ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんによる、話題の作品をランダムに取り上げて時評する文化放談。今回はフリーゲーム『被虐のノエル』について語り合います。


狭い人間関係の中での意外な「どんでん返し」


飯田 『被虐のノエル』は2016年フリーゲーム最注目株のひとつですね。『虚白の夢』という探索型ホラーゲーム(これもフリゲ)で有名になったカナヲが電ファミニコゲームマガジンで連載中の新作。現在第3話まで公開されていてゲーム実況でも人気である、と。
 あらすじ的には架空の現代世界の街で、市のピアノコンクールで優勝して選ばれし式典奏者の栄光を勝ちとることをずっと望んでいた少女ノエルが親友のジリアンに負けて「納得いかねー」的な嫉妬とショックが渦巻いている状態になっていると、絶大な権力をもつ市長のバロウズ(コンクール選考委員でもある)に「願いを叶える方法がある」ふうにそそのかされ、しかしそれは罠でハメられてしまう。ノエルは市長たちへの復讐に燃え、悪魔の正当な使い方をしないバロウズたちに不満を抱く悪魔のカロンもノエルに協力。市長の周囲に渦巻く陰謀と謎にノエルとカロンは果敢に挑んでいくことになる……と。

藤田 ……意外、と言っては失礼かもしれませんが、それなりにゲームをやってきた、いい年をしたオッサンのぼくがプレイしてもなかなか面白いものでしたよ。


飯田 ネタバレをなるべく避けて言うと伝えにくいんですが、「え? こいつとこいつがこんな関係だったの?」みたいな入りくんだ過去、人間関係が次々判明していくのがおもしろい、ストーリー重視型のアドベンチャー(?)ゲーム。ゲーム部分はそこまで難しくない。物語を見せる装置としてゲームというフォーマットを使っているタイプの作品ですね。
 悪魔と契約すると強大な力を手に入れられるが大きな代償を払わなければならない、みたいな核となる設定自体はよくあるもの(『まどマギ』とか『ハガレン』とか)。主人公が奪われた四肢を取り戻す、というのも『どろろ』とかね、先行作品が思い浮かぶわけで、そこに新味があるわけじゃない。
 けど、とにかく韓流ドラマばりに狭い人間関係の中でこれでもかこれでもかってどんでん返しと悲痛な展開を用意してくるのがこの作家の特徴ですね。

前作『虚白の夢』も、プレイヤーは最初はまったくわからないんだけど、実は出てくるキャラみんな深いつながりがあるというもので、そこが魅力だった。今回もそう。

藤田 3話にして、過去編に入ってますからねぇ。あの人とあの人はそういう関係だったのか!? っていう驚きを結構連射してくる感じ、嫌いじゃないです。

飯田 ノエルは自信家でくそ高飛車な女なんだけど、そいつが酷い目に遭って、絶望して、立ち上がる。その過程でだんだんいいやつの部分、友達思いの部分が見えてくるのがいい。

パートナーになる悪魔のカロンはツンデレというか口が悪くてめっちゃ強くて、でも時々やさしいと。ふたりは恋愛関係になるわけじゃないけど、男役のほうがオラオラ系なのは以前とりあげた『殺戮の天使』といっしょ。これは、フリゲ界の鉄板なんですかね。少女漫画とか乙女ゲームでもわりとよく見る男の造型ではありますが。
「なんだこいつ(ら)?」って思わせておいてだんだん感情移入させるのがうまいですね。

実は『メタルギア・ソリッド』に似ている!?


藤田 「ラプラス」とか「魔」とか、「バロウズ」とか、これ見よがしに繰り広げられている解釈ホイホイはとりあえず置いておいて。ゲームのシステム面ですが。
潜入ステルスアクションですよね、これw めっちゃメタルギア。Vとそっくり(報復が主題なところや、身体を失うところとか)。そして、エピソードごとに建物に侵入していくのは、『4』と『ライジング』を思わせます。

飯田 あー、そう言われればそうですね。

藤田 で、あとは、『ICO』かな。プレイヤーがキャラクターを操作しながら、作中のキャラクターを助けたりしていくことで、感情移入を高めたりするのが、ゲーム特有のドラマの作り方としてあって、その代表作が『ICO』と言われています。
プレイ経験としては、悪魔を操作して女の子を助けていくプレイ感覚(そしてキャラクターの関係性と、内面の変化)において、すごく似ている印象を受けました。こんなシンプルな作りでもその感情(体験)は成立するんだな、って驚いた。
 敵への攻撃方法が「体当たり」しかない、こんなバカげたプアな内容なのに、二人の「関係性」は描ける。「関係性」「コミュニケーション」の部分は、美少女ゲームやノベルゲームの話法ですね。そこがクロスしている作風なのが、面白いと思いました。あと多分、安田均さんがシナリオを書いた『ラプラスの魔』っていう1987年のゲームにオマージュ捧げていると思う。


この絵柄だからできる物語と、コメントが流れるUIだからこそのプレイ感覚


藤田 15歳の少女が復讐する話なんだけど、カロンはその手伝いをするというか。悪魔なんだけど、助けちゃう。
 ノエルが復讐のために残虐なことをしようとしたら、顔を殴って「指導」するしねw あの辺りは、悪魔というよりは、心理カウンセラーの立場に近い(カウンセラーは殴らないけれど)。……以前に『ひぐらしのなく頃に』について論じたときに、ノベルゲームの一部のコミュニケーションは、セラピーの代理になっている的なことを書いたのですが、今作にもそれは感じました。

飯田 これね、このデフォルメのきいた、わりとかわいらしい絵柄じゃなくて欧米のリアルな絵柄でやってたら相当きつくて重たい作品になったと思う。

藤田 ノエルもカロンも、コントみたいなやりとりというか、笑いをさそう場面がちゃんあって、絵柄と効果音も間抜けな感じにしてて、そこがポイントかもですね。

飯田 だからけっこうエグいことも精神的にしんどい出来事もプレイヤーの拒否反応をそれほど引きおこさずに描けている部分があるんじゃないかと。

藤田 あのようなユーモア、ギャグがコミュニケーションの中に生じていることが、この作品全体がどのような結末になろうとも、救いの瞬間としてあることが、プレイヤーを楽にさせている。それはその通りだと思います。
 リハビリのような作品だな、と思いましたよ。揶揄でもなんでもなく。作中人物の心と身体のリハビリと、回復を描くような。
 ニコニコのブラウザゲーム版でプレイしているとね、やっぱりカロンが男気を見せるシーンでコメントがいっぱい出てきて、楽しかったですね(ニコニコのシステムで、ゲームをプレイしながら、ある場面になるとコメントが出てくるようになっていて、それ自体もゲームを盛り上げてくれる面白い要素だなと思いました)

飯田 すっかりニコ動よりYouTube派になって以降、コメント流れるUIはうっとうしいのでたいていのサービスで切るようになってしまいました。

藤田 ゲームが始まった序盤は、「コメント消えろ」みたいなコメントばっかり流れてきて、本当にそのコメント自体が邪魔で消えて欲しかったけど、内容的に盛り上がってきてからは、そういうコメント減ってました。攻略の助けもしてくれるので(それ自体は、『ダークソウル』シリーズにおける「非同期」的なオンラインプレイの簡易版だと思いますが)ユニークなプレイ感覚でしたよ。

「街」という単位だから描けること


飯田 腐敗した街を描く作品として海外ではもちろん『バットマン』のゴッサムシティとかがあるわけですが、その日本版として捉えることもできる。アメリカだと「州」はほとんど「国」だから強大な権力があるって設定もすんなりいくんだろうけど、日本だとこういう感じで架空世界をつくらないとそうはいかないのが違いでしょうか。この市はめちゃくちゃというか、市長が強すぎるw

藤田 たかが「市」にこんなに権力あるんだろうか? ってのは思いましたが(悪魔と引き換えに求める権力の座が「市長」かよってのも)、まぁ、「他者を利用して捨てる巨大権力」と「その犠牲になったもののレジスタンス」という構造一般の象徴として、受け取っています。

飯田 アメリカの作品だと街が腐ってる、政府も警察も裏社会と癒着してる、または犯罪者と血で血を洗う抗争をしていて暴力によって街がすさんでいるし、警察もあらっぽくて口が悪い連中がゴロゴロいる、みたいなのがけっこうあるけど、日本では「病む街」を舞台にどうにかする話ってそこまで見ない気がします。人里離れた土着的な村で~みたいなのはよくあるけど。

藤田 いや、『仁義なき戦い』とか『県警対組織暴力』とか……w

飯田 ああ、そうかそうか、日本だとヤクザが出てくる話になるのか。

藤田 権力と暴力団が癒着している構造の社会を描いたものでは、最近だと『日本で一番悪い奴ら』がそうかも。作中の「マフィア」に相当するものを「暴力団」に読み替えてよいなら、ということですけどね。

飯田 欧米の警察ものの小説とか映画、ドラマとはずいぶんイメージが違うよね……。
 今のやりとりを踏まえると、僕が言いたかったのは「ゴッサムシティ的なものをゲームで描きたかったのかな、警察vs暴力団的な日本っぽい設定を使わずに」という感じですかね。

藤田 「街」の単位での「自治」、ちょっと前に流行ったサンデルの言うような「コミュニタリアニズム」の発想がアメリカだと強いから、ああいう物語になるんでしょうねぇ。そもそも、バットマンは、何故あの街しか助けないのかとか、よく分からないじゃないですかw(作中の設定として、動機はあるんですけど)。
 日本は、そういう「街」の単位での自律の感覚は低いので、確かに、そのままストレートにやると、上述の作品のように泥臭い感じになるかもです。

飯田 いや、そうなんだよね。アメリカ人の「街」へのこだわりはhip hopのレペゼン文化にもあらわれていると思うけど。なぜその単位なのかの必然性がいまいちぴんとこないという……。

藤田 電車で数時間移動すれば着いちゃう街同士の「自律」の感覚は、日本にはないですよね。地方創生や、地域アートや、ゆるキャラなど、今では地域の個性を立たせる方向で争っていますけどね。広大な国土の中に街が点在するようなドラクエ的なリアリティの世界とは違いますよね。

飯田 そうだね。全世界レベルの話ではないからこその人間関係の密度の濃さがある。そこがいいと思う。

藤田 物語を描くサイズとして、ちょうどいい感じがありますよね。宇宙を股に掛けた壮大な戦争やレジスタンスの物語を、内輪の人間関係で描くというのは、戦う人の数から考えて、無理が生じますからねぇ。『スター・ウォーズ』も無理無理なんですが、あれは神話だっていう約束事ありきで成立している。

飯田 「街もの」でくくって論じたらおもしろいかもしれない。

藤田 まさに『街』という名作ノベルゲームが昔ありましたねぇ……

ゲーム界でさらに羽ばたくか? 他ジャンルへ越境して羽ばたくか?


飯田 カナヲ氏はどろどろとした話を書かせたら才能あるので、メジャーフィールドでもブレイクしてほしいですね。エロゲから虚淵玄さんとかが出てアニメとかほかの世界にも羽ばたいていったように、フリゲからもその界隈をこえて評価・注目・仕事がオファーされて売れっ子になる人が出てきてくれたらおもしろいだろうなと。
 ニコ動が落ち目になった今では、ここからニコニコ系の自作ゲーム界隈がどれだけ影響力を持てるのかわからないところですが(広い意味でのインディーゲームという意味では全世界的に盛り上がっているとは思いますけど)。

藤田 最初にも繰り返したんですが、ゲームというものの特異性――システム、技術的側面――を理解し、活かしているから、全体としては(大作と比べれば)プアな環境なのに、面白く感じさせる作品になっていると思うんですよね。その才能の部分は、他のメディアでも活きるだろうか?

飯田 たしかに。ストーリーテリングの部分は活かせると思います(メディアごとの表現の向き不向きとかリアリティレベルの調整が難しそうですが)。
もっと大きい規模のゲーム開発ってのはどうなんですかね。フリーゲームからゲーム会社に就職したり組んだり起業したりしてめっちゃ成功した例って不勉強にしてよく知らないのですが。

藤田 規模を大きくするのはありえるかもですね。でも、大きくなると、不便も増えるので、本人がやりたいかどうかとか、色々あるのではないかと……
 採算が取れるラインが低いからこそ、大作よりは気軽に実験、失敗ができるがゆえに、進化していく領域にいる才能を持った人が常に直面する、普遍的な問題かもしれないですけどね。
 ぼくとしては、システムや技術、メディアの構造自体と取っ組み合いをしながら、新しい表現や物語を切り拓く道を期待したいなぁ…… マネタイズやら出世やらは、全部無視した、無責任な言い方だけどね。21世紀を代表するメディアとなるだろう「ゲーム」という、インタラクティヴな構造を用いることで新しく切り拓ける領域がまだまだあると思うし、可能性も汲みつくされていないし、それが思想的に――映像と20世紀の思想との関係のように――取り扱われる仕方も、不十分だと思うんだよね。もっともっと、新しいもののエッジに突き進んで、広げていってほしいですね。

飯田 小説くらい個人(せいぜいバンドくらいの少人数)でつくれる、パーソナルなメディアとしてのゲームの可能性はこれからも広がるだろうしね。ノベルゲームという意味じゃなくて「個人の表現」としての色が濃く出ているゲームという意味での「小説のようなゲーム」がもっとうまく流通する回路はできていってほしい。僕、正直、すげえCGの大作ゲームとかって大半があんま興味ないし……。

藤田 いや、大作のゲーム、凄いですよ…… CG表現は、もう壮大な芸術の領域に入っていると思います。まぁ、ソーシャルゲームなどに押されて大作も危機的な状況ですが。……色々な作り方の、色々なゲームがたくさん出て、うまくマネタイズできればいいんだと思うんですけどね。『Portal』とかもそうですが、インディーの発想を大手が積極的に求めて、いいものはリメイクするとか、そういう相互作用が起きている。
「音楽」にはオーケストラも、バンドも、打ち込みもあるように、「ゲーム」も色々な人数・編成・内容になってきたという、進化と多様化のまさに最中なので……

飯田 『被虐のノエル』は「こりゃすげえええ」って完結編をぜひつくってもらって、フォロワーをガンガン生むくらい成功してほしいなと思います。もちろん、カナヲ氏の次の作品も楽しみですが。

藤田 もし仮に、カナヲ氏が小島監督のファンだと仮定すると、やっぱり、次はエンジンを作るところまで行かないと…… そう言っているお前はどうなんだ、と言われると、「エンジン」に相当するところから作るとしたら、「言語」を作るレベルからやるってことか、とか今考えて、無責任に放言しているなと反省しましたが。

飯田 エンジンつくっても……(お察しください)

藤田 ゾンビものの続編が出ればいいじゃない!!!!! ねぇ!!!!!!!!!

飯田 (無視して)『被虐のノエル』わりと全年齢におすすめです!