会話したり、その後食事したり……といったことと一緒に展示も楽しみます。また、企業が会議の場として美術館を利用するケースもあり、仕事をしながら美術にふれる機会を持てます。日本ではそのようなサービスを提供している美術館は少ないですが、よくチェックしてもらえれば、金曜日は夜の8時、9時まで開館していたり、会員になればオープニングレセプションに参加できたり、といった特典があります。友の会に入ることをおすすめしたいですね
本書では、絵画の持つ「文脈」を知るために、世界史や美術史、作家の個人史などを知ることが大切と書きました。そういった知識を頼りにより深く作品にコミットしていくわけですが、頭で理解するだけでなく、最後は心から何かを感じる瞬間が訪れるはず。そこまで行って初めて、絵がわかったということになります。絵を理解するとは、一種の体験だからです。本書を手引きに、読者の方々にそういった豊かな時間が訪れることを願っています。
(まめこ)
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