累計120万部!藤田田の『ユダヤの商法』(ベストセラーズ)はなぜ日本人にウケたのか?元日経新聞記者でPHP理念経営研究センター首席研究員の川上恒雄氏が著書『「ビジネス書」と日本人』(PHP研究所、2012年)で、そのコンテキスト=文脈を解きほぐす。同書より特別配信の第2弾では、藤田田の“マクドナルド以前”を考察する。

そもそも藤田田はなぜユダヤ人にシンパシーを覚えたのだろう。



※記述は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります





■「大阪弁では外交官になれない」――屈辱体験をバネに



 藤田田は、日本マクドナルドの経営に乗り出す前、ジュエリーやブランド品の輸入販売という、女性を対象としたビジネスに力を入れていた。『ユダヤの商法』に出てくる〝女〞の話題の多くは、こうした女性対象のビジネスについての話題だ。しかし、目次をみると、「女を狙え」「女も商品に変わりはない」「女は最大限に活用すべし」「金と女は同じと思え」「いつでも女と口を狙え」――といった見出しが目に入る。男性読者に、カネもうけばかりでなく女性も攻略できそうな気にさせてしまうのは、編集者・岩瀬順三の才能なのだろう。売れたはずである。



『ユダヤの商法』はしかし、女性についての本ではなく、タイトルどおり、ユダヤ商法についての本である。6部構成のこの本は順に、①これがユダヤ商法だ、②私自身のユダヤ商法、③ユダヤ商法のバックボーン、④銀座のユダヤ人語録、⑤「円」を吸うユダヤ商法、⑥ユダヤ商法とハンバーガー――と大見出しがつけられており、④を除くすべてに「ユダヤ商法」ということばが入っている。



 筆者が感じた『ユダヤの商法』の最大のウリは、ユダヤ商法についての解説というよりもむしろ、著者の藤田自身がユダヤ人とのビジネスを通して商売能力を鍛え上げ、ついには「銀座のユダヤ人」とまでよばれるようになったその実体験を語っていることである。これはとくに第2部の「私自身のユダヤ商法」に詳しい。



 それによると、大阪に生まれた藤田は少年時代、外交官になりたいと思っていた。近所に住む栗原という外交官にあこがれていたからである。

ところがある日、外交官になりたいという自分の夢を栗原に打ち明けると、「君は絶対に外交官にはなれないよ」という思わぬことばが返ってきた。ムッとする藤田に対し、栗原はその理由として、「その大阪弁がいけないんだ。外交官は大阪弁をしゃべる奴はダメだという不文律がある。東京弁じゃなきゃだめなんだ」と答えたという。



 藤田がエリート官僚養成機関たる東大法学部に進学しながらも、在学中からビジネスを始めた背景のひとつには、こうした少年時代の屈辱的な経験がある。そして、「大阪弁というどうにもならないもののために、大阪の人間はユダヤ人と同じように、生まれながらにして、差別されているのである」(同前)と述べているように、その屈辱はのちにユダヤ人に対するシンパシーへとつながっていく。





■「銀座のユダヤ人」として認知される――GHQのユダヤ人兵に商売を学ぶ



 東京大学の学生時代の1949年、藤田田は皇居前のGHQ(連合国軍総司令部)で通訳のアルバイトを始める。父を高校時代に亡くし、学費や生活費を稼ぐ必要があったからである。英語を得意としていたのは、本人いわく、外交官を志していたころ、英語を熱心に勉強したからだ。



 また、父がイギリス系企業に勤務していたこともあって、子どものころからベッドで寝ていたという洋風の家庭(ちなみに母はクリスチャン)のうえ、外国人もよく自宅に来ていたことから、英語を学びやすい環境にあった。その証拠に、藤田の長男が、藤田の育った大阪の実家を訪れた際、英語の本が500冊程度あったのをみかけている。さらに、藤田の通った大阪の北野中学には、アメリカ帰りの教師やイギリス人教師がいて、英語教育に力を入れていたという。



 こうした環境に育ち英語に強くなった藤田ではあったが、GHQで働き始めると、周囲のアメリカ軍人の話す英語がまるで理解できないことにがく然とする。自分がそれまで学習してきた英語のフレーズどおりに話す者などだれもいなかったからだ。そこで意を決し、GHQの事務室で寝泊まりし、英語のシャワーを毎日朝から晩まで浴び続けた。アメリカ軍人の会話が理解できるまで半年かかったという。



 一方、藤田は英語で苦しんだものの、GHQにいれば食料に困らなかった。飢えに苦しむ人々であふれる日本の街とは対照的に、パンやハム、チーズ、牛乳が山ほど置いてあったからだ。アメリカの力を改めて思い知らされる。



 アルバイトを続けるうち、藤田は奇妙なことに気づく。将校でもないのに、日本女性と車を乗り回し、贅沢な生活を送る兵士がいるのだ。さらに奇妙なことに、白人のアメリカ人であるにもかかわらず、GHQのなかでもとくに嫌われている。彼らはユダヤ人だった。



 それだけでなく、もっと驚くべきことを藤田は発見する。

ユダヤ人は嫌われながらも、それをさして気に留めている様子もない。なぜなら、ユダヤ人は金欠のアメリカ人向けにカネ貸しのビジネスを行い、自分たちを見下す彼らを経済的に支配していたからだ。GHQの多くの兵士はユダヤ人を嫌いながらも、ユダヤ人には頭が上がらなかったのだ。藤田はこの事実に衝撃を受ける。



《生まれながらに大阪弁という言葉のために差別されなければならなかった大阪の人間である私が、「ユダヤ人」だというだけで身に覚えのない差別をされながらも、金を持ってる奴が勝ちさ、といわんばかりに、黙々と同僚のGI(筆者注―連合国軍兵士)を金で征服していく、生命力の強いユダヤ人にひかれていった(71ページ)》



 藤田はみずからユダヤ人に近づき、やがてウィルキンソンというユダヤ人軍曹と親しくなる。そしてついに、藤田はウィルキンソンと組んで、カネ貸しのサイドビジネスを始める。その際、藤田は中国人に変装した(理由は書いていないが、GHQがアルバイトとして雇った日本人が実のところ、自分たちに対するカネ貸しであったとバレれば、まずかったからだろう)。



 それ以来、中国系の人物になりすました藤田は、ほかのユダヤ人とも組んでビジネスを行うようになり、国内にいながらにしてユダヤ商法の真髄を実践的に学ぶという機会に恵まれる。1950年には、「GHQから外貨の特別割り当てをもらい、進駐軍用の品物を輸入」するという貿易商としての仕事も始める。こうしてビジネスに自信を得た藤田は、東大を卒業すると、1951年、藤田商店を創業した。



 藤田によると当時、「世界各地で貿易の実権を握っているのは全部が全部、ユダヤ人」(76ページ)であった。日本ですでにユダヤ人ビジネスの世界でもまれていた藤田は、ユダヤ系アメリカ商人とのトラブルにもひるまず、着々と貿易商としての実績を重ねる。

その結果、各国のユダヤ商人からの信用も高まり、ついには彼らから「銀座のユダヤ人」とよばれるようになったのである。



文:川上恒雄



《『「ビジネス書」と日本人』より構成。第3回に続く》



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