祭りから、露店が姿を消しつつある。

『週刊実話』2012年8月2日号の記事によると、関西地方では暴力団排除条例の余波で露店や屋台が激減しているようだ。
例えば京都の2012年祇園祭では前年に比べて約200店も減少したという。
また2013年には、暴力団員に用心棒代を支払っていたとされる兵庫県の認可法人「県神農商業協同組合」が解散を決めた。この団体には県下の露店商約200名が加入していた。(『毎日新聞』2013年8月20日/地方版/兵庫)

露店商は果たしてヤクザなのだろうか。

『テキヤはどこからやってくるのか? 露店商いの近現代史を辿る』は、知られざる露店商の世界について教えてくれる新書。著者の厚香苗は、東京都墨田区の下町生まれ。
幼い頃から縁日に親しみ、「テキヤさん」の仕事を手伝ったこともある。現在は研究者であり、テキヤ集団へのフィールドワークも行ってきた。

ある露店商が著者に語ったところによれば、テキヤは「七割商人、三割ヤクザ」であるという。これは、反社会的組織の一員になっている者が三割という意味と、気質として三割は「ならず者」だという気分が込められている、と説明されている。
いずれにせよ、テキヤの七割は地道に商いをしているわけだ。

そもそもテキヤたちは、近世江戸近郊でお香の原料を行商していた「香具師」の系譜に連なり、「神農」という職業神を精神的よりどころとする地縁的商人集団である。

そこでは古くから「組」や「一家」など「親分子分関係」という血縁のない他人同士による結びつきがなされ、前歴を問わず、やる気のある者を受け入れてきた。

加入するときには「親分が親を殺せと行ったら殺せるか」などと訊かれるという。親分には絶対服従のしきたり。それは、血よりも濃い信頼関係の構築がテキヤ稼業にとって必須だからだ。メンバーでお金を出し合う積立金制度もあるというから、相互扶助の意識も高い。風来坊のイメージとは裏腹に、確固たる社会が存在していることが分かる。


テキヤ社会では、「サンズン」(組み立て式露店)、「ショバ」(場所)などの業界用語が内部で語り伝えられてきたように、口頭伝承が重んじられている。口上もそうした文化のうちのひとつだ。
「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です。性は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの虎と発します」という「男はつらいよ」の寅さんのそれはあまりにも有名だが、実際には彼のような一匹狼のテキヤはほとんどいない。ちなみに、より本物のテキヤらしくするとこんな感じになる。


「お控えなすって。手前生国と発します関東は武蔵です。遥か上州の山から落ちます大利根の流れて早き江戸川の、下総矢切野菊の墓へ渡し船のあるところ、帝釈天の鐘がなります柴又で、義理と情けのためならば、いつでも死にます男一匹、姓は車、名は寅次郎、人渾名してフーテンの虎と発します。お見かけ通りの若輩者にござんす。嚮後万端よろしくお引廻しの程願います」(参考:『香具師口上集』室町京之介/1982)

現実な口上はさらに複雑だ。出身地や現住所の他に、自分の名前に関する箇所だけでも、◯代目田中◯代目佐藤◯代目加藤◯代目北野……と、所属する集団の目上の者を何人も紹介し、受け継いだ「代目」という称号を挙げるので、えらく長い。
文言や声の調子からも一人前のテキヤかどうかを判断されていたという。

口上はテキヤにとって自身が信頼できる者であることを示す、無形のIDであった。口伝いに「一家」の正当性を主張してきた彼らの伝統は、お上や地域住民とのコミュニケーションの歴史でもある。神社や寺の人間はもとより、「カタギ」に受け入れられなければ露店商いは勤まらない。

一昔前になるが、見世物小屋のペテンめいた謳い文句は有名だ。
「さァさァ早く入って見るんだよ。
一間半の大いたち。見ないで後悔するんじゃないよ。さァさァお入り、いらっしゃい、いらっしゃい」(参考:前掲書)
大きなイタチがいるのかと思って金を払い見てみると、一間半の大きな板に血がべっとり。なるほど、大板血(おおいたち)である。
今なら「バカヤロー金返せ! 消費者センターにチクるぞ!」などとクレームのひとつでもつきそうなものだが、魅惑の言葉で騙されるのも商品のうち。多くの客が納得して帰っていったという。おおらかな時代だったんだなあ。

現代の風潮はテキヤにとって逆風だ。口頭伝承に頼るテキヤであっても、役所などに書類を提出せざるをえなくなった。暴排条例の影響は末端の若い衆にまで及び、失業者も増えているという。
『週刊新潮』2012年8月16日号、長年暴力団を取材してきたノンフィクション作家の溝口敦によるルポ。そのなかで神戸のテキヤ組織本家五代目は以下の様に語る。
「大きな神社仏閣では『昔からつながりがあるんだ。今になって放り出せない』と言ってくれるところもあるけど、ほとんどは警察の言い分に押されています。テキヤは現金商売ですから、親方もカネが回らなければ、稼ぎ込み(徒弟奉公)の若い子を助けられない。我々の世界では生活苦から自殺者も多々でています」

著者もまた、この状況に対して疑問を抱いている。
「昨今の社会的な風潮は『三割ヤクザ』を絶対に許さない。テキヤ社会にはもともとヤクザ的なところがある。それなのに、現代社会はテキヤ社会に『一〇割商人』の優等生になれと要求する。昨今の世相が苦しいのは、あらゆる社会的役割が一〇〇パーセントそれであることを求められるようになっているためではないかと私は思っている」

『テキヤはどこからやってくるのか?』。その問いの答えは、本のなかに書いてある。
テキヤはどこへむかうのか? 読了後、そんなことを考えずにはいられなかった。

(HK 吉岡命・遠藤譲)