フランスで急速に支持を拡大している政党がある。2024年の欧州議会選挙では得票率31.37%を獲得し、マクロン大統領率いる与党連合(14.6%)を圧勝した。
日本のメディアでは「極右」と紹介されることが多いが、本当に「極右」と呼ぶに値するのか。郵便学者の内藤陽介さんの著書『世界の右翼』(ワニブックス)から一部を紹介する――。(第1回)
※本稿は、内藤陽介『世界の右翼』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。
■フランスで「極右」と呼ばれる政党の実態
フランスでは近年、右派勢力が大きく躍進しており、移民問題や治安不安、マクロン政権への不満を背景に支持を拡大し、大統領選挙の有力候補にもなっている――そういう話題をニュース等で見聞きした人も多いのではないでしょうか。
その右派勢力の中心にいるのが、メディアで「極右」と紹介されることの多い「国民連合(RN:Rassemblement National)」という政党です。
国民連合は、2024年6月の欧州議会選挙では、得票率31.37%でエマニュエル・マクロン大統領率いる与党連合(得票率14.6%)に圧勝。欧州議会におけるフランスの定数全81議席中30議席を獲得して、フランス最大勢力となりました。
この結果を受けて、フランスではマクロン大統領が議会下院を解散し、国民議会選挙が同年6月30日(第1回)、7月7日(第2回)に実施されましたが、そこでも国民連合は議席を54議席も増やす大躍進を果たしています。左派連合188議席、与党連合161議席に続く142議席を獲得して第三勢力となったのです。
ところで、メディアでは「極右」扱いされることの多い国民連合ですが、その評価は妥当なのでしょうか。
私の結論から先に言えば、彼らはせいぜい「急進的な右派」です。むしろ彼らを無批判に「極右」と呼ぶことは、実像を見誤らせる「ミスリーディングな行為」だと思っています。
意外かもしれませんが、実はあの朝日新聞も最近では国民連合を「極右」と表現するのを避け、「右派」や「右翼」あるいは「極右の流れを汲む右翼」などと表記するケースが増えているのです。
■そもそも、「極右」とは何か
では、なぜ国民連合は「極右」と呼ばれながらも、多くのフランス国民から支持されているのでしょうか。
まずは、そもそも国民連合がどういう政党なのか、その成り立ちから確認していきましょう。
はじめに、フランスにおいて「極右」の定義はどうなっているか、という厄介な問題について少し整理しておきましょう。
現実の大手メディアの報道では、国民連合(RN)など彼らの気に入らない相手に対する罵倒(ばとう)語として「極右」というレッテルが使われることが大半なのですが、とりあえず、過去の経歴や個人の思想信条は別にして、純粋に政策上の理由から特定の政治勢力が「極右」と認定される最大の基準は、フランス憲法が最も重視する概念の一つである「法の下の平等(普遍主義)」を認めるか否かということがあります。
すなわち、「不法移民の即時送還」「入国管理の厳格化」などは、主権国家の正当な権利として“正統派の保守/右派”の範疇(はんちゅう)に含まれる主張と見なされますが、住宅手当や家族手当などの社会保障、あるいは雇用において、「国籍のみを理由に」法的権利に差をつけるという主張や政策は、フランス共和制の前提である「普遍主義」を否定するものとして「極右」認定されることになります(この点では、日本でも日本国憲法の第9条は一切変更してはならない金科玉条であり、改憲論者は「極右」であると切り捨てられていた時代がありましたが、そのイメージと近いものがあるかもしれません)。
■「外国人の権利制限」は保守か人権侵害か
ただし、国民国家の国民が同じ国籍を有する同胞を優先したいと考えるのはごく自然な感情ですから、外国人に対する権利制限の主張を「国家のアイデンティティを守る正当な行動(=正統派の保守)」と見るか、「基本的人権の侵害(=極右)」と見るかは、フランス国内、特に保守派の間でも議論が分かれる微妙な論点です。
もっとも、こうした基準とは別に、かつての国民連合は、確かに、多くの人の「極右」イメージに合致する政党だったことも事実です。
国民連合の歴史は1972年にジャン=マリー・ル・ペンが、イタリアで旧イタリア社会共和国(1943年7月から1945年4月まで、ムッソリーニがイタリア北部に樹立した親独傀儡(かいらい)政権)の関係者や支持者が結成した組織「イタリア社会運動」の影響を受けて、前身の組織「国民戦線(FN:Front national)」を結成したことに始まります。
1970年代初頭、特に国民戦線が生まれた1972年のフランスは、政治的にはド・ゴールの後継者であるポンピドゥーを大統領とする保守安定政権の時代でしたが、社会全体の空気としては1968年の「五月危機(メイ・レボリューション)」の余韻が強く残っており、マルクス主義、トロツキズム、毛沢東主義、アナーキズムなどの急進的左翼思想が知識人や大学生の間で広く支持されていました。
■国民連合が誕生した背景
特に、中国の文化大革命の影響は大きく、「禁止することを禁止する」といったスローガンに代表される、セクシュアリティ、教育、家族のあり方など、日常生活における変革を求める運動が活発で、サルトル、フーコー、ドゥルーズ、バルトなどの著名な哲学者や作家が極左的な運動への支持を公言していました。
また、左派系野党の社会党(フランソワ・ミッテラン)と共産党が「共同綱領」に署名し、強力な左翼連合が結成されたのも1972年です(ちなみに、これが1981年のミッテラン政権誕生につながります)。

こうした社会状況に危機感を抱いたジャン=マリーが国民戦線を結成すると、社会的に肩身の狭い思いをしていた急進右派の人々が党員として集まり始めます。こうして、国民戦線は、アルジェリア戦争でフランスの植民地維持を訴えた人々の生き残りや、親ナチス的な(多くの人がそう認める)極右活動家、王党派、カトリック伝統主義者など、政治的に行き場を失っていた右派勢力の寄せ集め集団としてスタートします。したがって、当初の彼らは得票率わずか0.5%から1%程度の泡沫政党であり、メディアからもほとんど無視されていました。
■極右の象徴ジャン=マリーの正体
創設者のジャン=マリーは、フランス政治における極右の象徴的存在です。1928年にブルターニュ地方で生まれ、若くして軍務に就きインドシナ戦争や中東戦争、アルジェリア戦争への従軍も経験しています。その後、政治の世界に入り、1956年に国民議会議員に初当選しました。
1972年に国民戦線を結成してからは、党首として「普遍主義」を公然と批判し(この時点で、フランスにおける「極右」の定義と合致します)移民排斥や治安強化、強いナショナリズムを掲げて精力的に活動。彼の政治スタイルは挑発的で、しばしば反ユダヤ的発言や差別的言動によって国内外から激しい批判を浴びましたが、同時にフランス社会における移民問題や文化的アイデンティティの議論を政治の中心に押し上げる役割を果たしました。
■炎上商法でのし上がった政治家
彼の挑発的な性格を象徴するものとしては、1987年にホロコーストを「第二次世界大戦の歴史における些細(ささい)なこと」とした発言があります。当然、これは国内外から激しい非難を浴び、裁判で有罪判決まで受けたため、党のイメージを大きく損なう結果となりました。しかし、彼自身は「言論の自由」として譲らず、対立を恐れない姿勢を貫き、その後も同様の発言を繰り返しています。
このように、彼は常に「物議を醸(かも)すことで存在感を示す」タイプの政治家でした。
今日でいうところのいわゆる「炎上商法」です。
その他にも、第二次世界大戦中のナチスによるフランス北半分の占領は「特に非人道的ではない」と主張したり、アフリカからの移民がフランスを「沈没させる」と警告したりするなど、「あえてリベラルな空気の強いフランス社会の“常識”に異議申し立てをする」スタイルでコアな支持を拡大していきました。

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内藤 陽介(ないとう・ようすけ)

郵便学者

1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し、研究著作活動を続けている。主な著書に『なぜイスラムはアメリカを憎むのか』(ダイヤモンド社)、『中東の誕生』(竹内書店新社)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)、『切手と戦争』(新潮新書)、『反米の世界史』(講談社現代新書)、『世界はいつでも不安定―国際ニュースの正しい読み方』『今日も世界は迷走中―国際問題のまともな読み方』(いずれも、ワニブックス)などがある。文化放送「おはよう寺ちゃん」コメンテーターのほか、インターネット放送「チャンネルくらら」のレギュラー番組「内藤陽介の世界を読む」など配信中。また、2022年より、オンライン・サロン「内藤総研」を開設、原則毎日配信のメルマガ、動画配信など、精力的に活動中。日本文芸家協会会員。

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(郵便学者 内藤 陽介)
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