■安売り路線で急成長した宝石店
人のキャリアは、ときにひょんなことから始まる。親戚が勝手に写真を送って芸能界に入る人もいれば、某国の副大統領が亡命先で酒屋を経営して大繁盛、なんてこともある。
イギリス生まれの宝石商ジェラルド・ラトナーの場合、キャリアのスタートは学校を退学処分になったことだった。教師たちが突きつけた処分理由は、「バカすぎる」から。勉強に身が入らず、周囲からすっかりさじを投げられていた。
1965年、ジェラルドは15歳で働きはじめた。勤務先は、父が経営していた小さな宝石店だった。
当時の宝石店は、高級志向でハードルが高く、庶民にとっては近づきがたい存在であった。父の店もご多分に漏れず、多店舗展開で成長はしていたのだが、父が亡くなりジェラルドが経営を引き継いだ時点では、グループ全体で年間7000万円弱の赤字を出していた。
しかし、型にはまらなかったジェラルドは、まず従来の宝石店の気取った雰囲気を壊そうと考えた。店を赤やオレンジの派手なポスターで埋め尽くし、「激安!」「全品半額!」などと触れて回った。
BGMも、格調高いクラシックでなく、大音量のポップソングだ。この改革に、同業者は「品がない」と眉をひそめたが、それまで宝石に手が届かなかった若者や労働者たちは、大喜びで受け入れた。
こうして、ジェラルド率いるラトナーズグループは、安売り路線で急成長した。
1980年代には、イギリスジュエリー市場の約4分の1を手に入れ、かつて「バカすぎる」と言われた子どもは、すっかり時代の寵児になっていた。
■「なぜそんなに安く売れるのか」への回答
1991年の春、ジェラルドはロンドンを代表する集会場ロイヤル・アルバート・ホールで講演をすることになった。聴衆は、なんと6000人。
企業の経営者や政府高官、ジャーナリストに至るまで、多くの人々がカリスマ経営者・ジェラルドの言葉を聴きたがった。
ところで、紳士の国・イギリスは、その実ブラックジョークの国でもある。政治も生死も、あらゆるものが冗談のタネになり、国民たちを笑わせる。そんなお国柄だから、ジェラルドも自社の成功を語るだけでは退屈だと考えた。
「我が社の商品がなぜこれほど安いか、不思議に思う方もいるでしょう。カットガラスのシェリー酒用デキャンタに、6つのグラスと銀メッキのトレイをつけて、4.95ポンド(約2500円)」
ジェラルドは、面白いことを言おうとする人間特有の、ニヤついた笑みを漏らした。
「人々は『なぜそんなに安く売れるのか?』と聞いてきますが、私はこう答えます。『それは、完全なクズだからです』」
会場は大ウケだった。
■株価急落し、瞬く間に5億ポンドを失う
集まったエリートたちはジェラルドの毒舌を楽しみ、この様子を見たジェラルドは、よせばいいのに調子に乗った。
「我が社のイヤリングセットは、エビのサンドイッチより安い。しかも、はっきり言って、サンドイッチのほうが長持ちするでしょうね」
またしても爆笑だった。ジェラルドは満足げにステージを降り、講演はつつがなく終わった……かにみえた。
翌朝、イギリス中の新聞に彼の言葉が躍った。
――ラトナーの宝石は「クズ」。
社長自ら認める。
紙面を見た顧客たちは大激怒。
「今まで自分たちが記念日に買ってきたのはなんだったのか」
「大切な人に『クズ』を贈っていたというのか」
ラトナーの発言は、いわば経営者交流会で出た内輪の自虐ネタだったのだが、そんなもの、なけなしのお金で一生懸命宝石を選んだ人々には通じなかった。
ラトナーズグループの株価は下がりに下がり、ジェラルドは瞬く間に5億ポンドを失った。
■どん底を味わった男の「大逆転劇」
この大失敗をもとに、英語圏では失言で自滅することを「ラトナーする(Doing a Ratner)」というようになった。ここまでがっつり名前が出るなんて、だいぶ気の毒である。
さて、文字どおり「クズ男」のレッテルを貼られたジェラルドは、どん底を味わった。これまで彼をもてはやしていた人々は去り、手元には一銭も残らなかった。
それでも彼は、根っからの商売人だった。数年間を家のソファで過ごしたのち、ついに立ち上がった。
ジェラルドが目をつけたのは、健康ブームで需要が伸びつつあったフィットネスクラブだった。自宅を担保に資金を調達し、「ザ・ワークショップ」という店舗を展開。ほんの数年で会員数を爆発的に増やし、2001年に390万ポンド(約12億円)で事業売却した。
そして、売却で得た利益は、なんと宝石業界への再参入に使った。あれだけ苦汁をなめたのに、チャレンジングすぎる!
今回の彼の勝算は、実店舗を持たずにオンラインで運営することだった。
ちなみに、このバーチャル店舗の名前は「ジェラルド・オンライン」という。ファミリーネームの「ラトナー」は「クズ」イメージが強すぎたので、今度はファーストネームの「ジェラルド」で勝負しよう、というわけだ。
ジェラルド・オンラインは、いつしかイギリス最大級のネット宝石販売店に成長した。そして彼の講演は、かつてのように、いや、かつて以上に大人気だ。
「皆さん、私のようにならないでください。もし口を滑らせそうになったら、即座にサンドイッチを頬張ることです。しゃべれなくなりますからね」
失敗を笑い飛ばすジェラルドを、万雷の拍手が包んだ。
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近藤 仁美(こんどう・ひとみ)
クイズ作家
三重県生まれ。早稲田大学教育学部卒業および同大学院修了。在学中からクイズ作家として活動を始め、日本テレビ系『高校生クイズ』の問題作成を15年間担当したほか、『頭脳王』『クイズ! あなたは小学5年生より賢いの?』『せっかち勉強』などのテレビ番組や、各種メディア・イベント等で問題作成・監修を行ってきた。2018年より国際クイズ連盟日本支部長。
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(クイズ作家 近藤 仁美)

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