日本語と中国語(132)-上野惠司(日本中国語検定協会理事長)

 「右」と「左」について書いている。書きながら、話が少しややこしくなってきたような気が、自分でもする。


 整理すると、中国に限らず日本においても、或いは世界的に見ても、本来、右を優位にあるもの、優越したものとするのが一般的であった。それは中国においては「左遷」つまり「左に遷す」ことが降位・降格を意味すること、西洋においても「右」を意味する英語のrightが同時に「正しい」という意味であったり、ドイツ語で「左」を意味するlinkが「不正」に通じることなどによっても窺うことができる、というものであった。

 ただどういうわけか戦国以降の中国においては左を上位とする思想が優勢になり、その影響を受けたわが国の官制においても左大臣が右大臣よりも上であったりもしたが、雄びな雌びなの並び方の変遷からも窺えるように、今はまた右を上位とする思想が回復していると言ってよさそうだ、というのがおおざっぱな結論である。

 戦国以降、表立っては「左」優位の中国だが、民衆レベルでは必ずしもそうでなかったことは、今日の中国語の「左」に「偏り」「不正常」「誤り」「あまのじゃく」などの意味があることからも窺うことができる。

 「左性」は性格がひねくれていること、「左性子」はそのような性格の持ち主、「左脾気」はあまのじゃく、「左〓子」は音痴……(〓は口偏に桑)。

 ところで右と左とを並べていう時、日本語では「みぎひだり」と「右」を先にいうが、中国語では「左右」と「左」を先にいうのはなぜだろうか。
単なる習慣なのだろうか。それとも優位とする方を先にしているのであろうか。「左右」だけではなしに、「左隣右舎」(隣近所)、「左思右想」(あれこれと思い巡らす)、「左挑右選」(あれこれ選ぶ、えり好みする)、「左擁右抱」(両手に花)……のように、「左…右…」の形で大量の熟語を生み出すことができるのも、興味深い。

 上の「左…右…」式の熟語は、いずれもこれを「右…左…」のように「右」を先にして言うことができない。ただ日本語にも入っている「左顧右眄」(さこうべん――左右を見わたす、周りの様子を見てためらうこと)だけは、漢和字典の類によると「右顧左眄」(うこさべん)ともなるらしいが、後者はどうも日本語くさい。私の読書範囲は広くないが、「右顧左眄」とする中国語における用例に出合ったことがない。
もっとも、「右顧」を単独で使った例なら知っている。『春秋左氏伝』という古典には、同一箇所に「右顧」と「左顧」が前後して出てくるが、ここでも「左顧」が先で、「右顧」が後である。「左顧右眄」は六朝時代の『文選』曹植の文章あたりが早い使用例のようだが、こういうれっきとした出所のあるものまで日本風に(?)「右…左…」に変わってしまうところが、おもしろい。

 なお、蛇足ながら、今日の政治思想について用いる「右翼」「左翼」の「右」と「左」は、いま取り上げている「右」と「左」とは無関係である。たいていの辞書に書いてあることだが、フランス革命時、急進派のジャコバン党が議長席から見て左側の席に陣取ったところから「左翼」という語が生まれたとか。(執筆者:上野惠司)

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