■何を聞いても一言でしか答えない
国語の教科には「文脈」や「行間」といった言葉があります。前後の文章の流れで意味を読み取ったり、直接記述されていない著者の思いや登場人物の心理を読み取ったりすることをいいます。人間は、経験や常識と照らしあわせて情緒力や想像力を駆使するからこそ、それができるのです。
対面のコミュニケーションでも同じです。相手と話をする際は、直接語られない言外の意味を察したり、表情やニュアンスから真意を悟ったりしなければなりません。
そこでは、文脈や行間を読み解くのと同じ力が必要とされ、それこそが人間がAIより秀でている点といわれています。
ところが、学校の先生たちによれば、最近はそれが不得意な子が明らかに増えてきているというのです。
愛知県の中学に勤める女性教員は次のように言います。
最近の子たちは、なんでも一言で表現しようとします。教員に部活の試合の結果について尋ねられても「まあまあ」と答えたり、傘を持ってきたのかと尋ねられても「大丈夫です」と答えたりする。これでは教員は、どういうことなのかぜんぜん見当がつかない。
■「面接どうだった?」に「女でした」
この先生が教えてくれた例が次の通りです。
例1 修飾語であることに気づかない
クラスメイトの作文に「山頂から見た夜景は、震えるほど美しかった」とあった。これを読んだ生徒は、書いた人が高所恐怖症なのだと思った。
理由:「震えるほど」を美しさの程度を表す修飾語だと捉えられず、「怖くて震えた」と受け取った。
例2 状況と意図を読めないケース
受験から帰って来た生徒に対して、先生が「入試の面接はどうだった?」と聞いたところ、その生徒は「女でした」と答えた。理由:何を意図して質問されたのかを考えられないので、面接の結果ではなく、面接官の性別を尋ねられていると勘違いした。
例3 会話の流れを読み取れない
授業中に先生が「顔色が悪いな。帰ってもいいからな」と言ったところ、生徒は怒られたと思って泣きだした。理由:「顔色が悪い」「帰ってもいい」の二つの言葉を相手の意図通りにつなげられないので、「顔色が悪い奴は帰れ」と言われたと思った。
■短文テキストに慣れすぎてしまった弊害
なぜ、こういう誤解が生じるのでしょう。
LINEなどでは一行、もしくは単語でメッセージを伝えるのが一般的です。次のようなやりとりです。
当人たちにしてみれば、LINEの中ではこれで成り立っているのでしょう。しかし、相手との対面の会話はまた別物です。
LINEでの単語や短いやりとりは、「短文テキストコミュニケーション」といいます。
これがコミュニケーションの主流になってしまえば、会話の流れの中で発言を読み取ったり、相手の質問の意図を察したりするのが苦手になるのは仕方のないことです。
昔もこういう子たちは一定数おり、「天然」とか「KY」と呼ばれていました。しかし、いまの社会では、こうした子どもたちが犯罪をはじめとした危険なことに巻き込まれるリスクが高まっています。
■「おけです」で闇バイトを引き受けてしまう
実際にあった闇バイトの勧誘のLINEでのやりとりが次の通りです。
これを見ると、極端に短縮された言葉の中で、被害者がいとも簡単に犯罪に巻き込まれるプロセスがわかるでしょう。
対面での会話なら、バイトの内容をくわしく聞いたり、報酬が高い理由を確認したりします。
ところが、SNSの単語や短文でのコミュニケーションでは、そうした情報が省かれてしまうので、細かなことが伝わらないまま交渉が成立してしまう。ゲームのチャットなどを介した児童ポルノの要求なども似たような手口で行なわれます。
仮に子ども時代に犯罪に巻き込まれなくても、このようなやりとりしかしてこなかった子たちは、〈ことばの力〉が育っていません。そうなれば、成人して社会に出たとき、さまざまなシーンでつまずくのは目に見えています。
そういう意味において、細かな言葉で文脈や状況を理解するというのは、文章を読むだけでなく、日常生活を過ごす上でも不可欠なことなのです。
■自分が何に困っているかわからない
三つ目に取り上げるのが、自分の困りごとを言語化できない子どもたちについてです。
勉強でもスポーツでも、人は壁にぶつかることが多々あります。このときに必要なのは、言葉で自己分析して原因を明確にすることです。それができなければ、解決策は見つかりません。しかし、最近はそういう子がとても目立つそうです。
不登校を例に考えましょう。
ある日を境に、子どもがピタリと学校へ行かなくなりました。親が心配してどうしたのかと尋ねます。子どもはこう答えます。
「学校に行きたくない」
親はその理由を尋ねます。しかし、いまの子どもの多くはこう答えます。
「わかんない……。なんか無理……」
親にしてみれば、子どもが学校へ行けない原因をきちんと伝えてくれれば、いくらでも支援のしようがあります。
いじめられているなら、加害児に注意する。先生の態度が怖いのなら、改善してもらう。授業がわからないなら、塾へ行かせる。
しかし、子どもから「わからない」「なんとなく」と言われてしまえば、親だけでなく、先生ですら手の打ちようがありません。
■不登校の理由が30年で大きく変わった
実は、こういう子どもが年々増えているのです。
それを象徴するのが不登校の理由です。
30年くらい前は、不登校の理由の多くは「いじめ」「友人関係」「教員関係」など明確なものでした。しかし近年の文部科学省の統計では図のように約半分が「無気力・不安」となっています。
子どもが自分の困りごとを言語化できないのは、不登校に限ったことではありません。長野県の中学校に勤める男性教員は次のように話します。
いまの子は「困った」というところまでは言うんですが、その先のこと、つまり何がどう困っているのかを分析できないんです。
たとえば宿題を忘れた子がいて、その理由を聞きますよね。すると、「やろうとしたんだけど、気がついたらできていなかった」って言うんです。難しいのかと聞くと「別に」と言うし、忙しいのかと聞くと「暇」と言う。できなかった理由がわかっていないので対策の施しようがないのです。
部活も同じです。いきなり辞めたいと言いだすので理由を聞くと、「楽しいけど、なんかキツイ」って言うのです。
最近の教育現場では、教員は生徒としっかり話しあって一緒になって問題解決することが求められています。しかし、こういう子どもたちの問題は、我々が何かしてあげたくてもできないというのが正直なところです。
■「そっとしておこう」では解決しない
どうしてこのようなことが起きてしまうのでしょう。理由を一言で表せば、自分の現状を言葉で分析できていないからです。
これまで何度も述べてきたように、〈ことばの力〉には、自分自身を言葉で把握する力も含まれています。どういう状況に自分は置かれているのか、その中で自分は何に困っているのか。それを言葉で正しく自覚できるからこそ、問題を自己解決できたり、他人にSOSを出したりすることができるのです。
逆にそれができなければ、自分でもどうしていいかわからないし、ましてや他人に説明することなどできません。まわりの人にしても、手の差し伸べようがない。
そのようなとき、まわりの大人たちが仕方なく発するのが次のようなセリフです。
「回復するまで、そっとしておいてあげよう」
たしかにパニックになっているときは、そっとしておくのが正解でしょう。
しかし、原因が〈ことばの力〉にあるケースでは、いつまで経っても、子どもは苦しい状況に置かれつづけることになります。〈ことばの力〉が乏しい子は、そうした負のスパイラルに陥る可能性が高いのです。
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石井 光太(いしい・こうた)
ノンフィクション作家
1977年東京生まれ。作家。国内外の貧困、災害、事件などをテーマに取材・執筆活動をおこなう。著書に『物乞う仏陀』(文春文庫)、『神の棄てた裸体 イスラームの夜を歩く』『遺体 震災、津波の果てに』(いずれも新潮文庫)など多数。2021年『こどもホスピスの奇跡』(新潮社)で新潮ドキュメント賞を受賞。
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(ノンフィクション作家 石井 光太)

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