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今から約400年前、中国が清の時代の頃、日本の海賊が中国沿海部に出没しては、焼き討ちや強盗、虐殺を行っていた。当時の人々はこうした日本の海賊を「倭寇」と呼んでいたが、それは海賊たちが小さいうえに醜く、その行為は匪賊に劣らないものであったため、この名がつけられたのだという。
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近代になり、中国人は日本侵略者のことを「鬼子(gui zi:グイズ)」と呼ぶようになったが、これはどうしてであろうか?
日清戦争の勃発前、清朝は日本に使節を派遣したという。日本側は使節の前で武力を誇示するばかりか、中国の文化について中国を辱める発言を行った。
それに対し、清朝の使節は弱みを見せずに「倭委人、襲龍衣、魑魅魍魎、四小鬼、屈膝跪身旁、合手擒拿(意訳:兵は強く馬も頑強というが、日本は倭寇に過ぎない。簡単に返り討ちにして見せよう)」との下句を返したのだった。
この対聯のやり取りのなかにあった四小鬼が元になり、中国の人々は日本のことを「鬼子」と呼ぶようになった。日中戦争の際には「日本鬼子」と変化、この呼称は中国全土に普及するようになったという。(編集担当:畠山栄)
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