夏休みは、すべての子どもにとって楽しい季節とは限らない。学校給食がなくなると、家庭の食費と親の負担は一気に重くなる。
大阪府豊中市の路地裏にある総菜店「ごはん処おかえり」には、そんな時期に食事と居場所を求める親子がたどり着く。店では20歳以下の子どもはいつでも無料、18時半以降は大人も含めて無料で食事を提供している。なぜ、この小さな総菜店に人が集まるのか。「給食のない夏休み」に浮かび上がる日本の貧困を、インタビューライターの池田アユリさんがリポートする――。(前編)
■「給食がない40日間」に親子は追い詰められる
阪急電鉄・庄内駅から歩いて5分。下町の路地裏に、お世辞にもきれいとは言い難い狭いL字型の総菜店がある。店名は「ごはん処おかえり」。
一見、どこにでもある小さな店だが、一歩足を踏み入れると商売の常識を覆す光景が広がっている。並ぶ総菜は全品100円。それどころか「20歳以下の子どもはいつでも無料」、さらに「18時半以降は大人も含めてすべて無料」なのだ。このわずか数坪の空間に、人々が次々と押し寄せる。
この店に人が殺到する理由は、単に「安いから」ではない。
ここは、制度や社会の網目からこぼれ落ちた人々がたどり着く場所なのだ。
データが示す現実は重い。厚生労働省のデータ(2021年)によれば、日本の子どもの貧困率は11.5%。さらに、ひとり親世帯に限定すると44.5%――実におよそ2人に1人が生活困窮に喘いでいる。
そして、学校給食が途絶える夏休みには、事態はさらに悪化する。支援団体「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」が2024年に実施した調査では、夏休み中に「1日2食以下」しか食べられていないひとり親家庭の子どもが、実に41%に達していると発表した。
これが、日本の「夏休みの現実」だ。
なぜ、行政の手が届かない隙間で、これほど多くの親子が飢えと孤立に追い詰められているのか。この小さな食堂はなぜ、利益なしで彼らを救い続けられるのか。利用者から「おかん」と呼ばれる店主のいる現場で、日本の貧困の最前線をレポートする。
■ホワイトボードに記された“SOS”
6月某日、「ごはん処おかえり」を訪れた。出迎えてくれたのは店主の上野敏子さん。
誕生日を迎えたばかりの58歳、通称「おかん」だ。
2019年から任意団体としてこの店を運営する上野さんは、毎朝5時に店に入り、仕込みを始める。8時過ぎに、上野さんの母とボランティアのスタッフが手伝いにやって来る。同店は5名体制で月・水・金に営業している。
訪れたのはお昼過ぎ、そこへ高齢の男性客がふらりとやってきた。ボランティアスタッフの女性が「あら、○○さん」と声をかける。常連客のようで「今日の弁当は、何?」「ほな、それもらうわ」と総菜とおにぎりなど4パックを買っていった。間髪入れずに、他の客が訪れる。それが何度も続いた。
スタッフが持っていた来店者数のカウンターを見ると、開店時間からわずか3時間で70人が来店していた。先週の金曜日に至っては、1日で130人がこの店を訪れたという。
ホワイトボードには、色分けされた「正」の字が並んでいる。
緑色は「子どもたち」。そして、紫色は「無償で支援が必要な大人」を意味しているという。
その数字からは、社会の片隅でSOSを出せず、じわじわと追い詰められている人のリアルがうかがえた。
■親子と向き合う「足跡帳」
夕方になると、学校帰りの子どもたちが無料の総菜とお菓子を求めて、賑やかな笑い声とともに店に入ってきた。
奥のテーブルには「足あと帳」と呼ばれるノートが置かれている。女の子の集団が、そのノートに書き出した。上野さんは、「子どもらは集団で来るし、とても全員は覚えられへんから書いてもらってる」と言う。
日付と学校名と名前を書き終わると、袋詰めされた駄菓子やチューペット、総菜を、まるで自分の家から持ち出すように手にしていく。初めて友達を連れてきたのだろうか、小学校低学年くらいの女の子が後ろの子に「ここに書いて、お菓子をもらうんだよ」と説明していた。
実は記帳させるのは、上野さんが子どもたちを管理したいからではなかった。子どもたちの親に、少しでも向き合いたいという思いがあるのだ。
「子どもって、遊びに行ってなかなか帰ってこないことってあるでしょ。
心配した親から『今日うちの子、行ってますか?』って電話がかかってくることがあるんです。その時に、このノートを見れば、誰と一緒に来ているかがわかる。子どもたちの足跡を辿る目印になる」
■無料弁当に親子が集まった「まぜこぜ食堂」
無条件にすべての子どものお腹を満たす「学校給食」。しかし、夏休みや年明けといった長期休暇に入ると、この安全網が途絶える期間に突入する。行政からの代替となる直接的な食の支援は、今のところ整っていない。その結果、親の経済状況や家庭の歪みが、「子どもの飢え」としてダイレクトに表れてしまうのだ。
こういった行政の制度が届かない隙間を埋めるため、上野さんは4年にわたり、ある活動を続けている。
夏休みの給食がない約1カ月間、豊中市と連携する公民学連携事業として「まぜこぜ食堂」という誰もが利用できる「無料の弁当配布会」を開いている。
自治体の市民センターで開催し、去年は3500人もの人々が訪れた。合計3760食(大人1583食、子ども2177食)のお弁当を無料で配布。利用者数は初日の95人から、最終日には213人へと約2.2倍に急増した。店の営業をしながら上野さんは、頻繁に訪れる親子に話しかけ、「困っていることはないだろうか」とつぶさに観察した。

■言葉にならない親たちの声
このイベントで実施したアンケートで、特に目立ったのは未就学児のいる家庭のSOSだ。
「ゆっくりお風呂に入りたい」

「眠りたい」

「少しの間だけ、子どもを見ていてほしい」

「誰かと話したい」
言葉にならない親たちの声の数々だった。
未就学児を育てる筆者も今、痛いほど理解できた。日々の生活を維持するために、親たちは心身をすり減らす。毎日の食事づくりに頭を抱える。子どもの成長に一喜一憂し、将来の養育費を心配する……。そういった中で、余裕を失っていくのだ。まるで、手錠をはめられて生きているような息苦しさ。これらの言葉の端々からは、経済的な困窮だけでなく「心の困窮」が浮き彫りになった。
なぜ、こんなにも親たちは心をすり減らさなければならないのか。なぜ親たちの苦しみを、大阪にいる総菜店の「おかん」のような民間が担う社会なのか。上野さん自身も、困惑の中にいる。

今年の「まぜこぜ食堂」は、7月20日から8月22日(11時半~14時)まで「庄内コラボセンター会議室」にて行われ、無料の弁当を配布する予定だ。
■なぜ公的支援だけではダメなのか
日本には「生活保護」という公的扶助制度が存在するはずである。だが、現実にはそのセーフティーネットは十分に機能していない。生活保護を受ける資格がある人のうち、実際に受給している人の割合は、日本ではわずか20%~30%程度にとどまっている。
複雑で分かりにくい申請手続きや、窓口での実質的な申請拒否といった行政の対応、そして何より「生活保護を受けることは恥である」「怠け者」という社会的な偏見により、本当に支援が必要な困窮世帯が制度からこぼれ落ちていると、上野さんは指摘する。
行き場を失った親子たちは、最後の手段として民間が運営するこうした食堂や配布会へと辿り着く。行政のセーフティーネットが届かない領域を、この小さな食堂がかろうじて埋めているのだ。
行政側も、この状況を重く受け止めている。時には「食事が足りない世帯に分けるための食料を提供してほしい」と、行政窓口から上野さんの元へ直接相談が持ち込まれることすらあるという。
「大きな変化を求めなければならない時は、昔から活動を応援してくれている市長にLINEで直談判することもあるよ」と上野さんは笑う。
行政担当者や市長までもが、いち個人として上野さんを信頼し、「食のセーフティネット」としてこの店を公的に位置づけている現状がある。それが、この国の貧困対策の現在地なのだ。
■心にトラウマを抱えた人の居場所
支援を必要としているのは、経済的な困窮者だけではない。見た目はとても裕福そうに見えても、実は複雑な事情を抱える人もこの店にやってくる。
上野さんは、ある親子について語ってくれた。
身なりが裕福そうなその母親は、長年にわたりパートナーからの長期的なDVを受け、精神を深く病んでいた。上野さんが話を聞いていると、その母親は過去のトラウマがフラッシュバックし、パニックを起こした。
「(店の机を指して)ほんまにここ、地獄絵図だった。そのお母さんは泣き叫ぶ、怒鳴るっていうのがいっぺんに起こったんです」
上野さんは、決して彼女を見捨てなかった。翌日、母親から「ごめんなさい。ごめんなさい」とメールが来ると、「ええねんで。いつでもおいでや」と返した。こういったやり取りを4年間、根気強く続けたのだ。
その中で、限界を迎えた家庭環境から子どもたちを守るための行動は迅速だった。
「児童相談所と彼女の子どもの学校との間に入りました。子どもには『今な、お母さんこんなんやから、ちょっと様子見るね』『とりあえず今は危険やから、ここ行ってきて』って話して、一時保護になりました」
行政の窓口だけでは救いきれない、家庭の密室で起きている悲劇。この総菜店は、制度の狭間で悲鳴を上げる親子が一時的に避難し、再び生きる力を取り戻すための駆け込み寺でもあった。
■思いつめた少年にかけた言葉
この貧困のリアルを前に、地域の中でどう振る舞えばいいのだろうか。そのヒントは、上野さんが子どもたちに接する際の絶妙な距離感にあった。
「相談がいつ来るかわからないから」と、上野さんはなるべく夜8時頃まで店を開けている。店には居場所を失った子どもや大人たちが逃げ込んでくることがあるのだ。
その中には「共働きで、夜遅くまで親がいない」「家が親たちの集会所みたいになっていて、居づらい」「家事や弟妹の世話などの雑用を押し付けられる」といった、ヤングケアラーや心理的ネグレクトが潜んでいた。
こうした子どもたちと向き合った時、私なら「そんな親は許せない」「行政に通報するべきだ」と親を糾弾してしまうかもしれない。しかし、彼女のアプローチは違う。
上野さんは、子どもに対して親の非を直接突きつけることはしない。
過去には、複雑な家庭環境に追い詰められ、「親父を殺していいか」と思い詰めるほど荒れていた少年がいた。上野さんは即座に「あかん。やめときなさい」と諭した。その少年が訪れる度に、ひざを突き合わせて話を聞いた。
その後、少年は落ち着きを取り戻し、最近、電気工事士の試験に合格したという。
「『親もいっぱいいっぱいで、生活に疲れて余白がないんやで』とかね。事実をそのまま突きつけるんじゃなくて、せめて、薄い皮1枚のオブラートに包むんです。それが希望になったらマシかなって思うから」
もし「お前の親は最低だ」と事実を告げてしまえば、子どもは逃げ場を失い、完全に絶望してしまうかもしれない。逆に、第三者の言葉ひとつで、家庭崩壊を防ぐことができるかもしれない。
■「ただいま」「おかえり」が言える場所が命綱になる
社会問題に対して、私はつい白黒をつける「裁判官」のような見方をする。けれど、リアルな現場で一方的に親を責め立てるだけでは、貧困や孤立の連鎖は断ち切れない。
本当に求められているのは、家庭の内部に土足で踏み込むのではなく、「隣の家のおかん」のように、少し斜めから悩みを聞き、子どもたちが一時的に息を抜ける居場所になれる大人の存在なのだと思った。
もし、夜の街やコンビニのイートインで、行き場を失ったような子どもを見かけたら、どうするだろう。スーパーの特売品の前で疲れ果てている親を見かけたら……。その背後にある「見えづらい困窮のストーリー」を想像できるだろうか。
タイパ・コスパを追い求める社会。生身の人間に対しても、それでいいのだろうかと疑問を感じる。上野さんは「自分を壊さない程度でいいから、無関心から抜け出せたらいいよね」と語った。
取材が終わりに近づくころ、スラッとした出で立ちの男子高校生が「ただいま」と言いながら店にやって来た。
上野さんは「おかえり。今日は学校どうやったん?」と返す。高校生は「あぁ疲れた。おかん、聞いて」と言って、無造作に置いてあるスチール椅子に腰掛ける。その姿はまるで、本当の母親と話しているようだった。
彼は一見明るそうな、今どきの高校生に見える。だがきっと、おかんにだけ見せる「何か」があるのだろう。
「小学校の頃から通い続けていた子どもたちが、今は大きくなって、手伝いに来てくれたりするんです。それぞれ難しい家庭環境を抱えてるんでね。ご飯を食べに来て、『おかん、あのな』って話をしに来るんですよ」
そう言って、上野さんは嬉しそうに笑った。

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池田 アユリ(いけだ・あゆり)

インタビューライター

愛知県出身。大手ブライダル企業に4年勤め、学生時代に始めた社交ダンスで2013年にプロデビュー。2020年からライターとして執筆活動を展開。現在は奈良県で社交ダンスの講師をしながら、誰かを勇気づける文章を目指して取材を行う。『大阪の生活史』(筑摩書房)にて聞き手を担当。4人姉妹の長女で1児の母。

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(インタビューライター 池田 アユリ)
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