台南市内では、各所でビルが倒壊したり損傷を受けた。
一方で、1920年に完成した3階建て(一部4階建て)の洋館は無傷だったという。同建物は、中国との貿易業で成功した財を成した翁螺氏が、自らの邸宅として建てた。台南市では当時、「最も高い建築物」だったという。地元では「百年の古宅」などと呼ばれることが多い。
同建物には現在も、翁氏の子孫一族が住んでいる。構造面では木造建造物だ。家族によると、翁螺氏は日本からわざわざ、建築家などを呼んで、建ててもらったという。
敷地が極めて広く、建物はその一角の丘の上にある。かといって、翁氏の邸宅はかならずしも一般庶民から隔絶されていたわけではない。翁螺氏が、「貧しい人々は商売をする場所もなければ困るだろう」と言って、敷地の外に通じるゲートは常時、開放していた。
同建物にすむ翁家が、人々の命を救ったこともあった。1947年に発生した2.28事件の時だ。日本の敗戦に伴い国民党政権と軍が台湾に進出した。台湾人は当初、「同じ民族」として歓迎した。ところが歓迎はすぐに失望、そして怒りに変わった。国民党の腐敗と暴政が原因だ。
2月28日に、台北市内で警察官がたばこの密売をしていた女性を殴り、怒って集まった群衆に無差別発砲したことがきっかけで台湾全土で国民党政府支部や軍・警察の襲撃が発生した。国民党側は「話し合いの用意がある」と説明して時間を稼ぎつつ大陸から大規模な軍部隊を呼び、弾圧を始めた。
多くの台湾人が「疑わしい」と思われただけで連行され、裁判なしに処刑された。台湾政府は現在、犠牲者は最大で2万8000人程度との見解だ。犠牲者の多くは高等教育を受けており、台湾の将来を真剣に考えるからこそ、政治や社会について意見を言うことがあった人という。
翁家にも保護を求めてやってきた人がいた。建物にある塔には、秘密の通路と部屋があり、そこに22人をかくまったという。警察がやってきたが、地元の名家なので徹底して探すことを遠慮して引き上げた。もしも逃げ込んできた人をかくまったことが露見すれば、翁氏一族全体が処刑された可能性が高い。翁家は、命をかけて台湾にとって有為の人を助けたと言える。
記事は、6日の地震にも耐えて揺るぎなくそびえる翁家の洋館を「まさに台南の誇り」と称賛した。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF。台南にある孔子廟)
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