
■聖杯の国のワイン
エチオピアは世界最古のキリスト教国の1つだ。ワインは常に彼らの文化の中で注がれていた。その中で同国近代ワインの歴史は、イタリアにより種がまかれた。1936年から1941年にかけて、エチオピアに進駐したイタリア軍は首都アジスアベバ近くにブドウの木々を植えのだ。しかし、それは自らの消費のためだけであり、ビジネスとしての醸造ではなかった。その後、国営企業よりワイン生産は行われていたものの、特筆すべき成果は上げていない。
半世紀後、転機は訪れた。自国産品の多角化を図りたいエチオピア政府の意向と、同国でビジネスを広げたい仏カステル社の思惑が重なり、現地子会社BGIを通して2007年に新たなワイン事業が試みられた。カステル社は仏ボルドーに本社を置く大手ワイングループであり、アフリカではモロッコとチュニジアでワイナリーを営んでいた。

■カバの隣でブドウを育てるということ
ブドウ畑選びに際し、まずカステル社は同国の第二の都市ディレダワ東部の土地を候補にした。しかしアクセスの悪さに加えて、当時紛争で混乱していたソマリアに近く、地域の不安定さからこの土地でのワイン造りをあきらめざるをえなかった。その後、首都アジスアベバから南へ約170キロ下った、ズワイに場所を定めた。ここはズワイ湖からアビヤタ湖までをつなぐ、ブルブラ河畔に位置する。土壌は砂質ローム、phは7.2から8.3、標高は1630メートルである。東アフリカを南北にはしるリフトバレー上にある。

75万本ブドウの木々はボルドーより持ち込まれ、125ヘクタールの農地に植えられた。品種は赤が9割を占めメルロー49ヘクタール、カベルネ・ソーヴィニヨン37ヘクタール、シラー20ヘクタール、白はシャルドネが12ヘクタール植わる。現地取材を行った2013年春の時点では、今後さらに200ヘクタールが植えられる予定だった。
気象条件はブドウにとって理想的だ。熱帯にあるため年2回ブドウを収穫できるという。

■ワインにコーラを混ぜてしまうエチオピア人
ワイナリー内には、273ヘクトリットルのステンレスタンクが37基並ぶ。従業員は通常350人、繁忙期は900名がたずさわり、地元の雇用にも大きく貢献している。収穫されたブドウから作れたワインは、ワイナリー内で仏本社からのゴーサインを待っている状態だったが、2014年3月初めてのボトルが市場に出た。
エチオピアワインに目をつけたのが中国企業である。30万本を予約したのだ。

同社のワインはミディアムスイート。口当たり軽やかでフルーティーに仕上げられている。これには理由がある。エチオピアでワインは高級嗜好品であるため、多くの人々にとって日常酒はビールだ。そのためワインの味がしっかりし過ぎると、慣れないエチオピア人はワインを薄めようと、そこにコーラを混ぜてしまうという。
■エチオピアワインにさらなる飛躍はあるのか?
現在エチオピアで、ワインへの投資を行うのはカステル社だけではない。エチオピア人実業家ムルゲタ・テスファキロス氏は2013年、投資会社8Milesと組み同国アワッシュ・ワイナリーを買っている。同ワイナリーは1943年に設立された国営企業を元とし、「Axumit」「Gouder」「Kemila」などの銘柄で国内外の市場へ出す。
エチオピアでのワイン事業は、すでにズワイから次に目が向けられている。北部ウクロや東部ディレダワ近郊のゴタは、その候補だ。
エチオピアワインの長期的な目標は、南アフリカワインだという。2013年、南アフリカは500万ヘクトリットルを輸出した。一方でエチオピアは、8万ヘクトリットルに満たない。しかしアフリカで大きな市場を占め、約20カ国に販売網を持つカステル社が扱うことで、流通で利点になることも事実だ。オランダ人がブドウの苗を植え、その後フランス人が牽引した南アフリカのように、エチオピアもフランス人の手によって、ワイン王国への道を少しずつ歩み始めようとしている。
(加藤亨延)