■「日経平均7万円超え」が示す不穏な空気
6月19日、政府がフィジカルAI分野に対し、2040年度までに10.5兆円を投じる方針を固めたというニュースが駆け巡った。日本経済新聞によると、成長戦略17分野のなかでも「目玉事業」として、米中に並ぶ第3極、世界シェア3割超、20兆円の市場獲得を目標に掲げた。
その前日の6月18日、日経平均株価は終値で初の7万円台に到達していた(7万1053円、前日比+1151円)。日経新聞が「日本版M7」と呼んだ、時価総額増加幅の半分超を占める7社――キオクシアHD、ソフトバンクグループ、東京エレクトロン、村田製作所、アドバンテスト、日立製作所、信越化学工業――が市場を牽引していた。
2日間で、市場と国家が同時に動いた。日本がデジタル敗戦から「フィジカル覇権」へと舵を切る、決定的な瞬間である。
ただし、ここで立ち止まる必要がある。「日本版M7」は祝祭でもあれば、警鐘でもある。時価総額増加幅の半分超が7社に集中する構造は、市場の偏りでもある。
私は2026年5月、拙著『フィジカルAIの衝撃』(朝日新聞出版)で、フィジカルAIの産業構造と日本企業の主戦場を論じた。本書刊行からわずか1カ月後の歴史的2日間となったが、本稿では本書で扱った構造を踏まえ、経営者・投資家が読み誤ってはならない論点を5つに絞って提示したい。
■戦略軸①「日本版M7」が示すもの
「日本版M7」の7社を改めて見てほしい。
キオクシアHD、ソフトバンクグループ、東京エレクトロン、村田製作所、アドバンテスト、日立製作所、信越化学工業。
なぜ、この7社なのか。トヨタでもソニーでもファナックでもなく、この7社なのか。
答えは、本書で論じた「大地・OS・身体」の3層構造で読むと、瞬時に見える。
7社のうち5社――キオクシアHD、東京エレクトロン、村田製作所、アドバンテスト、信越化学工業――は、本書で「大地」と呼んだ層に位置する。半導体、半導体製造装置、電子部品、半導体材料、半導体検査装置。フィジカルAIが立ち上がるための土壌・栄養そのものだ。
残る2社、ソフトバンクグループと日立製作所は、本書で「OS」と呼んだ層に位置する。AI戦略の中枢を握り、データセンター・社会インフラのデジタル化を担う。
市場はすでに気づいている。フィジカルAI時代の真の主役は、「身体」を作る企業ではなく、その土壌を提供する「大地」と、現場を統合する「OS」を握る企業であることを。
キオクシア1社で、東証プライム3月期企業の増益幅(7兆円超)の6割を生み出す見通しだ。村田製作所は1日で18.3%上昇、上場来高値を更新した。これは投機ではない。産業構造の地殻変動を、市場が織り込み始めた動きである。
そして、ここに決定的な事実がある。「日本版M7」には、本書の3層構造のうち「身体」層の企業が、ほとんど入っていない。
■戦略軸②:10.5兆円の投資先はどこか?
市場が「大地」と「OS」を買っているなか、政府が10.5兆円を投じるのは、どの層か。
答えは明確だ。
政府方針の政策パッケージを読み解くと、その意図が浮かび上がる。「多用途ロボットOEM(相手先ブランド名製造)の育成推進」「重要コンポーネント(アクチュエーター、モーター、減速機、蓄電池等)の設計・製造能力強化」――いずれも本書の「身体」層の核心への投資だ。
さらに、AIロボット協会(AIRoA、理事長:早稲田大学・尾形哲也教授)が2027年6月にオープンソース公開する国産ロボット基盤モデルは、「OS」と「身体」を結合する基盤である。トヨタ、KDDI、NECなどが正会員(年会費1000万円)として参画している。
構造はこうだ。市場が「大地」と「OS」を買い、政府が「身体」層と「OS-身体結合」に資金を流し込む。市場と政策が、層ごとに分担して日本の産業地図を完成させようとしている。
これは偶然ではない。2040年に60兆円規模となるAIロボット世界市場で、最終的に価値を生み出すのは「身体」層である。「大地」と「OS」がいくら充実しても、「身体」が現実世界で動かなければ、フィジカルAIは絵に描いた餅で終わる。
本書で論じた通り、「身体」層は4つの機能に分解される。
経営者・投資家が次に問うべきは、これら「身体」層の企業群が、いつ市場の主役になるかである。
■戦略軸③:量の中国、脳の米国、では日本は?
政府は「米中に並ぶ第3極として世界シェア3割超」を掲げる。しかし、この目標の現実性を冷徹に見極める必要がある。
スタンフォード大学Human-Centered AI研究所(HAI)が2026年4月に発表した『AI Index 2026』によれば、米中のAIモデル性能格差は、2023年5月時点の17.5~31.6ポイントから、2026年3月時点でわずか2.7%にまで縮小した。米国のAI投資2858億ドルは中国の124億ドルの23倍。にもかかわらず、性能差は実質ゼロになった。
そして、産業ロボット導入では中国が米国の9倍の速度で進んでいる。
中国EV最大手BYDの王伝福CEOは、こう喝破した。
「フィジカルAIとは、知能より先に身体を制御した者が勝つゲームである」
中国は、ドローンやEVの量産によって身体制御技術を磨き上げ、その上に自律知能を搭載する戦略を採っている。ヒューマノイド出荷でも、中国は世界の90%を占める。
中国は量で勝つ。米国は脳で勝つ。では、日本は何で勝つのか。
本書で論じた答えは、「世界が真似できない統合層」である。半導体製造装置、電子部品、半導体材料、検査装置、データセンター運用――これらを束ねた集積。量でも脳でもなく、「層の厚み」で勝負する戦略である。
そして、世界はすでに日本を選び始めている。
ただし、油断はできない。中国の現場データ蓄積は、いまも毎日積み上がっている。日本が量で勝つのは不可能だ。だからこそ、「質的に異なる現場」を作るしかない。
■戦略軸④:「身体」と「OS」を結合せよ
日本企業の歴史的敗戦パターンは明確である。
高品質な部品や単体ロボット(身体)を供給することには成功したが、それらを束ねてデータとオペレーションを一元管理する「プラットフォームOS」を海外勢に牛耳られ、マージンの低い下請けへと転落してきた。半導体、家電、PC、スマートフォン――同じ構造で、日本は何度も敗北を喫してきた。
この構造を、フィジカルAI時代に3度繰り返してはならない。
日本企業に求められるのは、自前主義を捨てる勇気である。エヌビディアやテスラなどの汎用AIモデルを否定するのではなく、その上に自社の運用知を積み上げ、「特化身体×特化OS」を構築する。
身体だけ供給する者は、サプライチェーンの一部で終わる。OSを握る者が、現場の支配権と長期収益を握る。身体設計とOS設計の結合こそ、日本企業の勝ち筋である。
では、経営者は明日の経営会議で、何を議論すべきか。
■「下請け転落」を3度繰り返さないために
第1の論点は、自社のデータをどう扱うかである。3つに分類することから始める。①競合の追従を許す再現性の高いデータは、業界全体で共有する方が自社の利益にもなる。②自社固有の運用ノウハウが反映された判断データは、絶対に渡してはならない戦略資産だ。③業界全体の標準化に貢献するデータは、共有することで業界全体の競争力を底上げできる。この3分類を、自社の現場データに当てはめてみる。
第2の論点は、汎用基盤モデル(AIRoA、エヌビディアIsaac Sim、各種オープンソース)の上に積み上げる「自社固有の運用知」は何かである。汎用モデルでは決して再現できない、自社の現場でしか取得できないデータ、判断、調整、最適化――これを特定し、戦略資産として定義する。
第3の論点は、業界横断の連携体(AIRoA、業界団体、コンソーシアム)にどう関与するかである。中核に入るのか、情報を取りに行く位置にとどまるのか、独自路線を歩むのか。この判断は、自社の戦略的ポジショニングを決める。
これらの問いに答えられない経営者は、フィジカルAI時代の主体ではなく、客体になる。10.5兆円の投資が動き始めた今、答えを先延ばしにする余裕はない。
■戦略軸⑤:政府方針に「ない」、日本の勝ち筋
ここまでは、市場と政府の動きを中心に論じてきた。しかし、本稿で最も伝えたいのは、ここからである。
政府方針には書かれていないが、日本の勝ち筋に決定的な領域がある。
政府の10.5兆円は、製造、物流、建設、介護、医療――「人手不足が深刻な分野の現場工程をAIとロボットで代替する」ことに主眼を置いている。これは正しい。しかし、フィジカルAIの真の到達点は、これらの先にある。
それは、「人間の身体との融合」である。
フィジカルAIは、最終的に「身体の外で動くロボット」から、「身体に組み込まれるテクノロジー」へと進化する。装着型サイボーグ、ロボット支援医療、再生医療と精密制御の融合、神経接続インターフェース、身体機能の補完・拡張――この領域こそ、日本が持つ精密制御技術、医療技術、安全性確保のノウハウが、すべて同時に活きる戦場である。
そして、この領域には、すでに日本企業が存在している。装着型サイボーグを開発するサイバーダインは、2026年3月期第2四半期において、国内外の15社からの引き合いに対応している。テルモは医療機器の世界トップクラスとして、ロボット支援医療と精密制御の融合領域を切り開きつつある。
■日本が主役となるための唯一の道
この領域では、世界で日本だけが先行できる。なぜなら、米国は規制と訴訟リスクで医療への踏み込みが遅く、中国は安全性と倫理面で欧米市場に受け入れられにくい。日本だけが、「安全な人機融合」を信頼性とともに世界に提供できる。
2030年代、2040年代の主役は、この「人につなげる」層の企業群になる可能性が極めて高い。
10.5兆円の使い道について、具体的な「選択と集中」を4つ提案したい。
第1に、製造現場データの主権的確保。秘匿性の高い一次データを国外に出さずに学習させる仕組み(AIRoAの基盤モデルとデータプラットフォーム)に、最優先で資金を投じるべきだ。
第2に、多用途ロボットOEMの育成。日本は産業用ロボットで世界シェア約7割を誇るが、サービスロボット市場では1割強にとどまる。この差を埋めるための量産能力強化が必要だ。
第3に、重要コンポーネントの国内サプライチェーン強化。アクチュエーター、モーター、減速機、蓄電池――これらを失えば、日本の構造的優位は瓦解する。
第4に、そして最も重要なのが、人機融合領域への先行投資である。10.5兆円のなかから、少なくとも1兆円規模をこの領域に集中投下する戦略を、いま設計すべきだ。これが、日本が2040年代の主役となるための、唯一の道である。
■10.5兆円は、日本最後の好機かもしれない
フィジカルAIは10年単位の構造変化である。2026年6月18日、市場が動いた。翌6月19日、国家が動いた。
では、次は――いつ、誰が、何を動かすのか。
答えは、明日からの経営者・投資家・政策決定者の意思決定にかかっている。市場が「大地」と「OS」を買い、政府が「身体」層に資金を流し込む。この2つの動きが連動した今、次に動くべきは、経営者である。
世界の戦場は、生成AIからフィジカルAIへ移った。米国は「脳」を握り、中国は「規模」を握る。日本が握るのは、「人工知能が現実世界に触れる瞬間の全工程」である。
10.5兆円は、日本にとって最後の好機かもしれない。半導体で敗れ、家電で敗れ、PCで敗れ、スマートフォンで敗れ、生成AIで敗れた日本が、フィジカルAIで再び敗れたら――日本の製造業の歴史的優位は、もはや回復不可能になる。
しかし、ここで勝てば――日本は21世紀の産業設計国として、世界の中心に戻ることができる。
フィジカルAIは、産業の話ではない。日本という国が、もう一度、世界の設計者になれるかどうかの話である。
『フィジカルAIの衝撃』で私が描いた未来は、すでに始まっている。
設計国になるか、実装国で終わるか――その分岐は2030年ではなく、いま、この瞬間の意思決定にある。
----------
田中 道昭(たなか・みちあき)
日本工業大学大学院技術経営研究科教授、戦略コンサルタント
専門は企業・産業・技術・金融・経済・国際関係等の戦略分析。日米欧の金融機関にも長年勤務。主な著作に『GAFA×BATH』『2025年のデジタル資本主義』など。シカゴ大学MBA。テレビ東京WBSコメンテーター。テレビ朝日ワイドスクランブル月曜レギュラーコメンテーター。公正取引委員会独禁法懇話会メンバーなども兼務している。
----------
(日本工業大学大学院技術経営研究科教授、戦略コンサルタント 田中 道昭)

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
