「3時閉店」で時価総額トップとは…日本の銀行は既得権益にあぐ...の画像はこちら >>



「銀行は午後3時に閉まる」SNS上でこの日本流の営業時間に驚きや不満の声が広がっている。一方、三菱UFJフィナンシャル・グループは時価総額で存在感を増すなど、既得権益に守られたビジネスモデルのまま肥え太っているのが実情だ。

こうした状況を予見していたかのように、マクドナルド創業者・藤田田はかつて日本の銀行の後進性を痛烈に批判していた。生誕100年記念シリーズとして新装復刊した『殺されない社長の心得』(ベストセラーズ)より抜粋して紹介しよう。





■これからの商売に土地や設備は不要だ



 産業というと、広大な土地が必要だ、というのが従来の常識だった。自動車産業、航空機産業、○×産業……。みんな広大な場所を必要とした。



 しかし、これからは場所はいらない。ゼロに近いものでいい。せまい土地で金になる産業がたくさんある。ICとか、LSIとかがそうだ。頭脳産業と呼ばれるものがそうである。



 広大な敷地ではなく、頭が生みだすものをクリエイトしていくようなものを考えていくべきである。広大な敷地や設備がいるようなものは、発展途上国に生産を依頼すればこと足りる。

発展途上国には土地があまって開発したくてしかたがないところが多いからだ。



 土地を必要としない産業の最たるものはLSIやICである。ハードウエアは自動車や航空機に比べるときわめてわずかだが、それでも少しは土地や設備が必要になる。ところがソフトウエアでは、それこそ四畳半もあればいい。ほとんど土地も設備も不必要である。



 ソフトウエアが土地も設備もいらないという、もっともいい例がファッションの世界である。フランスの婦人服のデザインは人間が頭の中で生みだしたものであって、大きな部屋も設備もいらない。それで何十年も世界のファッション界を制圧しているのである。



 これからの日本も、そういった頭脳産業が産業の主流となるべきである。コンピューターのゲームソフトを考えて、年間に数千万から数億円の売り上げをあげている若者たちも、すでに出現している。土地や設備でかせぐ時代ではなく、これからは頭脳産業が儲かる時代なのである。





■午後3時閉店の銀行では世界に取り残される!



 資本主義が高度化してくると、金だけがひとり歩きする。

当然、金だけの商売がつぎに出現してくる。



 そんな時代にはいろうとしているのに、日本の銀行は午前9時から午後3時まで、6時間しか営業しないという。こんなバカな話はない。だいたい午前9時から午後3時までというのは、明治の初期に決められた営業時間である。その営業時間をいまだに引きついでいる、というのは時代遅れもいいところである。



 日本が夜の時間帯にはいったときに、欧米では朝であり、昼である。為替の相場は動いている。だから、日本の時間が午後11時という時間に、午前9時になったシカゴでドルが必要になるといった問題が起きている。



 そういった国際ビジネスマンの顧客のニーズに応えるには、銀行は24時間営業しなければならない。24時間やっているのはセックス産業だけという考えは時代遅れだ。資本主義が高度化すれば、銀行が率先して24時間営業をする時代がくる。きてもらわなければならない。

1日6時間しか営業しないといった殿様商売では外国と太刀打ちできなくなる。



 だいぶ前のことだが、第一銀行と勧業銀行が合併して第一勧業銀行(現・みずほ銀行)になった。そうしたら双方の銀行支店が、銀座通り支店と銀座支店になった。つまり、至近距離に支店がふたつあることになった。これはもうムダ以外のなにものでもない。



 こうした場合、ひとつをフォールセール・バンクにし、もうひとつをリーテイル・バンクにすれば問題は簡単に解決する。



 アメリカでは、法人相手に大きな資金を動かすフォールセール・バンクと小さな預金を相手にするリーテイル・バンクにはっきりと分かれている。しかも、フォールセール・バンクは通りに面したところでビジネスをする必要はないから、ビルの上のほうで支店をかまえている。高層ビルの何十階というフロアにある銀行は多い。



 ところが日本では、銀行はどういうわけか、繁華街の目抜き通りに面した1階に店舗をかまえたがる。一等地はほとんど銀行がおさえている。



 これは街にとってはなはだ迷惑至極なことである。

午後3時には店のシャッターをおろし、夜遅くまでやっている商店街の中で銀行だけが暗く、店を開いていない。



 まるで商店街の活気の足を引っぱるように、銀行のあるところだけがお通夜のようにひっそりとしている。一等地に立っている銀行は、1階を商店に貸して、2階から上にあがればいいのである。そうすれば、商店街で銀行のあるところだけがお通夜のようだというようなこともなくなる。





■「百貨店」というより「デパート」か



 銀行がネコもシャクシも繁華街の一等地を占めたがるのは、日本ではアメリカのようにフォールセール・バンクとリーテイル・バンクがはっきりと区分されていないからである。



 日本の銀行は、銀行の百貨店なのだ。いや、百貨店のつもりなのだ。



 前にいる私のほうを向いて50億円の資金の話をしたかと思うと、うしろを向いて50万円ぽっちのクルマのローンの話をしている。フォールセールもリーテイルも一緒くたなのだ。



 銀行業界、あるいは銀行の内部でも、フォールセールとリーテイルの交通整理がなされていない。それは、日本の銀行の後進性をそのまま物語っている。だいたい日本の銀行は大蔵省(現・財務省)に保護されすぎている。

日本の銀行が倒産しそうになると大蔵省はかならず助ける。だから、日本の銀行には、どうころんでも倒産はないのだ、という気持ちがある。そのために、危機感もなければ新しい発想でなにかをやろうという迫力もない。



 アメリカでは銀行の倒産は日常茶飯事である。預金者も、預金額10万ドルまでは保険で保証されているが、それ以上の預金は銀行が倒産したら返ってこないのである。そうなると、預けているほうも、預かっているほうも、真剣勝負である。



 日本の銀行は、どこもかしこも、預金の利息は一律である。各行それぞれの業績に見合って、利息をつけているのではない。



 銀行は真剣勝負で利益を争い、業績に応じてその銀行独特の利息をつけるべきである。そうやってこそ、おたがいにライバルになりうるし、独自のサービスを開発し、銀行全体のレベルアップにつながっていくものなのである。大蔵省の保護を受け、一律の利息に甘んじ、競争らしい競争もせずに、1日6時間の殿様商売に満足していたら、資本主義の発展の中で、日本の銀行だけが取り残されてしまうことになりかねない。



 資本主義はけっして後退はしない。

発展していくのだ。だから、物を動かす流通とか、広い土地が必要な産業ではなく、少人数で頭を使った効率のいいビジネスで勝負することを考えていかなければならない。





文:藤田田





《『殺されない社長の心得』より構成》

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