大阪府豊中市の路地裏に、1品100円の総菜を並べ、20歳以下の子どもにはいつでも無料、18時半以降は大人にも無料で食事を提供する小さな店がある。「ごはん処おかえり」だ。
家賃や光熱費などで毎月約35万円が出ていくが、行政の助成金は申請せず、店主の上野敏子さん自身も無給。なぜ、成り立たないはずの“無料食堂”が7年も続いているのか。人を放っておけなくなった「おかん」の壮絶な半生があった。インタビューライターの池田アユリさんが取材した――。(後編)
■助成金なし、店主無給でなぜ続くのか
大阪府豊中市、阪急庄内駅から賑わいある通りを抜けて歩くこと5分。路地裏に佇む小さな総菜店「ごはん処おかえり」の店主・上野敏子さんは言う。
「目の前のことが大変なのに先のことなんて、SDGsなんて考えられないですよ。明日運営できるように動く。それしかないです」
企業のバッジやレポートで見慣れた「SDGs」という言葉を、上野さんは一蹴する。
彼女の朝は早く、5時には厨房に立つ。並ぶのは、コロッケ、オムレツ、酢の物など。常時15種類にも及ぶ。
これらがすべて1品100円、18時半からは「無料」で提供されている。
このような利益度外視のサービスをしていれば、当然赤字になる。家賃や光熱費などで毎月35万円ほどが確実に出ていくが、上野さん自身は無給であり、自らの生活費は次男の障害年金などで賄っている。
行政の助成金は「支援の対象になる層を区切るのは嫌だし、対応のスピードが落ちる。活動の縛りができるから」と一切申請しない。
株式会社でもNPOでもなく「任意団体」として運営し、頼りの綱は寄付決済サイト「コングラント」を通じて全国の名も知らぬ支援者から寄せられる寄付金である。2カ月に1回、約50万円前後が振り込まれ、「それでなんとか赤字を免れている」と上野さんは語る。
■運営はいつも綱渡り
昨年11月には預金残高が90万円を切り、資金ショートの危機に陥った。法人登記や事業所登録もしておらず、税理士の判断で「ボランティア活動」として税務を通している。
常に綱渡りの運営だが、それでも目の前の人を救うために店を開き続けている。一体なぜそのような状態でも続けているのか?
現代社会には、一見普通に生活しているように見えても、公的窓口では門前払いされ、誰にも助けを求められない「見えにくい困窮」が溢れている。派遣切りに遭った中高年、孤立するシングルマザー、生きづらさを抱える発達障害の人々……。

「お腹いっぱいになれば、何とかなる」という、上野さんの言葉は、単なる精神論ではないのかもしれない。絶望の淵にいる人を社会に繋ぎ止めるために奔走する彼女に、話を聞いた。
■人を巻き込む力は“どん底”から生まれた
3年前、上野さんが大雨の買い出し中に、自転車で右膝の半月板を複雑損傷して動けなくなったことがあった。それを聞いた仕入れ先である業務用スーパーの社長が「自転車は危ないから」と食材を店まで無償で配達してくれるようになった。
それ以外にも、全国から大量のお米や野菜が不定期で届けられる。寄付金や物資が途切れないのは、彼女の人柄と活動によるものだろうが、それだけではない。人を強く巻き込むのには理由があるのだ。それは彼女自身の、7年間に及ぶ「どん底」が背景にある。
1968年に生まれた上野さんは、豊中市で育った。20代でシングルマザーになり、長女とともに両親と暮らし始めた。その後、再婚し、2人の子どもに恵まれるが、次男が重い心臓疾患と発達障害があることがわかる。次男は入退院を繰り返し、上野さんはその対応に明け暮れた。

その頃、父親が脳梗塞で倒れ、介護が始まった。狭いアパートに両親と5人家族。足の踏み場もない状態だった。
2014年、ゴールデンウィーク明けのある日、仕事から帰ってきた母・紀美子さんから、決定的な言葉をぶつけられた。
「『あんたはそんなんやから障害児しか産まんねん』っていう言葉が、私の地雷でした」と上野さんは振り返る。
■母の一言で心が折れた
重度の発達障害がある次男の責任は、自身が痛いほどわかっていた。だからこそ、実の母親であろうと踏み込まれたくない、絶対に触れられたくない領域だった。その言葉を浴びた瞬間、上野さんは過呼吸でその場にうずくまった。以来、頻繁に症状が出るようになり、心療内科でうつ病とパニック障害と診断される。
母・紀美子さんは「その時のことはぜんぜん覚えてない」と言う。母自身も限界に達しており余裕がなかったのだとわかっていた。だが上野さんは、「言われたことは忘れへんから、やっぱどうしてもくすぶってたね」と、振り返る。

電車のホームや国道の信号待ちで、何度も死ぬことを考えた。主治医には「とにかく一人にならないでください。家族の人は、1時間でも彼女から目を離さないで」と言われた。家庭の中は、めちゃめちゃだった。
長女が中学生の時、学校のトイレの窓から飛び降りようとしたことがあった。「10代だった長女を、私のせいでヤングケアラーにしてしまった。一生つぐなってもつぐないきれへん」と上野さんは声を落として言う。
自分の家族を追い詰めてしまったという消えない後悔を、上野さんは抱え続けてきた。
■一人で始めたホームレス支援
だが少しずつ、彼女は社会との接点を取り戻していく。うつ発症から7年後の2015年、47歳の時である。上野さんは、単身で梅田にいるホームレス支援を始めた。
「好奇心が芽生えたことが、回復の兆しだったんやろうと思う。
最初は、純粋な興味からでした。あの人達は何であそこで寝てるんやろうって」
思い立ったらいてもたってもいられず、クリアケースにあんぱんや缶コーヒーを詰めて、高架下に座り込んでいるホームレスに声をかけた。
最初は「なんや、スーツでヒール履いた姉ちゃんが近寄ってきた」と思われ、まったく相手にされなかった。ある日、化粧もせずにTシャツに首からタオルを下げて配りに行くと、ようやく物資を受け取ってもらえるようになった。
上野さんがあまりにも熱心に通い詰めるので、次第にホームレスの人に笑顔が見られるようになった。その経験が、彼女の心を癒した。
「ずっと家族がぐちゃぐちゃだったから、外に救いを求めてたんだと思います。おっちゃんたちに『ありがとう』って言われて、本当に嬉しくて仕方なかった」
どん底を知り、絶望を乗り越えた人間が語る言葉だからこそ、人に届くのだろう。2018年の大阪府北部地震で被災した際には、SNSでの呼びかけに全国から4tトラック2台分もの支援物資が集まった。
「あまりにも量が多いので『誰でもいいから、取りにおいで』って声をかけたら、おかげで家の前はガレージセールみたいになりました。その経験が、今のスタート地点かもしれない」
上野さんはその後、自宅で「おかえり」の前身となる子ども食堂を立ち上げた。被災した際に物資を取りに来た人とは連絡先を交換していたこともあり、毎日のように近所の人が訪れ、まるで「町の集会所」のような場所になっていく。

■最初は“次男のため”だったが…
「おかえり」は、2019年9月にオープンし、今年で7年目になる。この店を開くきっかけは「子どもだけじゃなくて、お年寄りも、若い人も誰が来てもいい場所を作ろう」と思ったからだと言う。
午前中にボランティアの女性が数人、総菜のパック詰めを手伝いにやってくる。調理はすべて上野さんが行っている。そのため、早朝4時には起き、店で仕込みを行う。睡眠時間は毎日4時間ほどだという。
「睡眠時間がそのうち足りなくなって、その辺で死んでまうかもわからんね」と笑う上野さん。なぜそこまで他者に寄り添えるのか。
その原動力の根底にあるのは、重度知的障害を持つ次男のためでもあった。
「息子が将来この庄内という町で、人と触れ合いながら生きていける土壌を作りたい」
それが、彼女の個人的な動機だった。
だが、その思いは、曖昧な社会保障への違和感へと発展する。それは、重度知的障害者の次男と、ADHDと診断された長男の存在から来ていた。
「重度知的のダウンって、国の制度がしっかりしてるんです。次男は療育手帳もあって、特別児童扶養手当もある。障害年金も1級が確定してる。私亡き後、施設を探そうと思ったら自分で探せるんです。でもね、長男は手帳なしのADHDのグレーゾーン。明らかに凸凹があってしんどいのに、彼には何の保障もない。それっておかしいよね」
■見えづらい困窮への憤り
障害の認定を受けられる者は手厚く保護されるが、グレーゾーンにある者は何の保障もなく、すべてを「自己責任」で背負わされる。
ホームレスの炊き出しをしている頃にも、長男のような発達障害がある若年の人たちがいた。彼らの話を聞けば聞くほど、彼女は「社会の対応って、塩対応もいいとこやん」と憤りを感じた。
相談に訪れるのは中高年の男性が多かったことも上野さんの原動力だった。
「今60代くらいの人は、不満があっても言えない時代を生きてきた。だから自分から市役所に助けを求めないんです。『稼げない俺は恥』みたいな思いもある。だからこの店のように『なぁ、姉ちゃん』って来れる場所は貴重だと思う」
社会の制度の理不尽さを目の当たりにし、見えづらい困窮への憤りを覚えた。その経験が、支援の網を広げていくことになったのだ。
■無料弁当がつなぐ善意の循環
この店が続いてきた背景には、善意の循環がある。「おかえり」を支えるのは、かつてここで救われた人々だ。
大阪に来たばかりで心が病んでいた時に無料弁当に救われた女性や発達障害に悩む男性が、今度はボランティアスタッフとして店頭に立ち、誰かを支える側に回っている。
取材の中、黒いマスクと白のパーカーを羽織った男性が入ってきた。彼は、親からの暴力や自身の離婚を経てネットカフェを転々としていたところ、上野さんと知り合い、生活保護を受給するようになったという。今では「おかえり」でボランティアをしている。
彼は、このように語った。
「行政は一時的な支援はしてくれるけど、その後の生活に寄り添ってくれるわけではないです。上野さんのおかげで、僕は今、人との関わりを学ぶことができています。通い続ける理由は、ひとりじゃないって感じたいからです」
上野さんは彼らにただ支援を与えるだけでなく、「店を手伝う」という役割を与えている。制度からこぼれ落ちた人に「出番」を作ることで、自己肯定感を回復させながら、店の労働力として巻き込んでいるのだ。
男性が語る横で、上野さんは肩をすくめて「酒飲んでここに手伝いに来た時は『帰れ!』って言うてる」と笑いつつ、「生活保護者には働かない、怠け者とか、悪いイメージがあるけど、特殊な人じゃない。同じ町に住んでる人やでって伝えたいです」と続けた。
行政の窓口は、孤独を埋める「居場所」や「人とのつながり」までは用意してくれない。持ち直した後の人生を、どう生きるか――。ここに通うボランティアたちは、それを学び、向き合っている。
■日本の貧困の知られざる現実
「おかえり」を利用する人たちに対して、上野さんはいきなり声をかけず、まずは毎日見ることを徹底している。
週1回だった人が、2回、3回と増えたら、きっと何かがある。異変を感じれば走って追いかけ、「この時間なら私一人だから、またおいで」と伝えるという。「自分は貧困しているわけではない」という思いも重なり、警戒心があるからだ。
以前、その場で根掘り葉掘り聞いてしまい、心のシャッターを閉じられてしまったことがあった。その経験から学んだ絶妙な距離感が、「おかえり」の打ち解けやすい雰囲気につながっていた。
だが上野さんは、誰にでも無料でお弁当を配ったり、支援先につないだりするわけではない。「おかえり」には、自らの生活を立て直す努力を支援者に丸投げして生活保護を受けようとする人や、すでに受給しているにもかかわらず散財し、我が子を放置する親など、「とにかく国からお金をもらおう」とする大人たちも少なからず訪れるからだ。
そのため、彼女は「助けてください」と何でもかんでも任せてくるような人に対しては、非常に慎重だ。
単に要求を呑んで甘やかすのは、本当の支援ではない。その人が本当に支援を必要とする状態なのか、どうすれば行政の適切なサポートに繋ぎ、自立へ向かわせることができるのかを冷静に見極める必要があるという。
「制度の網の目から漏れてしまう人」と「制度にただ寄りかかろうとする人」――。この二者が交錯するL字型の食堂に、多くの人々が命綱を求めて集まってくるという事実。それが、行政のセーフティーネットだけでは賄いきれない、日本の貧困の現実なのだろう。
■「とにかく食事と安心を届けたい」
学校給食がなくなる夏休み、子どもたちの食事と居場所を守るため、上野さんは公民館で無料の弁当配布会「まぜこぜ食堂」を開催している。
前編で触れた通り、4000食以上を提供するこの大規模なイベントに、上野さんは「しんどい家庭の子も、そうじゃない子も、みんなが『まぜこぜ』になって集まれる場所が必要。夏休みに行き場をなくす子どもたちに、とにかく食事と安心を届けたい」という強い思いを抱いて臨んでいる。
日々の店舗運営に加え、夏休みの大型イベント、さらには絶え間なく持ち込まれる困窮者からの相談業務を一人で受け止める。時には解決方法がわからない問題に頭をかかえるという。
その過酷な日々の中で、溢れそうになる感情や出来事を整理するために上野さんが密かに活用しているのが、「生成AI」だ。
彼女はAIを親しみを込めて、「チャッピー(ChatGPT)」「漫才の相方」と呼ぶ。
日々の活動で起きたことや、自分の心の中に溜まったモヤモヤとした感情をそのままAIに入力する。文字にして可視化し、AIと対話を重ねることで、「自分の思考が客観的に整理され、次にすべきことが見えてくる」という。時には異なるAIも活用して、意見を戦わせる時もある。
孤独になりがちな支援活動の中で、AIを感情の壁打ち相手として利用するのは、今の時代ならではだろう。
■大木のてっぺんからじゃ、地面は見えない
彼女の背中を近くで見てきた長男は大学生で、次男は支援学校に通う高校生だ。そして、長らく彼女のうつを献身的に支えてくれた長女は結婚し、子どもが生まれた。
長男は今、精神保健福祉士の資格取得を目指して勉強しているそうだ。それは、母がこの場所で歩んできた道のりに通ずる仕事だ。
「長男曰く、『就職に有利やろうから』って言うけど、照れてるのかな。『それはそれで面白いな』って返しました」
取材の最後に、どうしても聞きたかったことを聞いた。「ボランティアや寄付など、いろいろあると思うんですが、何をしたらいいかわからないので教えていただけますか」と。
すると、上野さんは「誰かに会った時に、人の背景を想像してみてほしい」と語った。
「企業の経営者さんが大木のてっぺんにいるとしたら、見下ろしても地面は見えへん。でも、地面では生きていかなと、必死にもがいている。いろんなことが起こってんねん。でも、見えへんのはしょうがない。とりあえずは1回想像してみてほしいです」
見えない場所で、過酷な現状が起きていることを知る。他者の痛みを「想像できる人」になる。上野さんが提示した言葉が、ずっと耳から離れなかった。

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池田 アユリ(いけだ・あゆり)

インタビューライター

愛知県出身。大手ブライダル企業に4年勤め、学生時代に始めた社交ダンスで2013年にプロデビュー。2020年からライターとして執筆活動を展開。現在は奈良県で社交ダンスの講師をしながら、誰かを勇気づける文章を目指して取材を行う。『大阪の生活史』(筑摩書房)にて聞き手を担当。4人姉妹の長女で1児の母。

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(インタビューライター 池田 アユリ)
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