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大将、なんやったら、全部脱ぎますよ「マッサン」ポスター撮影シーン歴史的真実

2014年10月27日 10時50分 ライター情報:近藤正高

杉森久英『美酒一代 鳥井信治郎伝』(新潮文庫)
伝記文学を中心に活躍した作家による、サントリー創業者・鳥井信治郎の評伝。初版は1966年に毎日新聞から刊行されたが、文庫版が「マッサン」の放送にあわせてか、2014年に復刊されている。

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「大将、なんやったら、全部脱ぎますよ」
先週金曜放送の連続テレビ小説「マッサン」第23回、鴨居商店の「太陽ワイン」の新しいポスターを撮影する場面で、モデルのみどり(柳ゆり菜)の口から出たこのセリフに、ドキッとした視聴者も多かったのではないか。ドラマではこのセリフに、大将こと鴨居商店社長の鴨居欣次郎(堤真一)も「そうしよう!」と応じ、モデルは大胆にも着物をすべてはだけてしまう。これに戸惑う主人公の亀山政春(玉山鉄二)から、その意図を問われた鴨居は、美容と健康を売りにした太陽ワインの宣伝には、水をはじくほどみずみずしい肌の張りが必要なのだと熱弁をふるうのだった。

鴨居欣次郎のモデルとなったのは、現在のサントリーの創業者の鳥井信治郎である。1899(明治32)年に大阪で鳥井商店を創業し、太陽ワインならぬ「赤玉ポートワイン」で当てた鳥井は、1921(大正10)年に店を株式会社化し、その名も寿屋(ことぶきや)と改めた。大将という呼び名もこのときからのもので、小さな会社で社長と呼ばせるのはおこがましいからと、鳥井は社員にそう呼ぶように命じたのだという。

鴨居商店がワインを売るためヌードポスター(実際にはヌードというほどでもないのだが)をつくったという話も、史実に沿っている。ただし発案者は鳥井信治郎ではない。当時、寿屋の宣伝部長だった片岡敏郎という人物である。片岡は、日本電報通信社(現在の電通)を経て森永製菓で活躍していたが、それを鳥井から強引に口説かれて1919年に寿屋に移籍した。大卒の初任給が平均30円という時代に、片岡は300円で迎えられたというから、鳥井の期待の大きさがうかがえる。

鳥井から宣伝の一切をまかされた片岡は、移籍当初より意表を突いたアイデアで皆の度肝を抜く。掲載済みの新聞の社会面1ページをそのまま使い、その上にわざと稚拙な文字で赤玉ポートワインとだけ墨書した広告は、賛否両論を呼んだ。例のヌードポスターが制作されたのは、1922年(ただし1921年、あるいは1923年とする資料もある)のことである。

モデルとなった松島栄美子は、「赤玉楽劇団」という、このころ赤玉ポートワインのPRのため全国を興行してまわっていたオペラ団のプリ・マドンナだった。片岡は彼女に「無理は承知で」と頼みこみ、承諾を得た。そうして連れて行ったのが、ドラマにも出てきたような旅館の一室である。片岡は彼女に、肩から胸のあたりを出してほしいと指示すると、あとは襖の隙間から覗きながら、デザイナーで画家の井上木它(もくだ)とカメラマンの3人で、彼女の肌がポスターに適当かどうか検討した。

ライター情報

近藤正高

ライター。1976年生まれ。エキレビ!では歴史・科学からドラマ・アイドルまで手広く執筆。著書に『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書)など。愛知県在住。

URL:Culture Vulture

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