「カメムシを絶滅させたかった」ピンセットコレクターが収集を始めた理由


兵庫県の伊丹市昆虫館で学芸員をされている昆虫研究者の長島聖大さんは、ピンセットコレクターでもあります。現在、手元にあるのは約200本。
おすすめのピンセットを人に譲り、感想を聞くこともあるので、これまで入手した数は200本ではすまないそうです。「ピンセットについて知ることが目的で、集めることは二の次」なのだとか。

専門職でもない限り、あまり触る機会のないピンセット。そんなに種類があるものだったとは……。そもそもピンセットにはまること自体、珍しいように感じます。そこで、ピンセットを集めるようになったきっかけを長島さんに伺ってきました。

ピンセットはどれほどの種類ある?


――ぶしつけな質問ですが、ピンセットってそんなに種類があるものですか?

「ピンセットは指の代わりに物をつまむための道具で、用途によって形や素材が違います。私たち昆虫の研究者は標本作りや研究のための実験、飼育作業などに使っています。からだの中を観察するために2~3mmの虫をバラバラにしていくような細やかな作業に使えるものがあれば、手術の縫合でしっかりと針をつかめるように先が太くなっているものもあります」

「カメムシを絶滅させたかった」ピンセットコレクターが収集を始めた理由


――虫の研究者が使うのは、やはり昆虫専用のピンセットですか?

「いえいえ。例えば『ルーチェ』は医療用のピンセットですが、昆虫の研究者で使っている人も多いです。段が付いていることで、作業中に自分の手で視線を遮ることなくピンセットの先が見えて、餌をあげる時に虫を傷つけることもありません。昆虫専用のものを使うのではなく、自分が使いやすいものを用途に合わせて選んでいるのです」

――お持ちのピンセット全てを仕事で使っているわけではないのですね。では、一番のお気に入りを教えてください。


「Fontax社(スイス)の1番(ピンセットは形状によって共通性のある番号がつけられている)です。標本作りから切手をめくるような作業まで、ほとんどの仕事に使っています。これがないと私は仕事になりません。しかし、このメーカーは廃業してしまって、今はもう手に入れることはできません」

「カメムシを絶滅させたかった」ピンセットコレクターが収集を始めた理由
長島さんが持っているのは愛用のFontax社の1番。作業に集中しても落とさないように紐を付け、腰の道具入れにいつも入っている


「カメムシを絶滅させたかった」ピンセットコレクターが収集を始めた理由
Fontax社の1番



お小遣いをやりくりして、ついつい集めてしまう


――変な話、ピンセットは高いものでおいくらぐらいするものでしょうか?

「ピンセットの最高峰を挙げるなら、機械式時計に使うスイス製のものでしょう。価格は数千円から2万円ぐらいです。頑張れば手の出せる値段なので、つい集めてしまうんですね(笑)」

――なるほど(笑) ではコレクションの中でとくに貴重なものは?

「1960-80年頃に製造されていた、時計職人が使う『ムラキ時計』の鋼(はがね)製のピンセットは珍しいです。日本の職人が1本1本手作りしています。この鋼製のピンセットは磁気を帯びると作業中の時計を狂わせることがあるため、生産数が減少し、現在は作られていません。海外でも鋼製のものは製造数が少なくなっています」

――鋼製のピンセットの優れている点とは何でしょうか?

「材質が硬いことです。細く研いでも、つまむ時に曲がってしまうことがありません」

研究者になったきっかけはカメムシの大発生


――そもそもピンセットにハマったのはいつ頃ですか?

「大学生の頃です。ピンセットにハマったわけを説明するには、研究者を目指した理由からお話する必要があります。そもそも私がカメムシの研究を始めたのは、カメムシを絶滅させようと思ったからです」

――絶滅とは尋常じゃないですね! 何があったのですか?

「高校生の時、冬にカメムシが大発生した年があって、道の色が変わって見えるほどでした。夏に増殖したカメムシは冬には暖かい場所に入ってきます。教室にも20匹ぐらい入ってきました。
それがトラウマで……」

――それは嫌になりそうです。生徒たちは大騒ぎですね。ただ、なぜそれでカメムシの研究者になるのですか?

「カメムシを絶滅させるにも研究が必要です。大学の農学部に入学してすぐ昆虫学研究室に押しかけました。カメムシの研究をするためには、カメムシを知る必要があります。まずは毎日カメムシを捕まえて観察したり、標本作りをするわけですが、このときに活躍してくれたのがピンセットでした。

体の表面に生える毛が取れてしまったり、標本にした虫が手の脂で変質することもあるため、本来直接触ることはNGです。でも素手でカメムシを触るのはどうにかして避けたい私にとっては、ピンセットに救われた気持ちでした。さらにピンセットは素手ではなし得ないような細かな作業を実現してくれます。もっとピンセットを知りたいと思い、研究するようになりました」

――コレクションを始めたのは、ピンセットの違いを知りたかったからなのですね。

「はい。使い勝手を試していくうちに数が増えていった感じです」


ピンセットは生き物に似ている


――長島さんが思うピンセットの魅力とは何でしょうか?

「一つに『育てる楽しみ』があります。
手入れをしたり、削って自分の使いやすい形状にカスタマイズすることもあります」

――ピンセットって手入れが必要なのですか?

「カメムシを絶滅させたかった」ピンセットコレクターが収集を始めた理由
ピンセットの手入れをするための道具


「新品のピンセットは先端が角張っていて、そのまま使うと対象を傷つけてしまうことがあります。そこで角を砥石や紙ヤスリで研いで丸くし、左右の長さも揃えていきます。数百円程度の安いピンセットでも、手をかければ使いやすいものになりますよ」

――安くても、手入れ次第で優秀な道具に生まれ変わることもあるのですね。

「ピンセットは壊れてもある程度の破損なら直して使うことができます。その点、生き物との付き合いにも似ています。ハマれば抜けられない沼のようにハマると思います(笑)」

――そこまでですか!(笑)

「ピンセットを選ぶときに見るポイントの一つに、つかみ心地の硬さ、いわゆる『コシ』があるのですが、人によって好みの『コシ』も違います。自分に最適なピンセットが見つかれば、幸せになれるのにと思うんですよね」

――(笑) マニアックなお話をありがとうございました。

ピンセットの世界は奥深い。手指の代わりとなり作業のサポートをするだけの道具ではないようだ。研究者の探究心を刺激して魅了する何かがある。

「カメムシを絶滅させたかった」ピンセットコレクターが収集を始めた理由
顕微鏡を見ながら両手で器用に作業をする長島さん。「ヒアリ」が話題になったことで、アリの研究にはまっているそうだ。

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アリの標本作りの様子

(石水典子)
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