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今夜放送「1942年のプレイボール」の主人公は元祖・二刀流。4兄弟と野球と戦争と

2017年8月12日 10時00分 ライター情報:近藤正高
夏の甲子園、昨日の第1試合では中京大中京(愛知)が、広陵(広島)に敗れた。
野口二郎『私の昭和激動の日々』(ベースボール・マガジン社)。ドラマ「1942年のプレイボーイ」の主人公である著者が、自らの野球人生をつづった著書

中京大中京は、中京商業学校だった戦前からの強豪校で、戦後、名称を中京商業高校、中京高校、現在の中京大学付属中京高校と変えながら、夏の大会ではこれまでに優勝7回、春のセンバツも含めると11回を数え、全国最多を誇る。なかでも1931年から33年にかけて達成した夏の甲子園3連覇は、いまなお大会唯一の記録だ。

この記録が達成された1933年の大会は、明石中学(兵庫)との準決勝で、中京商業のエース吉田正男が延長27回を投げ切り、決勝進出を決めたことで記憶される。このとき捕手として出場し、吉田とバッテリーを組んだのは野口明という後年プロでも活躍した選手である。

中京商業が次に夏の甲子園で優勝したのは1937年。翌38年春の選抜大会にも優勝する。この2大会ではエース野口二郎が快投、とりわけ38年春は全4試合4完封という活躍ぶりを見せた。

ここにあげた野口明と野口二郎は兄弟である。彼らにはさらに昇、渉という弟がいた。4人はいずれも中京商業出身で、プロに進んでいる。今夜7時半からNHK総合で放送される土曜スペシャルドラマ「1942年のプレイボール」(名古屋放送局制作)では、この野口兄弟の青年時代が、次男の二郎を主人公にして描かれる。この記事では、二郎と明を中心に、彼らの横顔を紹介してみたい。ドラマのネタバレになるような記述もあるかもしれないが、放送を観終ったあとにでも、参考までにお読みいただければ幸いである。

兄・明の野球に憧れた二郎


野口兄弟の実家は、名古屋市内で染物屋を営んでいた。次男の二郎によれば、野口家は《現在官庁街となっているあたりにかなり土地を持っていたが、祖父の代にそれをだんだん失くしていったのだ、と聞かされた》という(野口二郎『私の昭和激動の日々』ベースボール・マガジン社)。

兄弟の通った八熊小学校は野球が強く、校庭での試合以外に、招待試合もよくあったようだ。長男の明はこのときから捕手を務めていた。二郎はそんな兄・明の野球に「ああいうふうにプレイしたい」と思い、憧れを抱いた。さらに明が中京商業に進み、捕手も投手もこなすようになったのを見て、努力の大切さを教えられたという(『私の昭和激動の日々』)。

その明は、東京六大学のうち明治大学に進学するも、すぐに中退して、プロ球団の東京セネタースに入団する。それは1936年、現在の日本野球機構(NPB)のルーツである日本職業野球連盟が結成された年のことだ。

ライター情報

近藤正高

ライター。1976年生まれ。エキレビ!では歴史・科学からドラマ・アイドルまで手広く執筆。著書に『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書)など。愛知県在住。

URL:Culture Vulture

コメント 1

  • ゲコッ!! 通報

    うわぁ~ん!!みんなスルーだよ。誰も見てないの?(私は、ゲホゲホ)ホント、無駄な受信料。元ネタ(実話)は良いんだろうけどNHKがヤると月並、民放がやれば快挙。そんな気しません?

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