江戸城は多くの人の労働力と知恵があってこその完成でした。

天下一の江戸城の築城、城作りでの様々なトラブルは労働力と知恵で乗り越える!

今回は、江戸城に使われた最新式建築などをご紹介します。


■大阪城より立派な江戸城を作りたい

家康や秀忠は天下をとったものの、まだその地位は安泰とはいえず油断はなりませんでした。大阪城には豊臣秀頼がいたので、天下を狙ってくるおそれがあったのです。そこで徳川家は、大阪城の建築にくわしい中井正清を招いて、江戸城を大坂城より立派な最新式建築にしようと考えました。この中川正清の父親は、秀吉の大坂城の棟梁だったそう。息子の正清は、奈良の法隆寺大工出身で、二条城や伏見城の建築も手掛けていました。そうした経緯を考えると、江戸城の改修を正清に任せるのも自然なことかもしれません。


■江戸城に使われた最新式建築とは?

中川正清が採用した建築方法は、本丸の中央にある大天守の東側-北側-西側に小天守をたてまわす「環立式」天守です。本丸の中に「天守丸」という郭ができたことで、敵に攻め込まれることもありません。これは、心強いですね。

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「江戸御城之絵図」東京都立図書館 江戸東京デジタルミュージアム

この環立式の大天守は、これまでにない規模の高層建築なので、工事もかなり大掛かりなものになったようです。大天守台は本丸より10間(約19.7m)の高さで、この上に22間半(約44.3 m)の高さの大天守が組み上げられたのですから圧巻です。さらに江戸城の内部には穴蔵(地下1階)もありました。


大阪城よりも立派に…江戸城に使われた最新式の建築方法とは?


「江戸御城御殿守正面之絵図」東京都立図書館 江戸東京デジタルミュージアム

地上84mくらいの大天守は、街の中でもひときわ目立っていたでしょう。屋根瓦は、土瓦でなく金属瓦にし、風雨にさらされても大丈夫なようにしました。金属瓦が使用されたのは、江戸城が初めてだったようです。

■江戸城完成後も攻めたてる徳川家

ひとまず江戸城が完成したところで、家康は駿河国安倍郡府中、現在の静岡県静岡市にも隠居用に駿府城を築き、さらに名古屋城も築きます。どちらの工事も、江戸城と同じく中井正清が手がけました。名古屋城の完成で、江戸幕府の大城郭は、伏見城・二条城・江戸城・名古屋城・駿府城の5つに!勢力を増す徳川家は、大坂城にいる豊臣秀頼にとっては脅威そのもの。
大阪城を攻めたてる万全の体制を作った家康と秀忠は、大坂冬の陣を開戦、和議を経て、ついに1615年大阪城を落城!こうして豊臣家は滅びたのです。

「大阪城よりも立派なものを」という考えにこだわった徳川家。中井正清の力を借りて強大な城郭を次々と建設し、大阪城落城という目標を達成できたのです。それは、安土桃山時代の終わり=江戸時代の始まりでもありました。

Images:「江戸・東京デジタルミュージアム」古きをたずねて、新しきを知る。|東京都立図書館

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