「もういいだろ」「そっとしといてやれよ」「無意味な10番」

 最近、サッカー日本代表FW本田圭佑に関する各メディアの記事を見ると、決まってこういった読者の“声”を目にする。20日に幕を開けたイタリア・セリエAだが、開幕2節を終えても背番号10がピッチに立つことは1秒もなかった。



 本田にとって所属のACミランでの序列は低く、立場は極めて厳しい。

 しかし、それは今に始まったことではなく、昨シーズンも先発出場を果たした試合は数えるほどしかない。すでにチームのレギュラー陣はほぼ固まっており、本田自身のACミランへの固執がなければ今夏にも移籍は確実といわれていた。

「イタリアの伝統クラブACミランの背番号10」といえば聞こえは良いが、それが世界のトップを示していたのは一時代前の話だ。近年低迷が続くACミランは、昨年のセリエAでも7位。もはやヨーロッパでも中堅クラブという位置づけであり、必然的に背番号10の価値も大きく下落している。


 ちなみに昨年の英プレミアリーグの7位はウェストハム・ユナイテッドだが、背番号10がアルゼンチンのマヌエル・ランシーニであることを、世界中のどれだけのサッカーファンが知っているだろうか。

 現在の世界における本田圭佑の位置づけは、ランシーニと決して大きく離れていない。

 しかし、日本、特に日本のサッカーメディアの中で本田は今も世界有数のプレイヤーであり、日本歴代最高の選手のような扱いが続けられている。

 本田がどれだけ苦境に立たされ、クラブから干される寸前であったとしても「本田の出番は?」「レギュラー奪取へ」と書き続け、わずかでも試合に出るとミランサイドの現地の新聞記事を取り上げて「大活躍」、その雑感にある同僚や監督の本田に対する一言をつぶさに拾っては「大絶賛」である。

 無論、海外で情報量が限られる中、中堅クラブの1選手の記事をいくつも書くのは難しい。わずかな情報を肉付けし、一本の記事に仕上げるのは大変な努力だろう。
だが、彼らはそれを惜しまず、必死に本田を“英雄”にまつり立てようとする。

 だが、その一方で今や誰でもネットを使えば世界中から情報を収集できる時代。日本のサッカーメディアの偏った情報だけに踊らされるユーザーの数は確実に減っている。

 その結果が、冒頭で挙げたような本田の記事に対する批判だ。開幕2試合で出番がなく、ACミランの立場もいよいよ絶望的になってきた最近は特に増えた。

「もういいだろ」という声は『チームにまったく貢献できていない本田の、わずかな良いところだけを強引に拾って記事にするのはもういいだろう』ということの略ではないだろうか。
今年で30歳という年齢や、本田自身の実業家志向も考慮し「もう選手としては終わってる」という声もあるほどだ。

 しかし、相も変わらず日本のサッカーメディアは“英雄本田”の一挙手一投足を細かに追い続け、ユーザーはその記事を見てうんざりする悪循環が続いている。近頃、“鉄板”だったサッカー日本代表の試合の視聴率が低下の一途を辿っているのは、確実にサッカーファン離れが起きている証拠に他ならない。

「本田はアスリートの中では貴重な『しゃべれるアスリート』。選手から少しでも面白味のあるコメントが欲しいメディア側からすれば、本当にありがたい選手なんです。ですから本田はただ優れたサッカー選手というだけでなく、その話上手な性格やオシャレな面などで実績以上に人気があり、スポーツ選手をテレビタレントのように扱う日本独特の文化にマッチしている存在なんです。
そして、本田にはそれを自信が理解している節があります。つまり日本のサッカー界では香川や岡崎のように本田の実績を超えるような選手は出てきていますが、その中に本田以上にしゃべれる選手がいない限り、メディアの“本田中心”の姿勢は変わりません」(記者)

 記者の話によると、例え読者からの多少の批判があったところで「数字」の面では、本田に関する記事が圧倒的に優勢で、それがある限り例え本田が選手として“落ち目”であったとしてもプッシュは止まらないという。

 実際、過去に中田英寿が本田のようにサッカー選手として特出した人気を誇っていたが、中田の場合は引退時期が早かったため、今のような状況にはならなかったそうだ。

 つい先日も「本田が開幕から2試合出番がないのは、来年の6月に契約が切れるからだ」という報道が一斉になされた。つまり、契約が残り1年の選手よりも長期契約を残している選手が優遇されるから仕方ないといった論調だが、果たして本当にそうなのだろうか。

 いや、この主張を聞いて「ああ、そうなのか」と納得できる読者がどれだけいるのだろうか。


 あくまで主観を述べさせてもらえば、チームに必要とされる選手ならばそんなことは関係ないし、「早めに次の契約を結びたいからこそ、逆に優遇する」とも考えられるのだが。

 いずれにせよ、9月1日にはロシアW杯に向けたアジア最終予選の初戦となるUAE戦が控えており、本田は崖っぷちのACミランを離れ、自身が“王様”を務める日本代表に合流している。

 某サッカー雑誌の記事はわざわざ4年前の最終予選を振り返り、最終予選のキーマンが、この“王様”であることを仕切りに書き綴っている。アスリート、特にサッカー選手にとって「4年」という月日がどれほどの変化をもたらすのか、果たして理解しているのだろうか。

 本田圭佑の“幻想”と“現実”とのあまりに大きなギャップは、結果至上主義に走り続けた「日本サッカーメディアの功罪」と述べる他ないのではないだろうか。