学食に二郎を!
慶應義塾大学でそんな運動が起こったことがありまして。
あっはっは、素敵な冗談だなー、関東にも京大みたいな冗談をする学生が増えたんだなー、福沢諭吉像が折田先生みたいに仮装させられちゃう日も来るのかなー、とのんきに思っていたら。


マジでした。

いや、本当にそういう運動があったのである。ことの起こりは慶應義塾大学三田キャンパスが面している国道一号線が拡幅され、道に面していたラーメン二郎が立ち退かなければならないと判明したことだった。足繁く同店に通っていた(1日に1人は手鍋を持参して『これにお願い』というやつもいた。いわゆる『鍋二郎』)体育会系の学生とOBが中心になって運動を始め、当時の学食の一画に店舗を移転させようとしたのである。吉野屋とかスターバックス・コーヒーがキャンパス内に出店するご時勢を先取りした運動、といえなくもない。

そのことは、村上純『人生で大切なことはラーメン二郎に学んだ』巻末の年表でも紹介されている。ふーん、そうか。1号線拡幅に伴って二郎が現在の位置に移転したのは1996年だけど、運動が起きたのは1991年だったのか。と、いうようなこともこの年表を見るとよくわかるのである。表紙をめくった見返しには現存する「二郎」38店のリストとマップが折りこまれている。ラーメンを俯瞰で撮った写真と「量」「スープ」「麺」「豚」「野菜」の情報を示した表が載っているので、これは結構重宝すると思う。

というのも、店によって二郎は味がまちまちだからだ。フランチャイズではなく、暖簾分けに近い形で増えてきた店舗群だからこその違いである。客側からするとこれは注文に直結する死活問題になる。麺量が「多め」と書かれている店で「麺マシ」を頼むと死ぬだろう。同様に野菜がクタ系(よく茹でられている)の店で「ヤサイ」コールをしてもそんなに危険ではないが、シャキ系だと昇天ペガサスMIX盛りで野菜が載ってくるので後悔しかねない。

今不用意に「危険」という言葉を使ったが、ラーメン二郎は「麺が太い」「豚(他店で言うチャーシュー)の切り方が豪快」「野菜(もやしとキャベツ)のせいで麺が見えない」「それらすべてが他店の大盛りぐらいの分量」「ニンニク入れますか?」という特徴があり、日本に存在する他のラーメンとはまったく似たところがない。ということは世界でも唯一のラーメンだということであり、ファンが「二郎はラーメンではなくて二郎という食べ物」という言い方をする原因になっている。
二郎には、もともと「大」か「小」を選び、さらに「豚」を増すかどうかというバリエーションしか存在していなかった(今では「つけ麺」や「味噌」などを出す店もある)。そこに刻みニンニクを入れるか、野菜・脂・醤油ダレ(カラメ)を増すか、という追加を口頭でするというシステムで、非常連は店内に飛び交う「ヤサイニンニクマシマシアブラ」といった呪文を恐ろしげに外から聞いているだけだったのである。しかし今ではそういう「二郎の常識」も口伝えにかなり広まったので、店に入るのに恐怖を覚える人も少なくなったはずだ。
本書では第三章を「二郎のお作法」とし、初級編から上級編まで三段階の楽しみ方が提案されている。ここと、2013年3月開店のため間に合わなかったらしい札幌店を除く、37店舗の探訪レポートが書かれた第五章「二郎めぐりで小旅行」が本書の読みどころなのではないかと思う。
全部行って食べた上で書いているわけで、実用性が高いです。820円という定価は1次郎食べてお釣りがくる値段なんだけど、買う意味はあるんじゃないかな。ちなみに私がもっとも利用する二郎は目黒店で、ここは以前にブータン国王が来日した際に、ちょっとした騒動を起こしたことでも有名ですね。詳しくは、ネットで調べてください。

私がおもしろいと思うのは、ラーメン二郎には人をして「語りたくさせる」「ファン同士を結束させる」という側面があることで、それ自体が1つのジャンルのようになっている。他にない特徴があって、マスメディアの露出が積極的には行われない。ましてやメーカーによる商品化なんてもっての他、という閉鎖性の心地良さがあるからだろう(あ、それって東方Projectに似てる)。
「語る」という点では、本書の著者もじゅうぶんにその欲望を解放しているようだ。第二章を「二郎の系図」としてその歴史を述べ、第四章「小宇宙を構成する要素」で各食材についての薀蓄を傾けるだけでは満足せず、「二郎は食べ物ではない、哲学である」とした第一章では、二郎を通した人生論を展開している。さらに、三田本店主の山田拓美(通称おやっさん)に成り代わって綴ったような経営哲学まで記されているのである。

───大きな組織の中でそれなりのポジションを狙うのではなく、あえて正規の組織からは外れ、たとえ多勢を敵に回したとしても、オリジナルの戦い方で道を切り開いていく。

───二郎のラーメン界における戦い方には、現代の閉塞感を打ち破るヒントが隠されていると僕は思うのです。


おお、ビジネス書だ。ビジネス書の著者様がご来臨されておる。
まあ、気持ちはわかります。語りたくなるおもしろいものには、現代の世相の縮図が詰まっているように見えるものですからね。言語の遊戯としては楽しいものです。

おそらく、著者はラーメン二郎を好きすぎてしまったのだと思う。その中に入りすぎて、ナニガナンダカワカラナクなってしまった。そういう惑溺の果て、と思って読むとさきほどのビジネス書めいた部分も微笑ましい。
ただ、中にはちょっと不思議な気分になる個所もあって、その点で読者を選ぶような気はする。

たとえば、「運転がうまい人は、セックスもうまい」という書き出しで始まる「二郎の愛し方はセックスと似ている」という項。著者は「僕は二郎を食べ進めるときは、女の子に接するようにやさしく二郎を愛するようにしています」と宣言し、丼に口を近づけてスープを啜るのを「キス」、野菜の山を崩すのを「脱衣」に喩えるのである。「こういった準備を経ずにいきなり麺をわしづかみにしたら二郎が痛がりますから。
まずは丁寧な前戯が大切なのです」。はあ、そうですか。

また、第二章では「AKB48よりも先にRJR38はあった」との持論を展開。詳しくは書きませんが、「夢も目標も違う個性同士がぶつかり合うことで起きる化学反応」を、暖簾分けで集まってきた二郎店主になぞらえているわけである。RJR38は「ラーメンジロウ38 」ってことですね。センターは三田本店として、じゃあナンバーツーはどのお店なの? というような当てはめの遊びは、まあ各自でやってください。

そんな感じで、男子高校生が部室で趣味についてわいわい話し合っているような雰囲気の本なのであった。ラーメン二郎について語ると、なぜか部室トーク風になるんだよね。以前エキレビで著者が企画した「ラーメン二郎ナイト」のレポートが上がったことがあるのだけど、今回はその書籍版というところだ。サークル内で盛り上がるだけではなく、外部に向けて情報発信をするのはいいいことだと思うし、先に書いたように入門者向けの目配りもきちんとされている。何度も書くが、二郎にちょっと払ってもいい本だと私は思います。
気になるのは、取材相手があまり明確にされていなくて、書かれた内容が風聞なのか、それとも二郎関係者に事実関係を取材したものなのかが判別できないことである。
けっこう内情について書かれている個所もあり、取材なしで書けないとは思うのだけど。2011年以降三田本店からはメディア露出禁止の通達が出ているらしく、もしかするとネタ元を明らかにできない事情があるのかもしれない。ただ、それにしては某店の忘年会に参加させてもらったエピソードだとか、特定の店舗の常連であることを示唆する個所もあるのが、ちょっとちぐはぐな感じである。
本の刊行後に本店との間でトラブルが起きたという噂も聞くし、見切り発車的な部分はあったのかな。そんな事情からすると、10年後には天下の奇書になっている可能性もある。今のうちに読んでおくべき本だと思います、はい。
(杉江松恋)
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