基地問題をお笑いに!? 一見、水と油とも思える両者を組み合わせ、沖縄、米軍、政府、本土……それぞれが抱える矛盾や滑稽さを浮き彫りにする「お笑い米軍基地」。新聞やテレビからは伝わらない、沖縄の現実がここにある!

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垂直離着陸輸送機「オスプレイ」の配備計画に揺れる沖縄で、人気を集めるお笑いがある。
地元の演芸集団FECによる舞台「お笑い米軍基地」だ。キャッチフレーズは「基地を笑え!」「世界最強アメリカ軍に、世界最弱沖縄お笑い芸人が立ち向かう!」。基地とともに生きる沖縄県民の“リアル”と“矛盾”をすくいあげ喜劇にしているのだ。

週プレは今年で8年目という舞台を那覇市の会場で目撃。沖縄特有の言葉や生活風習を交えつつ、野田政権、普天間基地、オスプレイ、尖閣諸島問題などにお笑いで切り込んでいく。企画・脚本・演出を手掛け、「米軍基地と同様に僕らの笑いも沖縄の県産品!」と語るお笑い芸人・小波津(こはつ)正光に、シビアな問題を笑いに変える原動力について聞いた。


―2004年に沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事件を漫才のネタにしたら、東京の会場で大ウケ。そこで「お笑い米軍基地」の上演を思いついたそうですね。

小波津 僕は沖縄で6年芸人をやって、東京で6年活動して、その後、沖縄に戻った“Uターン組”です。東京で基地の話をしたら、基地がフェンスで囲まれてることさえ知らない人が多くて最初はビックリしました。だって僕らの生活は眉間に拳銃突きつけられたような緊張状態がすぐそばにあるのに、東京は基地問題を身近に感じていない。だから、基地に反対でも賛成でもいい、まずは基地問題に興味を持ってほしい、という気持ちで舞台を始めたんです。


―初期の名コントに「ジャパネット沖縄」があります。“普天間基地を特別に本土の方に特別定価8000億円でお分けしましょう! 海兵隊付きで!”なんていう。

小波津 危ないからよそへ持っていけ、ではお笑いにはならない。基地は素晴らしいからあなたの街にもどうですか、ならばコントになります。国からいっぱいお金が出るよ、カッコいい戦闘機も見放題よ、という甘い汁で誘わないとね(笑)。あるいはAKBじゃんけん大会みたいに、普天間の移設地も本土の市町村がじゃんけんで決めていくのもいいですね!

―優勝したら……(苦笑)。


小波津 基地問題がAKB48の話題と同じように語られてほしいな、といつも思っていますから。

―「お笑い米軍基地」では、どんな笑いを提供したいですか?

小波津 僕らが目指してるのは“共感の笑い”なんですよ。地元のお客さんと同じように僕には生まれたときから基地があったし、沖縄で起きてることがそのままギャグでありコントなんですね。実際の出来事を少し大げさにして描いてるだけ。沖縄の人、ヤマト(本土)の人、アメリカの3つに対してツッコミを入れながら、それぞれが抱えている矛盾がいかに面白いかということを伝えたいわけです。

―矛盾がテーマになっている?

小波津 “米軍基地反対!”と叫びつつ、基地のお祭りにはガンガン遊びに行くのもそうです。
そうしたまったく正反対の行動や、矛盾が当たり前のように同居してるのが沖縄なんですね。芸人の立場からすれば、基地がいつまでもあればネタには尽きないし(苦笑)。でも沖縄の人間としては早く基地がなくなってほしいし、この舞台ができなくなることを望んでいる自分もいる。沖縄の人の日常って、そういうものなんです。


■笑えることで前に進めるときがある

―「沖縄はゆすり、たかりの名人」の失言で有名なケヴィン・メア氏が在沖縄総領事だった頃に、自宅に遊びに行ったとか。

小波津 普天間基地の丘の一番上に住んでいました。
飛行機が飛びっぱなしで正直うるさいでしょ、と聞いたら“いや、全然うるさくないよ。これは自由の音だよ”って。自由すぎるでしょ!(笑)。でも家の中はしっかり防音してました。これもギャグですね!

―今回の「お笑い米軍基地8」で、特にメッセージを残したかった部分は?

小波津 後半に『ウチナー新喜劇・阿波根(あはごん)食堂』という演目をやりました。1945年の沖縄戦で亡くなった娘さんのマブイ(魂)が食堂を訪ねてきて母親のオバァに質問します。
“どうしてみんなおなかいっぱいなのに私だけ飢えてるの?”“どうしてみんな生きているのに私だけ死んだの?”と。オバァがしばらく考えて“私にもわからんよ……”と答える場面があります。

―はい。あの場面は思わず見入ってしまいました。

小波津 そしてオバァが続けてこう言います。“ただ私にできることはおまえが亡くなったことを忘れないようにすることだよ”と。

―起きてしまった出来事を忘れないことが大切ということですね。震災以降も言われています。

小波津 日本の安全保障のために沖縄に基地がある。関東に電力を送るために福島に原発がある。両者は似てるなと前から感じていました。今、福島の子供たちが“津波ごっこ”といって、教室の机をがたがた鳴らすような遊びをして不謹慎だと言われるそうです。でもね、僕はどんどんやったらいいと思う。笑いがなければ人間は生きていけないし、笑えることで前に進めるときがある。お笑いはある意味、自分の首を絞めないためのガス抜きです。僕らがやってることとすごく近い気がしますね。

それに沖縄が今年本土復帰40周年と謳っても、地元沖縄の若者が知らなかったりするのが現実なんですね。僕らがやるべきことは忘れないこと。戦争があったという事実を忘れずに、そこから戦争の愚かさとか命の大切さというテーマを抽出して、舞台ではお笑いという手法で伝えていきたい。

―今回は沖縄での公演のみでしたが、東京を含め都市部に進出していきたい気持ちは?

小波津 東京、大阪、福岡などで上演したこともありますが、今はまったくそういう欲はない。むしろ舞台を観たかったら沖縄へ来てください!と言いたい。そして劇場で沖縄の人がどこで笑い、どこで怒っているかも感じてほしい。本土の人がわかるようにと台詞を標準語に変えるのも近頃はイヤになってきて(笑)。僕らが肌で感じてるリアルな沖縄を知ってほしいですね。

(取材・文/長谷川博一 撮影/公文大志)

■小波津正光(KOHATSU MASAMITSU)


1974年生まれ、沖縄県那覇市出身。2005年に企画・脚本・演出を担当した舞台「お笑い米軍基地」で注目を浴び、地元のテレビやラジオでも活躍中。『お笑い沖縄ガイド 貧乏芸人のうちなーリポート』(NHK出版)などの著書もある

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