1994年に開業した恵比寿ガーデンプレイスは、平成の東京を象徴する複合施設のひとつだ。時計広場で待ち合わせ、三越で買い物をして、ビヤステーション恵比寿で乾杯する。
多くの人にとって、そこは日常とは切り離された「特別な場所」だった。ところが三越もビヤステーションも、いまはもうない。それでも施設は寂れていない。むしろ業績は上がっている。その背景を、街歩きライターの杉浦圭さんがリポートする――。(前編)
■「おしゃれなデートスポット」は寂れたのか
2025年末、サッポロホールディングスは、傘下の不動産事業を外部に売却する方針を発表した。30年以上にわたって同社が保有してきた恵比寿ガーデンプレイスも、その対象に含まれる。
恵比寿ガーデンプレイスは、1994年10月、サッポロビールの恵比寿工場跡地に総事業費約2950億円を投じて開業した。平成を代表する大型複合施設であり、「おしゃれな街の、特別な場所」として多くの人の記憶に残る。
ただ、ここ数年、何度か施設に足を運ぶたびに、以前と比べてどこか活気が薄れた印象を持っていた。開業から30年を超え、平成初期から人気のデートスポットとして都心に君臨してきたガーデンプレイスにも、ついに施設として陰りが出てきたのかもしれない。
その実感が本当なのか、確かめるために現地に向かった。

取材したのは4月下旬の日曜日の昼頃。現地に着いてまず感じたのは、抱えていた「陰り」のイメージとは少し違うものだった。エコバッグを提げた近所の住民、ベビーカーを押す家族、ホームセンターでペット用品を選ぶ人々。施設にいる人の顔ぶれは、明らかに以前と変わっていた。
百貨店「恵比寿三越」は、すでに姿を消している。大型ビヤホール「ビヤステーション恵比寿」もない。看板テナントを次々に失っているのに、施設は寂れていない。空き区画は埋まり、広場は手入れされ、休日の午後にはむしろ多くの人でにぎわっている。
陰りが出てきたわけではなかったが、デートスポットとは明らかに違う光景だった。サッポロが手放す直前のこの施設は、いったいいつ、どのようにして、別の顔を手に入れたのか。
■かつては「特別な日」に行く場所だった
現状を確認する前に、恵比寿ガーデンプレイスの開業した際の様子を振り返りたい。
開業日は、1994年10月8日。
当時の顔ぶれは豪華だ。施設の中心に据えられたシャトーレストランは、フランスの名店「タイユバン」と「ジョエル・ロブション」の名を冠し、“世界初の夢のフランス料理店”とまで呼ばれた。予約は一年先まで取れないとも言われた店だ。
核テナントには百貨店の恵比寿三越。さらに、もとは工場の横で電気機関車と旧型客車を改装した車内で営業していたビヤレストランが、赤れんがづくりの大型ビヤホール「ビヤステーション恵比寿」として生まれ変わった。ウェスティンホテル東京、東京都写真美術館、映画館もそろう。
食事をして、買い物をして、映画を見て、泊まる。その全部が一カ所で完結する。恵比寿ガーデンプレイスは、日常のなかに「特別な一日」を用意する場所だった。
その象徴が、時計広場である。2005年のドラマ『花より男子』のロケ地として、ここで待ち合わせること自体が平成のデートの記号になった。開業から2023年までの累計来街者数は、推定で約3億6600万人にのぼる。

■百貨店の次に入った“意外なテナント”
では、恵比寿ガーデンプレイスはこの30年間でどう変わったのか。まずは主要な施設やテナントの変化を確認しよう。
まず、核テナントの恵比寿三越は、2021年2月28日に閉店している。その跡地は商業棟「センタープラザ」として刷新され、2022年4月に食品フロア「フーディーズガーデン」が先行開業、同年11月に全フロアがグランドオープンした。
そこに入ったのは、スーパーマーケットの「ライフ」、1885年創業の老舗「明治屋恵比寿ストアー」、ドラッグストアの「トモズ」、そしてホームセンター大手DCMが初めて手がける都市型の新業態「DCM DIY place」だ。百貨店があった場所は、食品スーパーと生活用品の売り場に、まるごと置き換わった。
名物の「ビヤステーション恵比寿」も、2021年12月30日に契約満了で閉店し、36年の歴史に幕を下ろした。跡地に2022年12月、ジャズで知られるブルーノートが新業態「ブルーノートプレイス」を開いた。200席を超える店だが、大人数の宴会をさばく大箱のビヤホールとは性格が違う。席料を払い、ライブ演奏とともに食事を楽しむ、体験と客単価を重視する業態だ。
残ったのは、高級レストランだけだった。2004年に「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」へとリニューアルし、いまもミシュランの三つ星を保ち続けている。

並べてみれば、変化は明快だ。百貨店を捨ててスーパーに、大型ビヤホールを捨てて体験型ダイニングに切り替え、三つ星フレンチだけは磨き直した。
■「広域から人を呼ぶ目的」をやめた
注意したいのは、この変化が、テナントが抜けていった成り行きの結果ではないという点だ。これは、運営会社の明確な経営判断だった。
サッポロ不動産開発の時松浩社長(当時)は2021年、日経ビジネスのインタビューで、「これからは万人受けを狙うのではなく、ターゲット層を定めた不動産運営が重要になる」と従来の広域集客戦略から脱却する計画をコロナ禍の前から議論していたと明かしている。
ほかの資料でも同様の戦略が確認できる。施設のメインターゲットを「ライフクリエイターズ」、リニューアルのコンセプトを「ライフクリエイターズ・リビング」と公式に掲げている。会社として明文化された戦略だった。「広域」でも「万人」でもなく、「近隣」と「生活」を重視したといえる。
手ごろな価格帯のライフと、高級食材を扱う明治屋。客層の異なる二つの食料品店をあえて並べたのも、ターゲットを意識した結果だと時松社長は説明する。コロナ禍でテレワークが定着し、生活圏に密着した商業施設の価値が高まったという時代認識もそこにあった。

つまり恵比寿ガーデンプレイスは、「広域から人を呼ぶ目的地」であることを、自ら降りた。衰退ではなく、戦略的な撤退だったのだ。
■「百貨店ではなくスーパー」は、正解だった
では、その戦略は、成功しているのか。取材した4月下旬の現地を、もう少し詳しく見ていきたい。正午を過ぎたあたりから、人通りが増えていく。13時を回るころには、広場やその周辺がにぎわい始めた。
センタープラザの地下に降りると、ライフのレジに買い物客の列ができていた。目を引いたのは鮮魚コーナーだ。生簀があり、魚を丸ごと捌いてもらえるコーナーまである。刺身のパックも品揃えが豊富で、スーパーの鮮魚売り場というより、専門の魚屋に近い充実ぶりだった。ここはやっぱり恵比寿だと思った。
隣の明治屋恵比寿ストアーは、客層がはっきりと違う。
60代以上の夫婦が中心で、2人分にちょうどいい量のお惣菜や、レンジで温めるだけの簡単な食品が並ぶ。ただし、その中身がいわゆる普通のスーパーとは違った。
見慣れないちょっと良いもの、北海道物産展のような棚構成。高齢者向けというより、富裕層の高齢者向けといった品揃えだった。ライフとは価格帯も客層も異なるが、どちらも「この街に住む人」を照準している。
■もっともにぎわっていたのは「子供向けイベント」
続いてTSUTAYAに入ると、本棚の約3分の1が子ども向けのコーナーになっていた。並んでいるのは知育玩具や絵本、計算ドリル、パズル。その辺の玩具屋にあるようなものではなく、いずれも値の張る教育系のアイテムが中心だ。子どもにいいものを与えたい、きちんとした教育を受けさせたいという親の意識が、棚の構成にそのまま出ていた。
向かいに入っているのもスターバックスだが、通常の店舗ではなくティーを専門とする「TEAVANA」だ。
この日、館内でもっとも人だかりができていたのは、TSUTAYA横で開催された子ども向けキャラクターイベントの特設ステージだった。子どもと母親のセットが10組ほど集まり、周囲にはベビーカーが並んでいた。広場全体の中で、人が立ち止まっていたのはここだけだった。
施設内で若い世代の姿がないわけではない。ただ、TEAVANAにカップルの姿は少なく、客のほとんどが子連れのファミリーだった。アパレルの店舗に人が入っているのも、1店舗だけ。服を見るより、食品を買いに来ている。おしゃれをして来るより、エコバッグを持って来る場所になっていた。ただし、そのエコバッグの中身は、どこにでもあるスーパーとは少し違う。
このにぎわいは、偶然のものではない。テナント側は、それぞれが明確な勝算を持って入ってきている。
■スーパーは「稼ぎ頭」になっている
このセンタープラザの新規テナントは、賑わいは経営的な視点からも評価されている。
センタープラザに入ったライフのセントラルスクエア恵比寿ガーデンプレイス店は、ライフコーポレーションが「旗艦店」と位置づけて出店した店舗だ。
同店は開業翌年に業界誌『ダイヤモンド・チェーンストア』の「ストア・オブ・ザ・イヤー2023」を受賞し、岩崎高治社長は後のインタビューで「ライフの稼ぎ頭」の一つに挙げている。「百貨店ではなくスーパーを選ぶ」判断は、テナント側の業績でも裏付けられた。
■イルミネーションのときだけ「聖地」になる
ただし、1年のうちで、恵比寿ガーデンプレイスがかつての顔を取り戻す時期がある。冬のイルミネーションだ。
開業した1994年の冬から、その演出は話題になっていた。当時のツリーはポインセチアの花でつくられたもので、その年の『東京ウォーカー』のクリスマスイルミネーション特集では、恵比寿ガーデンプレイスがトップに据えられ、ページの半分以上を割いて紹介された。
1999年からはバカラとのコラボレーションが始まり、センター広場には大きなバカラのシャンデリアが飾られるようになる。以来、雑誌のクリスマス特集で恵比寿ガーデンプレイスは毎年のように取り上げられ続けている。
この季節だけを切り取れば、恵比寿ガーデンプレイスは今も「おしゃれなデートの聖地」に見える。冬の夜にはカップルや観光客が増え、SNSにはシャンデリアを背景にした写真が並ぶ。冒頭で多くの人が思い浮かべた、あの華やかな風景は、いまもこの時期に更新され続けている。
だが、それは1年のうちのごく一部にすぎない。残りの季節に施設を支えているのは、スーパーで買い物をする人、子どもを連れた家族、犬の散歩途中に立ち寄る近隣住民たちだ。冬のイルミネーションは、この施設が「別の顔」を持つようになったことを、見えにくくしている要因のひとつなのである。
■恵比寿住民に愛される施設になっていた
冒頭の問いに戻ろう。恵比寿ガーデンプレイスに陰りが出てきたのではないか。そう思って歩いてみると、現地で見えたのは、自分の予想とは違う風景だった。
「平成のデートスポット」としての賑わいは、たしかに陰っていた。三つ星フレンチを除けば、休日の主役はもはやデート客や観光客ではなく、近隣住民である。
だが、施設そのものは、陰っていなかった。むしろ業績は上がっていた。サッポロホールディングスの不動産事業は、2024年12月期に事業利益率31.9%、グループ事業利益の26%を稼ぎ出していた
「平成の一等地」は、広域から人を引き付けるデートスポットであることをやめ、周辺住民に愛される普段使いのショッピングセンターへ、自ら姿を変えていた。
「広域から人を呼ぶ目的地」であることをやめる、というはっきりした方針の下で、百貨店をスーパーに、大型ビヤホールを体験型ダイニングにあえて性格の異なる業態に切り替えた。残したのは、業態として磨き続けられる三つ星フレンチだけだった。
■「看板テナント」を下したから大成功した
サッポロ不動産開発は、三越が撤退する前から方針転換を議論し、コーポレートサイトに新たなターゲットを「ライフクリエイターズ」と明文化していた。空き区画を抱えてから慌てて穴を埋めたのではない。まだ十分に稼げているうちに、次の姿を自ら決めていたのである。
この順番こそが、結果を分けた。看板テナントが抜けてから後追いで動いていれば、施設は一度「寂れた場所」という印象を背負っていたはずだ。だが、恵比寿ガーデンプレイスは稼げているうちに業態を入れ替えた。だからこそ空白の時期をつくらず、デート客から近隣住民へと、客層を切れ目なく乗せ替えることができた。
看板の「格」を下げることは、事業の「価値」を下げることではない。むしろ、三越やビヤステーション恵比寿という華やかな名前にしがみつくのをやめたからこそ、近隣住民が日常的に通う施設という新しい価値が立ち上がったのだ。

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杉浦 圭(すぎうら・けい)

街歩きライター

街歩きライター。街歩きを趣味とし、全国各地を巡り歩いてその街ならではの魅力を発見することをライフワークとする。旅行メディアでライターとしても活動し、旅行者の視点を交えながら、街の魅力を多角的に伝えている。

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(街歩きライター 杉浦 圭)
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